YOU民。激動の1年(2024年)
以前、私のXで執筆した文章の、再掲版になります。
① TOMOOさん自身ならびにYOU民にとって、激動の1年だった、と思います。
まず、アルバム『TWO MOON』のツアーが年初に有りました。"今まで、TOMOOさんを信じてきてくれた人"
その人達へ、音を届ける。Present のような旅だったと認識しています。
② ライブの最後の曲が「Super Ball」。つまり、彼女のマニフェストの曲だった事。
それは、YOU民への「私は、私の音楽を貫きます」という意志表示だと、受け止めました。
それが、今年の1月30日。昨日の感じすらします。
③ その後、2月に「Present」がリリース。完全に、ポップスに振り切りました。
FCライブ(大阪)の時、「難産だった」と語った曲です。TOMOOさんが、そこに居れば、どんな景色も輝く。
そんなMVと歌詞です。
「的はずれがもし届くなら」。この歌詞が、音楽家としての苦悩にも聞こえます
④ 3月にFCライブ(東京)を行います。場所は、SHIBUYA PLEASURE PLEASURE。
推測ですが、彼女自身。"落ち着きたかった"のではないでしょうか。優しい時間がひたすら流れる。
そこには、インディーズのTOMOOさんが居ました。
⑤ 4月に「あわいに」がリリースされます。
きらびやかな「Present」と真逆です。そこに居るのは、天気が良い日に三島を歩く少女。
"地図とは違う道も。地図通りの道でも"
彼女の春ソングに、代表曲が追加された瞬間です。彼女が描く地図が、どのようになるのか。
楽しくなる余地ばかりです。
⑥ 4月以降。新規リスナーへ、音楽が届き始めます。
春フェス・象眠舎(小西P)等、イベント出演。
大きなインパクトだったと思うのは「緑黄色社会との対バン」(5月)です。
アリーナバンドである緑黄色社会。そのリスナー、ひいてはロックバンド界隈に届いたのは、事実だと思います。
⑦ 6月(彼女の誕生月)を中心に、ツアー『Puddles』を開催。結果は、ソールドアウト & 豊洲PITの追加公演という大成功。
レコーディング及びライブ。満身創痍だったと察します。ただ、ライブハウスを掌握し、「Super Ball」を歌う彼女。
解き放たれた。闘い抜いた先の景色でした。
⑧ ここで、一休みかと思いきや。あの7月19日(金)がやってきます。
涙が止まらなかったYOU民。TOMOOさんを初めて観る人。様々な想いがTVを通して、交錯します。
「ミュージックステーション」。時間帯は夜9時台。番組側の期待も感じます。
夜の都会を背に「Super Ball」を歌う彼女。
⑨ 私はこの時点。心が一度、満たされました。
約10年以上。インディーズで、音楽を止めなかった人に。"諦めが悪い"人間に、光が差した。 そう満たされたのを、よく覚えています。
この後、夏フェス出演。特に、サマソニ(東京)で、洋楽好きに届けられた機会は、貴重だったと思います。
⑩ 9月に特別なツアー(2本のみ)の『Mirrors』及び、FCライブ(大阪)を開催。
沢山、想いは有りますが。「Lullaby to my summer」を、夏の終わりに聴けた事。「いってらっしゃい」をFCライブで歌ってくれた粋さ。
つくづく、『TOMOOの音楽は、あなたを映す鏡(Mirrors)」だな、と。
では、皆さま。ぼんにゅい。ハピネスな週末を。