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ラジオ回顧:サンプラザ中野のオールナイトニッポン
爆風スランプ、とりわけサンプラザ中野さんのパーソナリティの虜になった根底に、木曜深夜に放送されていたニッポン放送のオールナイトニッポンの存在がある。
1985年4月に始まり、1987年10月に終了するまでの2年半、眠たい日は目覚まし時計をセットしてでも午前1時には毎回ラジオの前に座った。
同時に120分カセットテープでほぼ欠かさず録音した。
高校時代にはリスナー友達もいたので、テープの貸し借りもしたし、修学旅行で訪れた東京での自由行動日には有楽町にあるニッポン放送を訪れたほどだ。
さて、中野さんのラジオはとにかくリスナー参加型という印象が強い。
例えば、日本民間放送連盟の奨励賞にもなった「幻の商売繁盛 えーらいこっちゃ」コーナーは、寂れた店にリスナーもろとも押しかけ、1日限りの「商売繁盛」を実現させるというもの。
その寂れた店の子どもなどが寄せた、いかに寂れているかという内容のハガキを番組内で面白おかしく取り上げ、集合日と集合要領(持参物や指定購入品)などを告知し実施するのだが、千葉県の流山電鉄での回では乗車率250%をたたき出すなど、回を重ねるごとに盛り上がりをみせた。
「早稲田ービー」も名物コーナーだった。
サンプラザ中野さんが通っていた早稲田大学の受験者リスナーを競走馬(ラジオネームのように「医者娘牝馬」などの馬名を付けていた)をに見立て、電話で意気込みや悩みを聞いたり、他のリスナーから当落予想を募って賞品プレゼントしたりする企画。
受験生を励ますために、受験日の朝にサンプラザ中野さんが実際に早稲田大学の校門に立ち受験生に声をかけるシーンの音声が流れ、「中野さんですか?!中野さんですか!?」と嬉しそうに話す受験生の声が今も耳から離れない。
コーナーではないが、86年だか87年の正月での放送回では、ニッポン放送のビルの屋上で持ち寄り鍋大会をやるから、食材を持ってこいと放送開始直後に告知し、持ってきたリスナーと談話するといった放送も斬新だった。
そういった、なかば「飛び出すラジオ」は、今の自分に多大な影響を与えていると思う。