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MOROHAの思い出
2024年12月21日、恵比寿ザ・ガーデンホールで行われた単独ツアー最終日の東京公演で、MOROHAの活動休止を発表した。詳細な理由などは下記URLからどうぞ。
私がMOROHAと出会ったのは確か小学5年生の頃、母に「恩楽」を聴かされたのがきっかけだった。当時は音楽への関心が薄く、キッチンの方から流れる恩楽と、この楽曲の良さを高らかに語る母の声を話半分、テレビから一切目を離さずに聞いていた。
最初、こんな音楽があっていいのか、と思った。専らJpopを聴いていた私は、このあまりにもpopでない歌詞に狼狽え、同時に「好きだぜ...」とも思った。
「恩楽」は、簡単に書くと「俺ァ、人生で受けた恩を俺の音楽で返していきたいんだ!」という曲だ。ボーカルのMCアフロ視点で書かれたであろう自伝的なリリックは、そのハートウォーミングなテーマと裏腹に、売れない音楽家として生きる男のあまりに生々しい焦燥やリアルを胸焼けがするほど鮮やかにリスナーに伝える。
この曲の中で「恩」という言葉の二面性を私は強く感じた。というのも、人から貰った優しさは心の支えになって、あなたが辛い時、最後の一歩を踏み出す助けになるかもしれない。でも、その優しさには当然送り主がいて、自分の姿を見せる事でお返ししなければならないという責任が伴う。「恩楽」においてその恩返しの意味や目的の重心が彼自身にあるように思える瞬間がいくつかあった。言い訳じみている。しかもかなり巧妙だ。
「迷惑はかけれるうちに、その言葉に甘える日々です。」
こんなに隙がない文言は見たことがない。
ただ、そういう聴こえ方は、このバンドにおいては良い働きをするだろう。
なぜならMOROHAは”人間の音楽”だから。
苦しい状況へ言い訳はしたいが、クールでもありたい。二つの共存できない欲求を抱えてしまう自己矛盾こそが人間の本質であり、これを幸か不幸か克明に描き出してしまう事こそがMOROHAのリアルさである。
MOROHAの楽曲は、1人の表現者のリアルを、たっぷりの上質なギターの音色と一緒に煮詰めて精製したメタンフェタミンだ。
これを耳の静脈に注入すると、人体には有害な「現実」が全身の血管を駆け巡り、「共感」という名の受容体と結びつき、あなたはたちまち「心強く」なってしまう。
日夜5万もの音楽が生まれては誰にも見つからず死んでいく、混沌とした音楽界に放り込まれたこの覚醒剤を、私は運良く発見し、継続的に摂取しては、子供には刺激的過ぎる高揚感を感じていた。
中学生の頃、地元の廃れた商店街にあるカラオケボックスの狭い部屋で友人と肩を並べて、「ハダ色の日々」を歌い、知りもしない熱い恋愛の情動を思い浮かべたし、
高校生の頃、傷にしみるような秋風の中自転車を漕いだあの帰り道で、「tomorrow」を聴いていなかったなら、何も見えなくなっている私の目に綺麗な夕日は射さなかった。
些細で無価値で大切な瞬間に、MOROHAを聴いていた。
いつだって好きな物は知らない間になくなってしまうけれど、私の人生には確かに、彼らが蛍光ペンで書き殴った線が残っている。
おわり