「ろうそく本当に宜しいんですか?」
仕事終わりに慌てて旦那さんの誕生日ケーキを予約しに行った。
時計はすでに20時を回っており、この時間に開いているケーキ屋さんと言えば、ショッピングモール内に常駐しているチェーンのあそこしかない。
チェーンの物でも無いよりは良いか。
「僕ホールケーキをひとりで食べるのが夢なんよ〜」
と話していた彼のニコニコを思い浮かべながら、私はケーキ屋さんへと向かう足を速めた。
ケーキ屋さんに着くと、ショーウィンドウの中はすっかり空っぽで、カウンターでは三角巾を巻いたおば様がひとり、電卓片手にノートを付けていた。
完全に店じまいの風格である。
あゝこんなギリギリに申し訳ないなぁ、と思いながらも、こちらも誕生日ケーキは譲れない。
「こんな時間にすみません…誕生日ケーキってまだ予約できますか…?」
「あ、大丈夫ですよ〜!どちらにされますか?」
さっきまで真剣にノートを付けていたおば様は嫌な顔ひとつせず、誕生日ケーキのパンフレットをこちらに見せてくれた。
「…じゃあ…これの4号で…」
「承知致しました!では、プレートに書かれるメッセージはいかが致しましょう?」
何かに書かされるのかな?と2秒ほどペンと紙を待ってみたが、おば様が笑顔でこちらを見つめる様子から、これは口頭で伝えるのだと瞬時に察知した。
「…あっ、えーっと、ひらがなでひろくん、お誕生日おめでとう、でお願いします…」
口に出した途端想像以上の照れが襲い、私は指で文字を書くそぶりをしながら、徐々にそのボリュームを下げた。
「かしこまりました!
ひろくんおたんじょうびおめでとう!
ですね!」
こちらの照れ臭さなどつゆ知らず、おば様はその安易なメッセージをフルボリュームで読み上げると、注文書に「ひろくんおたんじょうびおめでとう」と大きな文字で書き記した。
あ、全部ひらがなか、まあ良いか。
「きっと喜ばれますよ〜!」
「ありがとうございます。」
ここで、私の中の名探偵はピーンと来てしまった。
さてはこのおば様、
完全に「ひろくん」を子どもで想像しているな…?
恐らくこの誤解は、私が「ひらがなで…」と言った辺りから始まっていた。
口頭で伝えることになり、咄嗟に「ひろくん」にのみ掛けたつもりの「ひらがなで」という助詞が、「ひろくんお誕生日おめでとう」の全てに掛かってしまった。
「ひろくん」という響きの幼児性。
おば様の私に向ける微笑み。
「きっと喜ばれますよ〜」の声掛け。
間違いない。
私は今完全に、仕事終わりに甥っ子か息子の誕生日ケーキを予約しにきたアラサーだと思われている。
さて、この事の何が問題かというと、
実際の「ひろくん」は45歳だという点にある。
『それではご注文内容を確認させて頂きます!
Aの4号サイズを一点、メッセージは「ひろくんおたんじょうびおめでとう」でお間違いないでしょうか!』
「はい…間違いないです…!」
ショッピングモール内に再度大声で響く「ひろくんおたんじょうびおめでとう」に意識朦朧としながらも、私は次に来るであろう質問に人知れず震えていた。
「それではお客様…ろうそくはいかがなさいましょう?」
きた…
とてもじゃないが「45本で」なんて言えない…
1日の最後におば様をこんなことでビックリさせたくない…
私は4号のケーキにびっしりと刺されたろうそくを想像しながらも、再度おば様に確認をとった。
「あの…ろうそくってどんな感じですか?普通のろうそくですか?それとも数字の形をしたやつですか?」
「どちらもございますよ!」
私の脳は高速で思案し始めた。
例えば彼が42歳だった場合、実際は4と2だが「2と4で」と頼めば「24歳か、彼氏かな?」と誘導できる。
よし、この法則で、5と4を…
いや!54歳になる!
どう転んでもオヤジに変わりない!
どう頼んだって逃げられない!
「…ろうそく大丈夫です…」
「え、宜しいんですか?」
「はい…大丈夫です…」
「そうですか…それではこちらの内容でご用意させて頂きますね!」
一気に冷静さを失った私は、そそくさとその場で会計を済ませ、ショッピングモールを後にした。
外に出てまだ少し冷える夜風に当たると、会計時に「お支払いはお受け取りの際でも構いませんよ」と言っていたおば様の声が蘇り、「うわ、レジ締め最中だったかもしれないのに何で今お会計してしまったのだろう」と新規の自己嫌悪に陥った。
なんだかどっと疲れた。
私は知らぬ間にくしゃくしゃになった予約書をカバンにしまい、45歳のおじさんが待つ家へと歩き出した。
水たまりに映る信号機が、ろうそくのように揺れていた。
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