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ろくでなし。に成らなかった『宿六』の和歌の浦の歴史から考える温泉宿料理への思い。


宿六とは。

温泉旅館の経営者の事を指します。古来より旅館経営は、女将さん、板長さん、番頭さん、仲居頭さん、風呂番さんの5人がいればお店がまわると言われてきました。つまり、宿の主人は6番目で良い。という意味合いから宿六という言葉が生れたそうです。「ろくでなし」とは、6番目でもない宿屋のオヤジのことを指すそうです。
現在50歳。宿屋の6番目のポジションをしっかり守りつつ、旅館経営に携わっております。

運営施設
和歌の浦温泉萬波 MANPA REORT 日本スタイル
和歌山市新和歌浦2-10
(TEL)073-444-1161 https://www.manpa.co.jp

紀州温泉ありがとうの湯 漁火の宿シーサイド観潮
和歌山市田野82
(TEL)073-444-0111 https://www.kancho.co.jp

和歌の浦の旅館が減少したワケが料理にアリ。

 私が旅館に帰ってきた20数年前。全国的に一番旅館が倒産した時代であった。和歌の浦も14軒あった旅館が、その頃に半分になってしまったことを覚えている。2025年現在の当地域の旅館件数は7件であることから、一時期の苦しい時代を乗り越えたのだと考えたい。
 昭和初期の開発で、『大阪の奥座敷』とか『新婚旅行のメッカ』と称された和歌の浦。たくさんの観光客が訪れた観光地であったということは、幼いころから伝え聞く話。私が家業に就いた頃は「さびれた」とか「寂しくなった」とか、繫栄した時代を知る人がよく口にしていたものです。(私は栄えた時代を知らないので、どこが衰退しているのか分かりませんが。笑)
 交通網の発達により、和歌山県でいうと南紀まで気軽に足を運べるようになったことは客足が遠のいた原因のひとつである。しかし、これについては全国的にも共通することなので、これだけが原因ではない。衰退の理由は【料理】であったのではなかろうかと私は考えている。

和歌の浦の料理はどの旅館も同じ。そのワケは

 当時の料理人は【部屋】と呼ばれるトコロから派遣されていた。調理人専門の派遣会社のようなもの。その部屋のTOPが地域NO.1の旅館へ、次にエライ人がNO.2宿、序列ごとに和歌の浦の旅館に派遣され、お弟子さんも同様に部屋から派遣されているような状況でした。部屋のやり方で料理を提供しますから、どこの旅館のお刺身も、マグロ・イカ・タイの3種盛。これが1年中、いやズ~っとほぼ同じ献立で提供されていくのです。それが、どの旅館も。という事ですから、お料理が美味しくなかった。楽しくなかった。ということなのです。
 社長よりも料理長の方がエラい!例えば社長はカローラ、料理長はベンツ。みたいなことが全国の旅館の常であったと伝え聞きます。社長と言えど、料理長に逆らえない。というのは、部屋から派遣されていますから、気に入らないことがあると【総上がり】と言われるボイコットのような退職の仕方をするのです。退職しても、部屋が次の職場を斡旋するワケですから、職人さんは困りませんが、旅館は料理が提供できなくなり、立ち行かなくなるワケです。さらに、お盆や年末などの書き入れ時に訪問にやってきます。牛乳石けん1ダースを紙袋に持って。「オマエも見とけ。」と父親に同席を促され、挨拶もほどほどに封筒を渡します。中元、歳暮に現金を手渡すのです。「エライ高い石けんやなぁ。」と思いつつ、大きな違和感を抱きました。

料理長を変えよう!自社雇用で出したい料理を

 20数年前は経営再建中であったシーサイド観潮。「このままでは良くならない。再建できない!」と考え、思い切って料理長を変えて、部屋からの決別を決めます。当時、2番手で働いていた松木英人さん。部屋からの派遣ではなく、料理長の知人の紹介で務めてくれていました。松木さんの仕事が終わってから、「こんな旅館にしたい!」「こういう料理を出したい!」と色々相談に乗ってもらい、松木さんからも経営者として必要な考え方などをレクチャーしてもらいました。そんな松木さんに料理長をお願いして了承してもらったのです。地域で、いや和歌山市で初の自社雇用の料理長が誕生した瞬間でした。とはいえ、自社雇用の職人さんは松木さんだけ。部屋の息のかかった職人さんの嫌がらせで、その年のお正月の調理場には松木さんがたった一人だけという状況に。それでも、なんとか乗り切ってくれました。松木さんとの出会いがなければ、現在の私、MANPAや観潮という旅館は存在していなかったかもしれません。
 料理長と社長が二人三脚で料理を考え、提供していく。この姿を見た周りの旅館経営者は次々と決断、自社雇用の料理長が誕生していきます。今では、それぞれの温泉宿がオリジナリティを持ったお料理を提供することができるようになり、お客様からたいへんお喜び頂いております。

松木英人料理長

料理人に恵まれた宿ろく人生。

 私は【食べる専門】でお料理は全く作れません。ですので「美味い!」「まずい。」が分かるように、食べるコトも仕事のひとつと考えています。
食べるコトは好きですので、アチコチ流行っているお店のメニューや技法を持ち帰り、料理長や調理部と情報共有します。現在、当店では四季で献立を変更し、地元の漁港で仕入れた魚介類をリピートされたお客様にも飽きさせない料理内容で提供しています。【じゃらん】をはじめとする予約サイトで、高得点をいただける『料理のおいしい旅館』と成長してきました。
 「料理は作れた方が良い」と父親から言われていましたし、今でも私自身そう思うのですが、入社いただく調理人さんに恵まれ、良い調理部が出来上がっている事は『運が良かったなぁ』とつくづく思います。
 大谷君。彼は、お客様としてMANPAを利用してくれ、その料理内容と味に感動して、弟子入りを求めてきました。「ここで働きたいんですが、募集してますか?」と。チャレンジ精神旺盛な若者です。
 平林秋広観潮料理長。またいずれ書きますが、和歌山ヤングビクトリーズという中学硬式野球チームがあります。お互いの息子がそのチームに所属していたご縁から、入社に至りました。料理に対する妥協しない精神の持ち主で、私とコミュニケーションを取りながら『お客様にお喜び頂ける料理』を提供してくれています。じゃらんの料理評価は5点満点中4.8~4.9を頂戴するくらいなんです!たのもしい存在です。
 宮前匡伸MANPA料理長。2025年3月から料理長に就任します。松木さんの後継者。(松木さんはセントラルキッチン事業を新しく立ち上げるので、そちらのセンター長で頑張ってもらう予定です。)M&A前の萬波から所属しており、社歴は大変長いです。20年前のTV取材で男前スタッフ紹介に出てもらったくらいイケ面です。(でした!?笑)これからの活躍が楽しみなスタッフです。

宮前匡伸料理長

ダイニングアウトから学んだ薪火料理

 2025年3月から薪火料理を提供して参ります。きっかけは地域の素材を活かした料理提供という観光庁の補助事業を開催したのがキッカケでした。横浜にある『SMOKE DOOR』の雨宮龍オーナー、小出料理長、タイラー料理長をお招きしてアドバイスいただき、『ダイニングアウト 一日で消えるレストラン』を蓬莱岩の砂浜で催したところ、参加者の皆様から大変お喜びのお声を頂戴しました。 

ダイニングアウト 1日で消えるレストラン

横浜『SMOKE DOOR』へ社員旅行!

 大変お世話になった『SMOKE DOOR』様。「スタッフにもアノお料理を食べてもらいたい!」という気持ちが強くなり、みんなで行ってきました。現地集合、昼食は中華街で。あとは夕食まで自由行動。SMOKE DOORで懇親会をして、翌日も各自帰ってきなさいという自由タイプの社員旅行となりましたが、スタッフの満足度は高かったようです。レストランの薪火料理も大好評!そもそも、旅館料理=会席料理という概念に飽き飽きしておりましたので、この社員旅行で薪火料理へのチャレンジがふつふつと沸いてきました。

薪で焼き上げるステーキ

新しい旅館料理への挑戦!薪火レストラン

 薪火料理を提供できるレストラン。WAKAURA SMOKE DINING エビスガオ が間もなく完成します。薪を使った料理提供は、旅館業界ではおそらく初!熊野牛をご用意する予定です。この熊野牛を紀州備長炭の灰を使用した灰干し技法を用いて、余分な水分や脂を取り除き熟成させ、表面を薪火でじっくり焼き上げることで表面をパリッと、中はジューシーなステーキを提供できます。まさにONLY ONEの旅館料理の誕生です!
 和歌の浦は地域柄、巨大な有名観光地ではありませんが、日本遺産に登録される程、風光明媚で静かな自然豊かな景勝地です。この地により恵まれる素材を活かしつつ、お客様にお喜びいただける温泉旅館として絶えず変化し、成長し続けながら和歌の浦に在り続ける宿としてスタッフと共に取り組んで参りたいと思います。

2025年3月OPEN WAKAURA SMOKE DINING エビスガオ

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