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サーモンと私の進化論

一時期私は狂った様にサーモンばかり食べていた。

サーモンはどうしてこんなに美味しいのだろう。
特にお寿司におけるサーモンは最高だ。
黄味がかったオレンジ色に光刺すあの艶。
柔らか過ぎず、それでいて頼りない訳ではない、あの独特の歯通り。分厚いと尚良い。
声高らかにサーモンを注文し、濃いオレンジ色のカサついた鮭を出された日には、この世の終わりといった気分になる。
鮭じゃねえ!!!サーモンを食わせろ!!!

来る日も来る日もサーモンを食べる日々。
美味しい。いくらでも食える。持ってこい。
しかし毎日サーモンを食べるうち、
ある不安が私を襲うようになった。

『こんなにサーモンばかり食べていたら、
私はサーモンになってしまうのではないか。』

当たり前ではあるが、私たちの身体は食べたもので出来ている。もしこのままサーモンを食べ続け、純度100%サーモンになった時、もはやそれは私ではなくサーモンではないのか。

今思えば意味がわからないが、当時の私は本気でそう考えていた。
そして、私の思考はさらに飛躍し爆走していった。

こんなにも私の身体はサーモンを欲している。
もしや私の身体はサーモンになりたがっているのではないのか。
ならばサーモンになってやろうではないか。
サーモンになるまでサーモンを食べてやろうではないか!!!

暴論である。

その後も私はサーモンを食べ続けた。
しかし私の身体は一向にサーモンになろうとしない。
焦った私は、仲の良い友人にその事を打ち明けた。

「最近サーモンになろうと思ってずっとサーモン食べてるねん。けど全然ならんねん。焦ってきた。」

「ええやん。けどそれはならんな。その代わりサーモンはモリ子になってるけどな。」

!?!?!

私は泣いた。
切な過ぎた。
私が今まで食べてきた愛しきサーモンたちは、
なりたくもないのにずっと私になっていたのだ。
こんな私になってくれていたのだ。

確かにそうだ。
カカオ100%のチョコレートが、
カカオではなくちゃんとチョコレートな様に、
私がサーモン100%になったところで、
私はずっと私なのだ。

急に私は私の身体が愛おしくなった。
嗚呼、この右腕も、頬に付いたまあるい肉も、
全てあのサーモンで出来ているのだな。

これはサーモンに恥じぬ様に生きるしかない!!!

賑わう大学の食堂で、
私は友人に「ありがとう」と言った。

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