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Overseas Korean (4) ドンの娘
シルビア : 南米コリアン社会ドンの娘(3/3)
韓国以外に住む韓国の子孫が、居住国の国籍を選択せず、もしくは帰化せずに韓国籍を保持し続ける状況にはさまざまな理由がある。その理由はさておき、韓国籍を保持する結果、居住国で不利な状況に直面することは否めない。
その一例が政府、公的機関の奨学金だ。多くの国の場合、国籍条項が設けられている為、その国生まれ育ちで税金を払っていようが、その国の国籍を持たない限りは選考から排除されるケースが多い。
シルビアはアルゼンチンで奨学金の応募をしたことがない。国籍条項で排除されるからだ。そして今、韓国ではアルゼンチンで不利を承知で死守してきた外国籍(韓国籍)は何の意味も持たなかった。
シルビアとしては、韓国籍を捨てた者に何故、韓国政府が韓国人のための奨学金を与えるのか、というところだろう。アルゼンチンでは、韓国籍を保持するがゆえに甘んじなければならない状況を受け入れ、その不遇感をめぐって鬱積した憤懣。その一方、『忠誠』を誓った韓国政府に裏切られたという想いがあいまってシルビアは噴火した。
シルビアは真顔で私に訴えかけていた。
私は困りきってしまった。シルビアが学生時代の自分とダブったのだ。アメリカ留学にあこがれていたものの、あまりに高い授業料にしり込み、奨学金制度を調べまくった。当時、条件第一項にはきまって『日本国籍を有する者』と明記されていた。申請する権利すら無い、ということで自己の存在自体を否定されたような気になった。それでもあきらめきれず、何度も書面を送ってみたが反応は無回答、もしくはあくまでも日本国籍保持者に限るとの返事を受け取った。
うちひしがれた。
頭では分かっているものの、心が納得できないでいた。
家族にも友達にも言わず、一人ぼっちでずっと部屋の隅でうずくまっていた(昨今では国籍条項を撤廃しつつある奨学制度も増えてきたという)。
シルビアの涙混じりの訴えを聞いていると、私は、今ではかさぶたになった傷跡が痒いてくるのを感じた。と同時に、シルビアの痛みが分かるのは自分しかいないとも思った。そして、過去の自分の痛みをシルビアも、きっと分かってくれると感じていた。
これまで喜びを分かちあう相手はたくさんいた。喜びは分かちやすいもの。けれど、悲しみを理解してくれる相手はいなかった。今、眼の前で怒りで体を震わせている、シルビアがそれを理解してくれる人だと思った。
不謹慎だが、うれしかった。
同時に
ーシルビア、頑張れ。その気持ちを乗り越えてデカイ人間になれ、いや、一緒にデカイ人間になろう一
と、私は心の中で叫んだ。
奨学金事件をさかいに、シルビアは部屋でこもることが多くなった。
授業に出なくなった。
食堂に現れなくなった。
まさに過去の自分のようだと、私はため息をついた。
悲観の淵から甦ったシルビア
しばらくすると、シルビアがいつものように『自信』というオーラをまとって颯爽と姿をあらわした。教育院側に自分の主張を訴えたという。何度も。何度も。何日もかけて。自分の心の膿が出つくすまで訴えたのだと言った。
同時に、韓国で修士課程に進学することはキッパリやめた、という。
彼女は終らせたのだ。失望と絶望と不条理さの渦の中に溺れることを。
私は思った。シルビアは逃げたのではない。
時間とエネルギーの無駄を避け、方向転換したのだ。
シルビア。 おそらく何日も食べてなかったろう。 歯軋りをしながら夜も眠れなかったろう。細身の体がさらにたよりない。
けれど
きれいだった
強くてとてもきれいだった
3ヵ月の短期コースを修了し、シルビアは韓国を離れた。
英語圏の大学で修士課程に進学する予定。
入学準備としてオーストラリアで英語集中コースに通っていた。
前述の、親が大反対のイギリス人のボーイフレンドと同居中という。
(韓国名:ウンシル 国籍:韓国 29歳 当時)