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寄せ書きについて
ずっと思っていたこと。
寄せ書きって、いるか?
例えば出征する兵士へ、あるいは大手術を控えた同僚へ。そういう「まさにここ人生の節目だよね。これもうマジで会えなくなるかもしれないタイミングだよね」という場合ならまだわかる。
しかし、とくになんの変哲もない送別やお祝いの寄せ書き(単なるクラスメートとか部署が同じだけの職場関係者とかの薄い間柄での)は、贈る方も贈られる方も一種儀礼的というか惰性的慣習でやっているのではないだろうか。少なくとも私はそういう寄せ書きはいらないし、もらっても割とすぐに処分してしまう。だって邪魔だもん。
さて、以下は中学2年生の時の話。
秋も深まった頃、担任教員が
「A君が転校することになったから、みんなでメッセージを贈りましょう」と、クラスに1枚の色紙を回した。
A君については、今では名前すら覚えていない。小柄で華奢な彼はいつまでも小学生っぽい幼い雰囲気を残していて、柔軟性があるというと聞こえはいいがいつも特徴的なクネクネした動きをしていて言うこともピント外れ。変声期なのかすぐに声が裏返るし、そこはかとないバカっぽさというか幼稚さが、なんとなく気持ち悪くて苦手だった。同じクラスというだけの関係以上になりたくない、ぶっちゃけ関わりたくねぇなぁと感じるタイプだったんだよね。なにしろこっちもバリバリの中2だったから。
お別れのメッセージを、と言われても、そんなわけで彼に対しては特に書くことがない。というか関わりたくないわけだから何も書きたくない。だから何も書かずに次の人に回した。
そうしたら担任から「マッつんさん、何も書いてないじゃない。なんでもいいからちゃんと書いて」と言われ、うーん……と考えた挙げ句「バイバイ」とだけ書いた。そしたらまた担任に呼ばれて
「これだけじゃ、ちょっと……素っ気なさすぎるから、もう少し何か書いて」と。
いやこれだけでも精一杯だったんだけど。っつーか、ほんとは何も書きたくないんですけど。
と思いつつ、しぶしぶ持ち帰り、その晩リビングでTVを観ていたら某精肉メーカーのCMで「わんぱくでもいい、逞しく育ってほしい」が流れていた。
で、うん、これだ!と。
欠点があってもいろいろダメでも、逞しく育てばいいんだよね!前向きじゃんこれ!と。
そこで
「バカでもいい、逞しく育ってほしい」と書いて堂々と提出した。
今度は本格的に放課後担任に呼び出されて、苦虫を噛みつぶしたような顔で「ちょっとこれ……これは流石に無いでしょう……いくらなんでも無いわコレ……」と言われた。
「でもほんとに書くことがなくて。元気でねとか淋しくなるとか頑張れとかみんな書いてますけど。私はそんなふうに思っていないし思ってもいないことは書けません。これが私の思える精一杯のことです。ダメならいっそ私からのメッセージは無しということで消してください」と正直に伝えると
「じゃ、じゃあせめて、このあとに“なーんちゃって、ジョークだよ”と追加したらどう?そしたら全部冗談になるから、ね!」
と提案され、仕方なく言われるままに書き足してクソだっせぇメッセージが出来上がった。
私からしたら、なぜこんなに書きたくないと渋ってる生徒にまで書かせるのか意味不明。書きたい奴だけ書きたいことを書けばいいじゃないか。アホなんか。そんなもんもらって誰が嬉しいんじゃ。と思った。
それ以来、寄せ書きとかほんとに苦手。
あれから私も大人になったので、今では何か書いてくれと言われれば適当にお茶を濁して思ってもいない社交辞令をさらっと書くくらいのことは出来るようになった。
しかし今でも「こんなことして意味あんのかよ」とは思う。
私にとっては、薄い関係の大勢からの寄せ書きより、本当に大切に思う誰かひとりからの心のこもったメッセージの方がずっと重いのである。
✒2024年9月10日