職人の減少と会社員の増加
寿司や鰻屋、大工など以前は存在していた職人。
どこの店を見ても職人がいなくなった。
職人が会社員化した現代である。
職人が一生をかけて磨き上げていく技術を
週休2日で有給とりながら取得するのは難しい。
職人と会社員の差異はどこにあるのか?
職人はお客のために自分の技術を磨き、それを最大限に提供することである。そこに一流の技術が注がれる。
会社員は会社に自身の存在を委ねているので、技術の提供先がお客様ではなく会社に流れやすい。
ここで生じてくるのは商売がお客様不在になりやすいということだ。
消費者も一流のものではなく、安いものを求めるのでお客様が不在でもその
商品を消費していく。
職人が多い時代は社会分業制であっても、その分野のプロが存在したので社会が機能していた。
しかし社会分業制でその分野に職人というプロが存在しなくなったとき、社会が機能しなくなる。
それを会社員というシステムで補い始める。
大工も技術が必要なくなるように、出来上がった柱や板をただ組み立てるだけ。そこに購入した住民への配慮などはない。
鰻屋もチェーン店が増加している。
プロの業は必要とされず、大量生産の鰻を焼いて、タレを掛ければ高単価の商品ができる。
そこに本当の美味いものを食わせたい。本当に良いものを食べてもらいたいという社会貢献性は薄いように感じる。
これは会社の中でも同様だ。
経理のプロがいたり、製造のプロがいたり、営業のプロがいたわけだ。
消費者が本物を見極められなくなったのも原因かもしれない。
同じような見た目なら安いほうが良いに決まっている。
その見極めができないから安いものを購入する。
高所得の人は高ければ良いものだと高いものを購入する。
どちらも商品の本質を見極めていない。
会社員に大きく欠落しているものは、消費者を想う心である。
社会を良くしたいという想いの欠如が仕事に欠けている。
悪いものでも売れれば会社の利益になり、自身の評価や利益になるのだから。
そんなものは売ってはいけないという職人の意識、それが社会道徳にも帰結している。
自分のために仕事をしているといつになっても身につかないし、社会は良くならない。奉仕の心で自分以外の誰かのために仕事はするものである。
これを昭和時代は履き違えて、ブラック企業が生まれてしまった。
自己犠牲だ。奉仕の精神だ。
サービス残業しろに繋がった。
一人ひとりが社会の為に、相手のために働く社会。
ブラック企業のように働かされる社会ではない。
会社と労働者だけで、お客様が不在の社会は長くは続かない。
労働者は消費者なのだから。
プロの意識を持った職人が求められる時代がまたくるのかもしれない。
もっと社会の為に、相手を思いやる気持ちを持った社会にしたい。