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京都へ一人旅してきました②

 こんにちは、星ノ舞です。前回から時間が空いてしまい、京都旅行の時に感じた思いや感動を忘れてしまう前に書き終わらなければと少しアセアセしておりますが、急がば回れ。こういうときこそ写真やその場所で手に入れたものを手掛かりに思い出をじっくりじっくり言葉にできればと思います。今回も是非最後までごゆるりとお付き合いください😊

毘沙門堂へ

 私がこの旅行で印象に残ったことの1つとして紹介したいのは、2日目に行った毘沙門堂という場所で、以下、サイトのURLです。


 京都駅から1駅(5分ほど)電車に揺られ、JR山科駅で降車。そのあと少し歩いて到着しました。山科駅から毘沙門堂までの道のりは公式サイトだと徒歩約20分と記載してあり、少し不安があったものの体感そこまでの時間はかからなかったように思えます。
 私は新しい場所に1人で行くとき、場所を調べたり、地図を読むのが凄まじく面倒臭くなって「なんとかなれーーーーッ!!!」と謎のハチワレ精神が発動し、道端に立ってる看板や自分の直感(ほぼ外れる)を頼りに進むのでよく迷ったりしますが、毘沙門堂への道のりは看板などが結構マメに出ていて分かりやすく、しっかり迷わずにたどり着けました。


極楽橋
本殿へと続く階段


 極楽橋を渡り、本殿までの階段を見上げ「ひえ…。」となりつつも急な石段を気合で登ります。阿吽像に見守られながら仁王門をくぐり、本殿へ。以下の写真は本殿の入り口ですが、ぱっきりとした色合いで、目が覚めるようでした。

毘沙門堂本堂入口


 入ってすぐ左手側にある社務所にて拝観料である700円(一般料金)を支払い、以下の直書きと書置き計2枚の御朱印をいただきました(値段忘れちゃいました…。メモを取っておけばよかった…)。

直書きの御朱印
書置きの御朱印


どちらも夏らしくて素敵ですよね、直書きはシンプルに墨で書かれた文字の迫力と左上に押されたかわいらしい朝顔の判子といったかっこいいとかわいいのバランスを楽しむことができるし、書置きのものは金魚と水の波紋が一面に広がる涼し気なデザインで金魚たちと一緒に心が躍ってしまいそうです。

 本殿にたたずむ毘沙門天様にお祈りをして、社務所からいただいた堂内のマップを元にいざ毘沙門堂内の見学へ。中は残念ながら写真撮影はできないので、言葉だけのレポートになってしまうのですが仏像や狩野派や丸山応挙筆とされる文化財など見所が多いです。見る角度によって描かれている人物の目線やものの大きさ、距離感、向きが違って見える襖絵や追いかけてくる鯉の杉板戸、天井のどこを見ても目が合うように描かれた龍など現代でいうところのトリックアートが楽しめました。

晩翠園の縁側から


 上記の写真は毘沙門堂の中にある晩翠園という庭園で、ここだけは写真撮影可能スポットになっていました。蝉の声や風に揺れる葉のざわめき、青々と茂った草木、夏の青空など視覚的にも聴覚的にも穏やか。考え事をするのにとても良い場所でした…✨

 私が京都に来た理由としては、純粋に京都という場所を楽しむためでしたが、自分の中の迷いとか生きることへの疲労感や不安感を吹き飛ばせるのではないかという期待もありました。その気持ちに毘沙門堂という場所はしっかり応えてくれたように思えます。
 自分語りになってしまうのですが、私は決断や自己表出をするのにとても時間がかかる不器用なタイプです。自分の中には明確な芯や考え方があるものの、どの道を行けばいいのか、この決断をしたことによって周囲の人たちに迷惑がかかってしまうのではないか、自分の考えは全て間違っていて誰からも認めてもらえないのではないか、など様々な不安で動けなくなったり、消えてしまいたくなることが多々あります。
 また、「もっとああすればよかった」「あのときこういえばよかったんだ」と過去の自分に後悔をし、こんな自分に何ができるのだろうかと未来におびえて「ああ、また今日も何もできなかったな、出来損ないな人間だな」と一日を無駄にしてしまう自分がどうしようもなく嫌いだなぁと感じてしまいます。そんな中、毘沙門堂で紹介されていたお釈迦様の生きるうえでのアドバイスに少し心が救われました。

 私の解釈も混じってしまうので気になった方は是非毘沙門堂を尋ねてほしいのですが、お釈迦様は、人生は様々な苦しみにあふれていて、思い通りにいかないことが多いため、「思い通りにならないことを受け入れること」という旨説かれたそうです。また、過去を振り返り後悔したり、未来に不安やおびえを抱くより、今をしっかり生きるべきだとも紹介されていました。
 どちらの言葉も今の私に向けて言われているようで、ハッとさせられました。私は今まで「つらい状況だけどまだなんとかできるかも!!!」と自分に過度な期待をして、うまくいかなかったときに「なぜできないのか」と自分を責めての繰り返しでした。うつ状態になり、新しい自分自身の模索している毎日ですが、「人生には思い通りにならないことがあって、それを受け入れることができる自分」を目標にしたいと考えさせられました。
 また、私自身の心の容量はそこまで広くないのに関わらず過去、現在、未来と様々なことに気を置いて自分で自分を追い込んでしまっていることに気付かされました。今まではそれでなんとかなっていたけれど、今の自分にはその容量は背負えないので、今日を満足に生きることをまずは目標に、気に掛けることができるのはギリギリ明日の自分のことだなと晩翠園を見つめながら思いました。
 何かに迷ったり、心が疲れて消えたくなってしまいそうになったとき、また毘沙門堂に来ているんじゃないかなと、私の中のパワースポットとなった素敵な場所でした。是非、皆さまも少し心が疲れてしまったときに立ち寄ってみるといいのかもしれません。秋は紅葉の絨毯ができるそうで時間とお金があればまた行きたいなぁ。日帰りでもいいから行きたいなぁと少し悩んでいるところです。

 私の悪い癖で文章を書くと伝えたいことがあふれて文章量が多くなってしまいます…。一応次回で京都編を終わらせたいなと思うので、最後までお付き合いいただければなと思います。また見に来ていただけると嬉しいです😊

次回、憧れの喫茶店へ…!

 





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