目に見えない障害と、就労支援事業所a型
たかだか1本の電話だけれど
先日、かつての『(発達、精神)障がい者職業訓練』で親しくなった友人から久しぶりに☎が来ました。
無事に就職できて、今では職場に馴染み、自分の居場所ができたとのこと。
ほっとしました。
一方で、かつて、お世話になった就労支援事業所(A型)が、事業所をたたむことになりました。
私と同じように、『目に見えない障害』を持つ友人たちからも心配の声があがっています。
幸い、私の仲間は皆、事業所を卒業してそれぞれの道を歩んでいますが、
やはり、他人事とは思えないようです。
就労支援a型に関しては、私は、利用者と指導員、両方の立場を経験していますが、
思うところ、改善してほしかったことは、たくさんあります。
実際、いわゆる『悪しきa型』と呼ばれる典型的なたころで仕事をしたこともありました。
国から何度も、仕事のありかたにおいて注意を受けていて、とうとう強硬手段を取られてしまった。
やむをえない、というか、なるようになったか、というのが本音です。
a形に通う人たちの、本当の姿を知ってください。
ただ、実際、あえて指導員の立場から言わせてもらうと、通所している3分の2の人は、
『自分の部屋から出て、週五日、事業所に通う』それだけのことでも、困難な人がほとんどでした。
作業ができる、できない以前の問題です。
報連相どころか、挨拶ひとつでさえ、朝礼に出席することさえ、なかなか出来ない人もたくさんいました。
苛立つことも数え切れないほどありましたが、
『どうしてこんなこともできないの』という気は、ありません。
私自身、うつ病に罹患しながら、a型事業所の『スタッフ見習い』として毎日働いていましたが、当時のことで、はっきり覚えているのは
通勤風景から見える満開の桜を見つめ
「まだ花の色がピンクに見えるから、あたしは大丈夫」と言い聞かせていたことです。
※当時、「桜の花の色さえ認識できなくなったらうつ病の末期」という噂が、周りでまことしやかに囁かれていたため。
当時は、自宅から徒歩5分のスーパーで買い物することすら困難な状態で、
歯磨きや入浴といった、あたりまえのルーティンをこなすことで精一杯でした。
仕事に行けていたのが今、思えば奇跡でしたが、まさに屍に鞭打つような状態だったわけです。
これから私たちはどこへ行くのか
ひとたびニュースに目を通せば、相次ぐa型の廃止により、全国で5000人以上の障がい者が解雇された、と掲載されています。
しかし、この数は氷山の一角であることを忘れてはいけません。
私達自身が、まだまだ社会で『目に見えない存在』にされてしまっていることを、皆さんに心の片隅にでも、とどめて頂けたら、と思うのです。