いらんエンターテインメント
先週だけで結婚指輪を失くし、前歯が折れた。
その日はひどく指が浮腫んでおり、これはしんどいと思い、ベッドサイドに指輪を置いて寝た。
起きると指輪は跡形もなくなっていて、マットレスを剥いで、ベッドを逃し、ありとあらゆる手段で血眼になって探したが、結局姿を現すことはなかった。
神隠しにあったとしか思えない。
こんなに探してないのなら、あとはもう探偵ナイトスクープに頼む外、方法が見当たらない。
その次の日の朝、今度は前歯が折れた。
これに関しては特筆する点もなく、ただ文字通り、前歯が折れた。
強いて言うなら、縦に真っ二つに割れたというぐらいなもので、それ以上でもそれ以下でもない。
仕事中、お客様と笑顔で話している間、上司と今後について真剣に話し合っている間、自分がどれほどベストパフォーマンスを披露していたって、今マスクの下では前歯がないのだと、堪らなく惨めな気持ちになった。
話す度に、笑う度に、私の前歯は風を切っていた。
イオンモールで結婚指輪の代わりに700円の指輪を自分で買い、そんな安物の輝きを左手にぶら下げながら、大きな口を開けて歯の治療を受けた。
歯の治療を受けている時の人間というのはあまりに無力で、私は何が楽しくてこんなに大きな口を開けているのかと、涙が出そうになった。
少し気を抜くと、歯科衛生士の「もう少し大きく開けられそうですか〜」という優しい声が肩を叩き、私は一層心の中で泣いた。
それから数日後、仕事中に配達員から「クール便が届いてます〜」という電話が入った。
身に覚えのない荷物に恐怖を感じながらも、素直な私は帰宅時間を伝え、一連のことからネガティブになっていたせいか、何か悍ましいものが届くのではないか、容易に帰宅時間を教えてしまったせいで、帰ったところを配達員にグサっと刺されるのではないか、などとあらぬ想像でセルフで不安になっていた。
仕事を終え、震えながら帰宅すると、荷物は既に主人によって受け取られていた。
見たところ主人も刺されてはいない。
恐る恐る荷物を開けると、
『当選!近江牛特選ステーキセット!』
??????????!??
超高速で脳内の記憶を遡った結果、2ヶ月ほど前何の気無しに答えたアンケートに、なんと当選していたらしかった。
「モリ子ちゃん凄いやん!
前歯も折った甲斐があったな!」
いらん。
そんなサプライズいらん。
いるけどいらん。
結婚指輪と前歯を失った女がいて、それを慰めるために特選ステーキを与える神様何。
贈り物のセンス悪。
前歯返せや。
きっしょい金の斧銀の斧か。
逆に特選ステーキが当たる未来を知ってて、その帳尻合わせに指輪と前歯を奪われてるとしたら、奪いすぎやろが。
前歯返せや。
目をキラキラさせる主人を横目に、私は舌で仮の前歯を撫でていた。
「人生に無駄なことはひとつもない」
「神様が与えてくれた試練」
などとよく言うが、私は指輪と前歯を失わずとも、自分が稼いだお金で近江牛を食べられる。
無駄な試練、結局この一週間私は神様の手のひらの上で転がされていたのだ。
私が歯医者で泣きそうになりながら大口を開けている間も、神様は特選ステーキ片手に笑っていたのだ。
とんだエンターテインメントをお届けしてしまった。
ひとしきり心の中でなじった後、私はしれっと特選ステーキを写真に納め、速やかに冷蔵保存した。
背中には、主人の「えらい大事そうにステーキ抱えて〜よっぽど嬉しかったんやね〜」という声が届いていた。
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