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自己責任社会の末路・・・都会の孤独死


うちの同居している母も。。。今年で90歳を超える・・・

サザエさんの「波平さん」の設定は、確か・・・50代だったような・・・

まー、それはそれとして・・・

そんな思いで、朝食をとっていたら、東洋経済オンラインに、こんな記事が。。。菅野さん、ありがとうございます。興味深く読みました。。。
以下は、同記事より。。。

自己放任が招いた「孤独死」この夏の過酷な現実"死の現場"が映し出す社会のいびつな側面

まさに孤独死バブル

今年の夏は暑かった──。そのため知り合いの多くの特殊清掃業者が、引っ張りだこだった。彼らの多忙さは、この夏に多くの人命が奪われたことを物語っている。9月に入ってからも、うだるような猛暑が続いた今年の夏は、まさに孤独死バブルだった。
キャリア20年近くの特殊清掃業者は、こう振り返る。
「この時期に多いのは、熱中症による孤独死です。今年は物価高や光熱費の高騰が影響しているのでしょう。電気代を節約するためか、エアコンをつけていない、エアコンが壊れていても修理していない、あるいはそもそもエアコンがない部屋が目立ちました。ゴミがうずたかく積まれている屋敷や、逆に生活をギリギリまで切り詰めた簡素な物件も。生前に周囲との交流がなく、死後3カ月で発見された物件もありました」

孤独死の7割を占めるのが、セルフネグレクトだ。セルフネグレクトとは自己放任ともいい、自分自身のケアができなくなることを指す。ゴミ屋敷化や、医療の拒否、自分で世話し切れない数のペットの多頭飼いなどだ。それは、いわば緩やかな「自死」で、自分自身の心と体を緩やかに殺していく行為でもある。

夏の暑さは、そんなセルフネグレクトに陥った人たちに、容赦なく追い打ちをかける。例えばゴミ屋敷の中で寝起きしているとゴミが熱を持つため、熱中症のリスクがぐんと高まる。

社会的孤立が背景

私は、これまで数え切れないほどの孤独死現場に立ち会ったが、幾度となくやるせない気持ちに襲われた。それは、故人の苦悩を感じることが多かったからだ。

孤独死やセルフネグレクトの背景には社会的孤立の問題が横たわっている。私が孤独死現場を追い続けるのは、この社会的孤立の部分で、死者たちがつねに私自身と無関係ではないと思えるからだ。

私は、いわゆる毒親家庭で育ち、幼少期から母に肉体的、精神的なありとあらゆる虐待を受けてきた。元引きこもりでもある。さらにロスジェネに当たり、新卒で勤めたのは長時間労働とパワハラが横行するブラック企業だった。

そんな生きづらさを抱えていた私は、社会からいつドロップアウトし、孤立してしまうかわからない、彼らと同じ孤独死予備軍だったといっていい。

今年と同じような灼熱(しゃくねつ)の暑さが続いた数年前、九州地方に住む私と同世代の40代女性は、SNSを通じて私に助けを求めてきた。

女性のアパートを訪ねると、天井まで達するほどの、なだらかなゴミの山ができていた。彼女は典型的なセルフネグレクトに陥っていた。エアコンは壊れていて、室温は40度近く。そんな過酷な環境で寝起きをしていたかと思うとしばし絶句した。

話を聞くと、女性は営業職としてブラック企業で身を粉にして働いていた。しかし会社の後輩の失態をかばったことをきっかけに、退職を余儀なくされる。そしてアパートに引きこもり、住戸がゴミ屋敷化し始めたのである。彼女は、必要以上に自分を責め、心身ともに衰弱していた。

過剰なほどに「自己責任社会」

「こうなったのはすべて自分のせい。このままゴミの中で死んでも仕方ないと思っているんです」

そう何度もつぶやき、死さえも受け入れようとした。そんな彼女の姿に、かつての自分がフラッシュバックした。私も、かたくなに他者に心を閉ざしていた時期があったからだ。親に愛された経験がないため自己肯定感が低く、命を脅かす極限の状態でも、自分が悪いからと自分を責めてしまう。彼女の思考が痛いほどに理解できた。彼女は私だったかもしれない──。

彼女は私の説得で福祉関係者とつながり、すんでのところで一命を取り留めた。しかしそれはほんの偶然にすぎない。多くの人が助けを求められず、命を落としていく。孤独の足跡を遺(のこ)しながら──。

ある50代男性は1部上場企業に勤めていたが、上司のパワハラで退職。その後20年以上、退職金と貯金でアパートに引きこもった末に、夏の暑さで命を落とした。遺族によると、長年の不摂生で男性の歯は抜け落ち、一本も残っていなかった。

日本は過剰なほどに「自己責任社会」だと感じる。自己責任を強く受け入れる人々が、セルフネグレクト、そして、孤独死へまっしぐらに突き進むのだ。

新品のエアコンが光り輝いていた

現役世代だけでなく、高齢者の孤独死にも、時に哀(かな)しい気持ちにさせられる。都内の築古アパートの一室で亡くなっていた80代女性。死因は熱中症である。切なかったのは、部屋の壁に新品のエアコンが光り輝いていたことだ。女性は、まさに清貧といえる生活を送っていて、生活費を切り詰めていた。そのため、エアコンをつけずに夏を乗り切ろうとしたらしい。

使い古してペタンコになった布団に染みた体液、壁から見下ろす新品のエアコン──。ちぐはぐなコントラストは、われわれの生きる現代社会を体現しているようで、今も鮮明に私の脳裏に焼き付いている。孤独死は属性も年齢も、その背景も人それぞれだ。しかし、このように以前から家族や地域から孤立しているケースによく遭遇する。

死の現場はうそをつかない。孤独死は、私たちの社会のいびつな側面を照らし出すスポットライトのようなものだ。家で独り亡くなることが問題なのではない。つながりを絶たれ、心身を病み、黒いシミだけを残して消えていく人が増えているにもかかわらず無関心が漂う、この状況が問題なのだ。

ある特殊清掃業者の言葉は、今も私の心に残っている。「自分たちのような仕事がなくなる日がいつか訪れてほしい」と──。

生きづらさを抱え、死の現場に日々立ち会う私も、その日が訪れることを心から願ってやまない。

ここまでが、記事です。

みんな一生懸命生きてきたのに・・・

都会の片隅で。。。切なすぎる、現実・・・

幸せって、何だろう・・・

では、また・・・

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