鳥
1.恋のうぐいす
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変哲のないごく平凡な家の立ち並ぶ住宅街、そのうちのひとつの家の窓から中を覗いてみると、朝日を浴びて気持ちよさそうに眠る男がいた。歳は30近くといったところか。庭の生い茂った木々の枝の隙間を搔い潜ってその男の主観に視点を移してみる。
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鳥のさえずりで朝目を覚ます。次に聞こえてくるのは暖炉からのパチパチという音。居間からはおばあちゃんが何かを煮込んでいるイメージを彷彿とさせるグツグツという音。次いでシチューの匂いに混ざる鼻腔を刺激する冷気。それは暖炉と毛布から伝わる暖気とは対照的な、窓から流れ込むツンとした冷気。
このようなものにかこまれた朝を幾度私は迎えてきただろう。幼いころは毎日のようにこんな朝に包まれていたかもしれない。幸福で自分より巨大な何かに包まれていた暖かな日々。しかし20を過ぎてからこんな朝を迎えたのはもしかすると片手でも数えられないかもしれない。死ぬまでにあと何回こんな朝を迎えられるのだろう。そう考えると寂しいような儚いような、、、ぞわっと鳥肌が立つ。ふと我に返り頭を振って両頬をバチンと叩いて気持ちを切り替える。
ベランダに出て冬の冷気の中すうっと深呼吸。とにかくまた今日が始まったのだ。そうつぶやき彼は鳥の巣頭をぼさぼさ掻いてから、大きなあくびをのこして部屋に戻っていった。
その彼に無関心そうに一瞥を与えてからバサバサっと身震いをした後、恋のうぐいすは昨晩の夢に出てきた、想いを寄せるあのひとの面影を探して冬の空に消えていった。
2.鳥のさえずり
突然降り出した雨に濡れ急ぎながら、夕方の空を鳥の大群が覆っている。司令塔らしき鳥が一声ぴいいと鳴くと、他の鳥らもそれに応えるようにぴいぴいぴぴぴと各々思うがままさえずりながら右往左往上下に行きかい、たまにピタッと止まったかと思えば急に方向転換し騒々しく群れ急ぐ様はなんとごった返した光景なことか。
3.予言の鳥
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深い深い森の中心部では予言の鳥が迷い込んだ旅人たちを誘惑するかのようにおそろしくも美しい旋律を奏でている。
この物語の主人公である旅人Sもまた、この鳥の旋律に誘われて森の深部に迷い込んだ者の一人である。さて彼に対して予言する鳥は何を予言するのだろう?
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男の耳にぴゅるるという声が届く。長時間の歩行でもう疲れ果てていたし、ほかに頼りもなく判断力も鈍っていたので旅人は誘われるままに鳥の鳴く方へ歩んでいた。
夢現の状態で鳴き声に向かって歩き続けて何時間たっただろうか。あるいは数分だったかもしれない。旅人は驚くべく光景を目にしてハッと我に返る。まず長い間森の深部に閉じ込められ暗闇に慣れてしまった目には耐えがたい溢れんばかりの色彩と光量に驚く。やがてそれに慣れ眼前に広がるのはこのような森の深部には考えられない、広大な湖だ。水面は瑠璃色に発光し、まばゆい輝きを放っている。まるで流動する宝石のような様である。遠くの鳥が鳴く。びゅるるる。気持ちよさそうである。湖畔には巨大なサンゴ礁のような木々が立ち並び、黄金の瑞々しく熟した果実が豊潤に木々から垂れ下がっている。その幹にはゆらゆらと水面からの陰影が映し出され、木々は優しく影を地面に落としている。空はすがすがしいほどの拓けた青空で、その透き通りは無限の広がりを感じさせ見るものをぞっとさせる。概してそこははまるで、天才画家の美意識のもとに彼の作品が統一されていくように、その空間全体で完結した世界を保っていた。
ふと湖畔の奥の方に小屋があることに気づく。このような風景には少し場違いな、質素で生活感のある家屋だ。しかしよく目を凝らして視てみると、この家屋に見覚えがある事を知る。男の若かりし青春時代に愛する人と過ごした家と形状が酷似している。いや、そのものといってもいいかもしれない。しかしあの家はもうダンプカーによって取り壊されてバラバラの木屑になってしまったはずだ。あの頃はよく疲れた仕事終わりに何度かその跡地の前の手すりに腰掛けて酒を開け煙をふかしたものだ。夕焼けに立ち上る煙、薄れていく記憶。バッタが飛び跳ね、着地する。
あの家はもうこの世に存在しないのだ。でも今眼前にあるのは寸分違わず記憶の中のあの家とそっくりだ。確かめる術は今はもうその遠のいた記憶に頼るしかないので、中を覗くために旅人はその小屋に近づいてみることにした。
男は歩く。男のすぐ頭上で予言の鳥が鳴く。ぴゅるるるるる。瑠璃色の湖はいつのまにか真っ赤に変色してまるで危険信号を発しているようでもあったが、男はそれに気が付かない。あるところまで近づいたところで、ギイイという音とともに小屋から誰か出てくる。この瞬間、世界中でのあらゆる存在はその出てきた人物と旅人Sを除いて消失していた。ふたりだけの宇宙で二人の視線が合う。重力は消失し、バッタは浮遊する。男の口元には自然と笑みが浮かぶ、、、
[ブラックアウト]
予言の鳥が鳴く。森の深部で密かに鳴く。この旅人Sのこの先にまつわる話は誰も知らない。男の行方。この男は森から出られたのか。森の深部で出会った人物は誰だったのか。伝える者がいないからだ。あるいは予言の鳥の鳴き声が聞こえていた時代には知っている者もいたかもしれない。彼はその後も以前と変わらず平穏な生活を送ったのかもしれない。しかしなんにせよ、いつからか予言の鳥はぴったりと鳴くことをやめてしまった。予言の鳥が鳴いている間にしか我々はこの物語をきくことも思い出すことも出来ない。もしくは我々の耳に届かないだけで今もどこかで鳴いているのかもしれない。びゅるるるる、ギイイイイイ、、
4.悲しい鳥
人里離れた岩山の山奥、断崖絶壁に生える枯れ木の枝の上、悲しい鳥が鳴いている。その羽は傷つき、もう飛ぶことは適わない。鳥が鳴くと、遠くからこだまが返ってくる。鳥は自らの声を仲間の声と勘違いしてひたすら鳴き続けているようにもみえるし、あるいは鳥はそのことを理解しているけれど、どうしようもない現実の中でその精神を保つために、心の中では仲間の幻影と戯れているのだと解釈する者もいるが、どうやら実情は異なるらしい。
かつてはこの鳥にも仲間がいた。それは騒がしい日々だった。大量の群れに囲まれ忙しなく飛び急ぎ、ピイチクパアチク騒ぐ毎日に辟易としていた。ピイと鳴くと、ピイイと返すものもいれば、ピピピと返すものもいるのにその都度神経を逆立てていた。予想外のこと、思い通りにならないことに対して異常に敏感で怒りっぽい神経質な性格だったので、よく仲間と喧嘩になった。羽の傷はその時に負ったものだ。
今は、ピイイと返すものもピピピと返すもののなく、静謐な世界で一人空想に浸っていればよいだけだ。鳥にとってようやく手に入れた平穏である。ここでは若さゆえの煩悩や欲望、情熱、狂気、裏切り、嫉妬に苦しみは消え去り、ピイと鳴けばピイと返ってくる。予定調和的で完全で閉じた、鳥にとっての楽園である。悲しい鳥は今日も自分だけの天国でピイと鳴く。岩山にピイという鳴き声がこだまする。