“(研)15の夏”より少し前のティボルトに恋した(宝塚星組『ロミオとジュリエット(A日程)』の最高に偏った感想)

 ブロンドでもブルネットでもなく黒髪のヅカオタのnoteです。千秋楽から2ヶ月近くも経ち、次の公演も半分終わったのに、まだロミジュリ熱が冷めないので、公演期間中にTwitterで好き勝手呟いていたものの清書です。報われない恋に身を投じたティボルトに恋した話のまとめ。オペラを曇らせながら観劇していた時期が懐かしくもあり、苦しいほどに胸一杯だった当時の自分が羨ましくなるほど充実していたなぁと思ったり。もう言うまでもないけど、ほとんど愛月ひかるさんの話しかしていません…

 A日程を初めて劇場で観劇した夜のnote、走り書きもいいとこ(笑)呟いた分も含めて、いつか清書をしたいなと思い続けたものの、あれよあれよと時間が過ぎ、完全にタイミングを逃したけれど、『マノン』KAAT公演の初日開幕直前の今ならば投稿しても大丈夫かな、“今日こそその日”!(笑)ということで“思いを果た”すわよ。毎度くどくて恐縮ですが、今回も私のスペックを説明させてください。

・今年の4月に東京で星組の『ロミオとジュリエット』(B日程)を観劇してから様子がおかしい。「待て、あの(薄暗い)光は、そこにいるのは愛月ひかるさん…?」沼は深いはずなのに、底に到達するのは早かった。何故。あまりにもジェットコースターで、「僕は…怖い…」と嘆く時期も短かった。勿論A日程にも狂う。愛さんのティボルトについて語りたくて仕方ない病。
・愛月さんについては絶賛勉強中の身です。まだまだ知らないことばかり。

 (愛月さんも大変素敵ですが、今月は『VERDAD!!』にも複数回行き、無事に(?)ことなこ萌えを習得してきました。最高すぎるよ星組のトップコンビ!そして瀬央さんもまた超超気になる存在になってます。面白いだけじゃない、誰よりも優しい。とにかく星組愛が止まらん。星組充のこの夏は、『婆娑羅の玄孫』だけ観劇できないことが心残りです。)

“2枚目”を演じる愛月ひかるさん

 「何やってもかっこいい」ってこの役のこと、愛月さんのティボルト。強さと脆さと狂気と、色々な姿を見せてくれたけど、“宝塚の2枚目”の役だったなぁと思ってる。マスクをしてたせいもあるけど、毎回観劇時のオペラの曇り方が異常!当時の自分のTwitterを見返しても、オペラが曇る話や客席で気絶した話しかしてない日があって笑う。(観劇直後にメモ程度でもTwitterに残しておくと、当時の興奮やときめきや混乱を思い出せて楽しいです(私が)(笑)いつも思い入れのある公演が終わると「この気持ちを冷凍保存して時々取り出して食べたい」って考えるのだけど(狂)それに近いかな…ロスになった時の自分のために呟いてるかも)


  B日程の「死」を追いかけてる時は、魂を捧げながら語彙力も奪われる感覚に近かったけど(?)、A日程のティボルトには完全に恋してました。左耳の揺れるピアスはえろすぎて反則だから(死)ビジュアルが刺さったっていうのもあるけど、色んな表情を見せてくれたり、その役の中での心情が揺らぐ瞬間を沢山垣間見えたことにずぶずぶハマっていきました。
 「むせ返るほどの色気」、ティボルト(というか愛月さん)の魅力の一つとしてぴったりな言葉だなと思ってて、男性の魅力、正確には女性が演じる男性の、中性的よりもずっと“雄”に寄せた魅力、窒息しそうなほど濃厚で…そりゃあオペラも曇るよ!(崩)ティボルトのあの衣装、完璧なスタイルを全身くまなく見せてくれるためにあえてジャケットが腰までの丈なんですか?と勝手に考えたり(いや歴代そうなんだと思うけども!笑)。そしてあんなにギラついてて、とにかくやばい奴、腕っぷしだって1番強くて関わらない方が身のために決まってるようなとんでもない人物。その部分を極め過ぎれば、一見色物のような役にも見えてしまう存在なのに、それでも“2枚目”の役だなと思ったのは、ロミオの恋敵という位置付けが相当印象的だったからだと思う。報われない恋だと自分が1番よく分かっていながらも、ジュリエットの恋心諦めきれずに悶える姿は、宝塚作品の中で生きる2枚目の男役としてのドラマがあって、とにかく喜怒哀楽どんな瞬間でもかっこよくて…!1幕冒頭の『ティボルト』や仮面舞踏会の『本当の俺じゃない』の頃は、まだ後半に狂気じみた泥臭い展開が待ってるなんて思いもしないほど。

虚栄と脆さを併せ持つティボルト

 弱ければ弱いほど、好きの気持ちが止まらないのは何だったんだろう… と何度も考えてしまうほど、ティボルトのかっこよさや色気が振りまかれるのと同じくらい、愚かな瞬間が垣間見える瞬間に燃えてました。母性本能がくすぐられるやつです。
 まだロミオに出会う前の、“恋”に恋している状態のジュリエットに向かってバルコニーの下から手を伸ばす姿なんて、こんなに切ないこと他にある?(涙)伸ばしたその手を引っ込め自分の胸に当てて…やっぱり応援したくなっちゃう。
 でも、ティボルトって、切ない、辛い、の要素だけじゃなく、とんでもなく残念だなと思うからこそ、たまらなく好きでした。残念ポイントまとめ。①名前に執着し過ぎ。「俺はティボルト」…!レミゼの登場人物並みに自己紹介してくれる。(なのに過去の女達は髪色でしか覚えてないの?良いご身分ですね…好きです)②強さの象徴であるはずの“戦の神マルス”が、もはや彼の弱さを露呈するものに成り果てたこと。ナイフがないと何にもできないのねと煽りたくなるくらい。特筆したいのは、逆上したロミオに刺される直前、慌ててナイフを手に取るあの一瞬の隙。いつも通り“戦の神マルス”の力を借りてロミオに立ち向かおうとする一瞬のぎらつきと引き換えに隙が生まれ、結局その隙が致命的となり、命を落としてしまう残念さ。戦わなくて良いから逃げれば良かったのに。③“家の掟”から逃れられない。そんなに掟が大切なの?でも素直なところが可愛いよ〜!と客席で勝手に燃え上がりつつも(笑)、決闘だって、ロミオに刺される前にずる賢く逃げれば良かったのに。もっと言えば、ロミオより早くバルコニーまで駆け上がってジュリエットを奪えば良かったのに。でもそれをできない、不器用な生き方が好きです。
 家の掟や名前に執着したり、決闘での「誰もが自由に生きる権利など“ない”」の歌詞。モンタギューのように自由に生きられない。ジュリエットのいるバルコニーを見上げながら「俺はティボルト」って歌うティボルトと、ジュリエットと一緒に「名前に意味はない」とデュエットまでできちゃうロミオ。何もかもが対比になってるのが苦しくて、でも苦しいからこそよりティボルトを応援したくなっちゃうし…と、感情ぐちゃぐちゃにされるのが楽しいと思ってしまう、この究極の謎感情。
 「ティボルトの横暴な振る舞いは全て虚栄。刺激するとあっという間に崩れてしまうほど、実は飴細工のように脆い」、そんな好き勝手な解釈で観劇させてもらえたのも、スカイステージのDreamtimeで愛月さんがお話されていた「芝居の余白」のおかげかな。手がつけられないほとの激しさと、母性本能がくすぐられるほどの脆さを演じ分けてる愛月さんが本当にすごいと思うんです。2幕で狂気のスイッチが入っちゃうティボルトの話は次の項目で。

舞台は生物(主に2幕の決闘について)

 ほとんど魂を売り渡していた(?)B日程に続き、A日程も友人のお力や自分のチケット運のおかげで何度か観劇することができた。初見は無観客公演の中継。やば…これがA日程のティボルト…なんだこれ…と震えながら夢中で見てたのに、仮面舞踏会で突然みぞおち近く(?)まで開襟してきたので、ちょ、ちょっと待って一時停止!ああ中継だ!無理!みたいに混乱したの懐かしい…(遠い目)胸元のラメは幻覚でしたか?(違うよ)
 千秋楽は中継を見たけど、1幕冒頭のソロ『ティボルト』(名前が曲名って…ほんとそういうとこだよね、その執着具合がもはや潔いと思えるほど)の中盤、曲も気持ちも燃え上がって思わず壁に縋るシーン、この日は壁を殴る鈍いあの音がかなり響き渡ってたのも最高に滾った。やはり舞台は生物だから、毎回違って当たり前。その瞬間を見届けられることこそ幸せの極みだなぁと考えてた。
 観劇の中で1番楽しみだったのは2幕の決闘。「ロミオの心臓を抉り出してジュリエットに告白する」目的を失い、理性までを捨て去ったティボルトの暴走。この勢いが毎回違う、というか回を重ねるごとに増していく感じが面白くて!まだロミオを認識してる(?)というのかな、ロミオを倒すんだという意識が残ってる時のティボルト、ロミオを見つけた時に更にスイッチが入ったり、時には怯えたような表情で「ロミオ…」と声にならない声を発したり(この日の残像は今だに脳裏に刻まれてるほど)マーキューシオを煽る「来いよ!」がマイクに乗る音量が日に日に大きくなるのも、同じ公演を長期間上演する醍醐味…って感じで良すぎた。(大劇場で収録された円盤だと、少し控えめなのも好きです。)
 ティボルトがマーキューシオを煽りながらも笑みを浮かべているのは、まだ“余裕”があるのか、“狂気”の沙汰なのか、それとも“怯え”を隠しているのか。彼の放つ言葉が、実は全部彼自身に返ってくるブーメランになってる構成も好きです。「臆病者はお前だろ」「お友達の説教聞いて!」B日程でマーキューシオを演じた天華さんがカフェブレの中で言っていた「ティボルトに対する同族嫌悪感」という言葉は天才だなと思ったし、ティボルト自身に説教してくれる友達なんて1人もいないものね、と哀れに思う気持ちも溢れてくるわけです。もはや「モンタギューの跡取りを地獄に送り込む」ことすら忘れ、マーキューシオを刺した後にものすごい興奮状態で広場を駆け回るのに、キャピュレットの皆さんが彼をガン無視で踊り続けるのも最高に皮肉な描写だと勝手に思ってる。モンタギューの仲間達に囲まれ、支えられ、人肌の中で絶命するマーキューシオと嫌でも比較してしまうほど、冷たい階段の上で誰にも支えられずに息絶えるあっけなさ。慕われているようで誰にも本気で愛されていない孤高な存在…そんなことを考えると止まらなくなる。
 先述したドリタイで“愛月さんを慕う極美さん”の構図を学んだものあって、フィナーレで時が止まったのも良い思い出だ〜!(尊)

 皆んな健やかであれ、と劇場の片隅で密かに願う“関係性のオタク”でした。(「推し」と「推しを慕う子」とかそういうのもうダメだから、皆んな好きに決まってるから…)
 話それまくってるけど、A日程のティボルトとマーキューシオの話は、極美さんがカフェブレで話してくれたこの話が好きだった。

 宝塚歌劇団の上級生と下級生の関係性、本当そういうとこだよ、最高か!?と崩れました。

おわりに 

 振り返れば、B日程の 「死」に誘われてここまできてしまいました。作品や役に対してこんなにハマるとは…ロミジュリシリーズのnoteもきっとこれで完結です、たぶん。たぶん… というのは、好きすぎてまた突然語り出す可能性があるほどなので。140字で区切るのも楽しいけど、勢いのままにわーっと書くのもかなり好きです。過去noteも貼らせてもらいます。

 やっと私もロドリゴに狂いに行ける。マノンに溺れ、賭博に手を染め、どうしようもない青年だけど、この“どうしようもなさ”に最高に燃えるんだと思う。ナウオンで「新しい私」と仰っていた、研15の夏に愛月さんが演じるロドリゴ。今日からKAATに沢山お世話になります。“むせ返る愛の香り(超概念ですごめんなさい)に包まれ”る予定!
 以上です。ここまで読んでくださりありがとうございました。初めての観劇日から3ヶ月、まさかこんなことになるなんて。彗星の如く現れて私の思考回路の中心になってしまったタカラジェンヌを追いかける日々は、まだまだ続きそうです。


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