筝曲「六段の調べ」とバッハ以降のクラシック音楽


名曲、「六段の調べ」多くの人が何処かで聴いたことのある、お琴(筝)の名曲である。お正月などに耳にすることも多い。この曲の作者は八橋検校(1614~1685)である。戦国時代の末期頃に作られたようだ。これを見て私はとても驚いた。と言うのは西洋で音楽の父、と言われるバッハ(1685~1750)が生まれる前に既にこの曲はあった、と言うことになる。私は「六段の調べ」は明治から大正時代に作曲されたのだろう、くらいの思い込みでいたからだ。それ程この曲の現代性に於いて優れている、と言うことか?
では、「六段の調べ」と、西洋音楽を比較する、とはどういう事か❓ 両者は明らかに違う音楽なのでとにかく自分の耳で検証するしかない、と言うことだ。

まず、六段の調べを聴く。過去何百回何千回聴いてきたかは知らないが、初心に戻って聴く。
今更何も言う事もないが、矢張り圧倒的な完璧さであり、隙と言うものが無い素晴らしさ。完璧な芸術である。旋律、拍子、全体の印象、極めて自然で親しみやすい。どのような場面でも全てがストンと腑に落ちる。これは、日本人のDNAであろう。驚くのは、この曲の出足の三個の下降音。これは何と、20世紀を彩ったロシアの大作曲家であり歴史的なピアニストでもあった、ラフマニノフが作曲した有名なプレリュードOP3-2 「鐘」と言われる名曲で奏でられる音型にそっくりなのだ。この音型も出足で弾かれる荘重な三個の重厚で印象的な和音。天才八橋検校没後300年の時を経て作曲されたのがこの有名な音楽だった。しかもそっくりな音楽。私はこの事に熱くなるような感動を覚えた。
ラフマニノフ:前奏曲 嬰ハ短調 Op 3 No.2

「六段」を大雑把に言うなら、まず、今述べた冒頭の3個の下降音から始まり力強く早めのテンポの鮮やかな音楽に移る。何かが乱舞するかのような、幻想的、であり、官能的な感じもする。あるいは神羅万象、海、河、山、落雷、大雨、自然の営みのようにも感ずる。この辺りは、あくまでも私の個人的な感情であり、人夫々であろう。最後は無に消えていくような感じであり余韻を残しながら名残惜し気に一陣の風が過ぎ去るが如く静寂のみが残る。あるいは貴人の葬列だったのか? 現実に引き戻される。
完璧な音楽と言っても差し支えあるまい。それほど人間離れした素晴らしさ。

箏曲 六段  箏:宮城道雄

では、この曲と対比する西洋音楽は何が良いのだろう?

最初に考えるべきは、音楽の質の高さ、完成度、親しみやすさ、等が重要な要素ではないだろうか。「六段」を聴いて先ず感ずることは、これは西洋音楽で言えば「ロマン派」に近い感覚か。バッハ的なものではない。バッハは偉大だが、宗教的な感じが強過ぎて「六段」のように融通無碍な豊かさがない。と言うか日本人の自分にはキリストさんには苦手意識というか親しめない。バレンボイム氏が「六段」をピアノで弾いているのを観たことがあったがいやはや、、どうもって感じだった。モーツアルトは幼児的音楽としか思えないので、八橋検校の大人の感覚とは比較する意味そのものが無い。「六段」は成熟した大人の男女の音楽であり、その心境は既に「悟り」の世界にまで達しているような雰囲気も持っており、バッハ、モーツアルトとは明らかに精神面での人間味と言うか、生物としての自然さと言うか、この辺が八橋検校とは差があり、比較することは難しいと考える。
そうなると同レベルの普遍的な音楽として、ベートーヴェン、そしてショパン、シューマン、ブラームス、辺りが妥当か? (印象派以降の)西洋の近代から現代音楽は素晴らしいものが多いのだが、矢張り対象とは言い難い。結局、「六段」と比較すべきはベートーヴェン、ショパン(成熟度 才能度など)が相応しいのではないか? また楽器への修練度などでは、F・リストやパガニーニが素晴らしいし、名技性的な面ではリストの魅力は圧倒的なものが有る。八橋検校にもそのような傾向があるのは当然だろう。芸術と言うものは精神的、感覚的、さらに言えば職人的な技術の集大成と思われるからだ。これは絵画、彫刻などあらゆる芸術において共通するものである。ベートーヴェンのピアノソナタの最後の曲が第32番目の曲だが、私はこの曲が大好きなので自動的にこの曲と比較してしまった。異様なほど感動的で神の如き音楽であろう。第二楽章が長い変奏曲であり、瞑想的な音が延々と続いた後、遂に神的な感動がベートーヴェンの心に沸騰するかのように沸き起こり、この稀代の名曲は終わりを迎える。最後にベートーヴェン自身がこの世から消えて行くかのようにppで終わる。まさに「六段」の終わりと同じ感覚になる。ショパンではどうだろう? 私がショパンで感興が起きたのは前奏曲24番であった。この曲も前奏曲の掉尾を飾るに相応しい圧倒的な音楽である。奇しくも主題を為すものは三個の下降音であり、六段のそれと極めて似ている。更に言えばベートーヴェンのソナタ23番の「熱情」と言われる音楽の第一楽章の主題もこのショパンの前奏曲の主題と酷似している。どう考えてもこの曲はショパンからのベートーヴェンへの挨拶のように聞こえてしまう。どちらもピアノと言う強力で優れた表現力を持つ楽器のための音楽であり、ピアノの響きを極限まで追求せんとする二人の天才の力が最大限に発揮されたもので、凄まじいとしか言いようが無い。色々書いてしまったが、世界的には有名とは言い難い日本の八橋検校の偉業と才能の程を考えてみたく思い、西洋の天才と比べてみた。八橋検校の才能は彼らにも一歩も劣らす、むしろ彼らより200年も昔に(バッハが生まれる前に)既にこれ程の高みに達した音楽を作っていた偉大な八橋検校の足跡を日本自身が見直して欲しいと思った。

ショパン 前奏曲24番  ピアノ独奏 アリス・サラ・オット




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