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「働く」ってなんだろう?賃金労働が当たり前になった理由を考える

こちらはニート株式会社Hさんからの寄稿です



大人になると「働く」という行為が当たり前のように求められる。会社員、公務員、アルバイト…。
ほとんどの人が、何らかの形で「雇われる」形態でお金を稼いでいる。でも、どうして「働く=雇われる」になったんだろう?


学校は「会社員」を作る場所だった?

思い出してみてほしい。小学校時代、授業中に教科書と無関係な勉強をして叱られた経験はないだろうか?
たとえば、国語の授業中に音楽の教科書を開いていて叱られた、なんてこと。

「勉強をする場所なのになんで音楽の勉強したらダメなの?」と疑問に思った人もいるかもしれない。でも、振り返るとあれは「決められた時間に決められた行動をする訓練」だったのかもしれない。

さらに中学生になると、先輩・後輩の上下関係を叩き込まれる。
そして制服を着ることが当たり前になる。あれはスーツを着る大人になる準備だったのではないか。
学校という仕組みは、無意識のうちに私たちを「会社員」として生きる準備をしていたのかもしれない。

なぜ「賃金労働」が当たり前なのか

日本国憲法には「勤労の義務」が明記されているし、「働かざる者食うべからず」ということわざもある。
この社会では、「働くこと」が尊い行為であり、幸せに生きるための条件のように考えられてきた。

でも、よく考えると、現代の日本は物があふれている。
もうこれ以上ビルや橋を新設する必要もないのではないだろうか。
それなのに、会社員として「勤務時間だから」という理由で、ひたすら商品を作り続けることがある。
恵方巻やクリスマスケーキを大量生産し、その多くが廃棄されてしまう。
この流れは、地球のリソースを浪費し、環境破壊にまでつながっている。

そして、こんな場面を想像してほしい。

朝、会社に向かう通勤途中で銀杏の落ち葉が道に散らばっているのを見つけたとする。
街を美しく保つために掃除したいと思っても、賃金労働の時間に間に合うよう会社に着く必要があるため、立ち止まる余裕がない。
結局、「街のために何かしたい」という思いは心の中にしまい込み、ただ会社へと足を急がせるしかない。
この状況は、「働くこと」が必ずしも「社会貢献」とイコールではないことを象徴している。

「働く」を再定義してみる

もし、「誰かの役に立ちたい」という気持ちで働くのであれば、必ずしも「雇い主」が必要ではない。
賃金労働という形にとらわれず、個人が自分のスキルや時間を自由に使って貢献することもできる。

実際に、こんな仕組みを考えた人がいる。東京都の最低賃金を基準に、フルタイム×平日20日間働いた金額=約16万円を、半自動で稼げるニートキットというFXシステムを作り出したというのだ。

このシステムを活用すれば、最低限の暮らしは保証される。
そして、自分の食い扶持を稼げと言う方々にも対峙できる。
その上で「本当にやりたいこと」に時間を使うことができるようになる。

専業ボランティアとして社会に貢献するのも良いし、企業と対等なパートナーシップを組んで新しいビジネスを始めることも可能だ。
雇用契約に縛られるのではなく、個人が主体的に「働く」ことを選べる未来が、もしかしたら近づいているのかもしれない。

賃金労働の外にある「働き方」

これからは「働く」という行為を再定義する時代だろう。
賃金労働に縛られるのではなく、自分で生産手段を持ち、自由に働く。そしてその行動が、社会や環境にどう影響するのかを考えることが求められている。

「働くってなんだろう?」と疑問に思った時、答えはきっと1つではない。
朝の銀杏の落ち葉に立ち止まり、街のために行動できる自由。
それを「働く」と呼ぶかどうかは人それぞれだが、そんな選択肢があってもいいのではないだろうか。

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