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友人が家に泊まった話し

高校の部活の仲間と、今だにつながっている。私、今、50代半ばだから、かれこれ40年の付き合いか。
故郷を離れたのは、私ともう1人。
故郷にいる仲間は、今もひんぱんに集まっている。
先日、その中の1人が所用で上京すると連絡をくれた。
我が家は、ちょうど次男の部屋が空いているので(次男は留学中)、うちに泊まってもらうことにした。

楽しかった。楽しめた!

昔からの信頼おける友人といっても、
違う生活スタイルを持っているのは当然だし、生活音も違う。

普段、この家で音を立てるのは、夫、私、犬二匹。それが私が耳慣れている音。
友人の音は、不慣れ。
だから、うるさく感じる。
そっか、慣れないからうるさく感じるんだろうな。
友人にとっては、犬の声がうるさかったかもね。

上京したての若い頃、郷里の友達を何回か一人暮らしの私の部屋に泊めた事がある。

でも、
一人暮らしで経済的にも余裕もなく、家事がが不慣れ。
でも東京で暮らしているかっこいい自分を見せたくて、無理をして受け入れていた。

そんな気持ちも経済的にも余裕のない中で、
友人の生活スタイルの違いに、簡単に反応し、苛立ち、そういう違いを、優劣に結びつけていた。もちろん、私が優れていると思っていた。
それで、だんだん友達を泊めないようになってしまった。

今回は、久しぶりに友達を泊める事にした。
なんでかな。
簡単に言うと、歳を取って、気持ち、経済、時間の余裕ができたからかな。

泊める前に、私の予定をきちんと伝えた。
何時には家を出るとか、夫の予定も伝えたり、そして、友人もそれに合わせて自分の予定を済ませてくれた。

つまり、友人を泊めるからといって
ずっと友人と過ごしたわけではなく、
私は自分の予定を変更せずに過ごした。

だからといって、ずっと別だったわけではなく、一緒に夕飯を食べたし、一緒に洗い物をしたり、
朝ごはんに一緒にホットケーキを作って食べたり、普通に生活をした。

それが良かったんだと思う。

自分の生活や予定をあらかじめ伝え
お互いにそれに合わせる。

無理をしない。

こんな歳になっても、むじゃきに友達と過ごせる事自体が、とてもうれしかった。

自分をきちんと保てば、友人と自宅でくつろぎながら、過ごす事ができるんだと、
気付かされた。

今度は、私が郷里に帰った時に、
泊めてもろおうかな。






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