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美人

仮りに絶世の美女に生まれたとして、大してやることがない、と気がついてしまった。

私は常々「もう少し美人に生まれていればなー」などと鼻クソをほじって生きてきた。

しかし、シンデレラのように急に魔法使いが現れて、いざ「は〜い!絶世の美女〜!」とされたとて、私はその美貌を持て余してただ立ち尽くすだけではなかろうか。

待って、シンデレラはみすぼらしいだけで元から美人だったような気がしてきた。
それはそれで腹が立つ。
そしてあれは、ただ王子が見た目と靴のサイズでしか判断できない変態だという話だ。

はて、美人になって私は何がしたかったのか。

漠然と「美人になりたい」と思っていても、
今現在綺麗になるために大した努力もしていない。

もしかすると、美人に生まれていないからこそ、一定の清潔感を保てているのではないだろうか。
それがどうだ、何を身につけてもお化粧などしなくても綺麗でいてみろ、風呂すら入らなくなるのではないか。

私の周りの美人は、皆こぞってハツラツとしている。

陰気な美人はいないし、美人にいけずをされたこともない。
いつも前向きで、多少太ったり肌が荒れたりしようが、「肥えた☆わら」みたいなテンションで彼女たちは生きている。

端的に言えば、彼女たちは総じて良い奴なのだ。

しかしどうだ。
私はハツラツとしてもいなければ、ちょっとした体重の変動や肌荒れでこの世が終わったかのように落ち込んでしまう。

誰もそんな所まで見ていないかもしれない。
しかし私からは見られている。



今や「美人」なんて概念すらもなくなろうとしている。
「美しさ」という判断基準を無くせば、「醜い」という概念すらも無くなり、「皆が美しい世界」が完成する。
そして、この世から「不細工」はいなくなる。

それはそれとして良い。

でも私は「美人」になりたい、と思っている。

ならばこの気持ちはどこにあるのだろうか。

私の中の「美人」の正体とは一体なんなのだろうか。


「外見は内面の一番外側」

そんなことを認めてしまえば、
私はえらいことになってしまう。

吹き出物や体重の変動にひどく一喜一憂してしまうのは、自分の中の怠惰さや克己心の無さが露呈してしまう!みたいな焦りから来るのかもしれない。
(もちろん体質や病気で変化が出る方は違います)

そう思うと、今の私が「美人になったところで大してやることがない」と感じるのは、まだまだ中身が美人とは程遠いということなのかもしれない。

情けない。

もちろん「見た目が変わると中身が変わる」という言葉もある。

しかしそれは、元からその人の中にあったポジティブな要素が花開くきっかけになったのだ、と私は思う。

そしておそらく今の私の中にはその引き出しが全くない。スッカスカである。

私のことだ。
美人な顔を得たことに「イェーイ!!!!!」とあぐらをかき、適当に暮らしては肌を荒らし、不格好に肥え太り、髪をボサボサにし、元に戻る。

そして二度と美人にはなれない。
目に見えている。



ここまで1200字ほどダラッダラダラッダラと書き連ねて、ひとつ気が付いたことがある。


美人はこんなこと考えない。


時計が0時半を回った。

こんなことを考えている暇があるなら、1分でも多く眠った方が肌に良いに決まっている。

どうせ明日の朝には「ねっむ…なんで起きやなあかんねん…腹立つわ…」とまたひとつシワを増やすことになる。
そんな朝を幾度となく迎えてきた。

それでも私は学ばない。

1円にもならないことを考えては、ポテトチップスを食べたい時に食べ、そして吹き出物を後生大事に育てるのだ。吹き出物農家だ。


扇風機の弱風が、私の控えめな鼻先を撫でている。
梅雨のジトッとした空気が、癖っ毛に拍車をかけ輪郭をダイナミックにあしらう。

こんなもんだと思いながらも、
父親似で分厚めの唇がまた、
「美人になりたい…」と今呟いた。


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