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宝塚歌劇における“相手役”の存在と、清々しいほどの情熱の勝利(宝塚星組『マノン』 におけるロドリゴとマノンについて)
白妙なつ副組長によるバウホール公演初日のご挨拶で表現された、“スペインの熱風”。梅雨も明け、台風も回避できた、あの天気に恵まれた暑い横浜の地に通いつめ、胸一杯で苦しいくらいに浴びてきた。宝塚の公演にこの頻度で通ったのは本当に久しぶり。きっとしばらくしてから、劇場で心を熱く燃やした日々を懐かしく、羨ましく、そして誇りに思うことになるんだと思う。ロドリゴのセリフじゃないけど、まさに「『マノン』(そして愛さん)のためなら何だってする!」状態の(笑)、熱に浮かされていた6日間が終わってしまいました。
今回は主演の愛月ひかるさん、有沙瞳さん、そして2人が演じたロドリゴとマノンについて書きます。『マノン』についてのnoteはできればもう1回更新したいと思っていて、そちらで作品全体のことや、ミゲルやレスコーのことを書けたらいいな… ひとまず今回は、夢から覚める前に…と情熱の赴くままに。
そして例の如く…もういい加減しつこいよねと思いつつも念のため…
4月に星組の『ロミオとジュリエット』で突然愛さんの魅力の底なし沼に突き落とされ、その余韻が覚めるどころか燃え上がりいきなり主演公演に通ってしまったヅカオタの目線で公演の感想を書きます。浅すぎるほどのファン歴ですが、その点だけご留意ください。バウホールに行くことは叶わなかったので、KAAT公演初日が私にとっての初日でした。
“相手役”の存在(愛月ひかるさんと有沙瞳さんについて)
宝塚歌劇における“相手役”としての概念は、公式としては「トップコンビ」以外にはありえないけれど、そうじゃない2人が1つの公演のために期間限定で相手役となり、色んな夢を観せてくれるのが別箱公演の醍醐味だと思ってる。大好きなタカラジェンヌが素敵な相手役と出会い、2人が出逢えたからこその特別な表情を見せてくれること。この何物にも替え難い多幸感は、本編で心のそこから求め合う2人を通してひりひりと実感したり、フィナーレのデュエットダンスを観ながら自然と心が潤うことで感じてた。
マノンの愛みほデュエダンあと100回くらい見たい、「求め合えれば 見つめ合えれば」をあんなに体現してるのすごいよね… グッと力強くみほちゃんを引き寄せる愛さんに何度でもどきどきするし、一瞬恥じらいのような表情を見せつつ幸せ一杯にその胸に飛び込んでいくみほちゃんのヒロイン力が完璧すぎる
— 灰 (@xxx3220amo) July 25, 2021
プログラムに記載ないけどマノンのデュエダンのカゲソロは白妙副組長よね…?心の琴線に触れるような歌声。ほんとに好きですこの場面… 神聖な空間、心の浄化、多幸感の極み!みたいな、大袈裟なようだけど実際そんな気持ちで毎回観劇してます、尊すぎて… 尊いという言葉では言い表せないほど好きです
— 灰 (@xxx3220amo) July 25, 2021
ここからは私が普段勝手に呼ばせていただいている「愛さん」「みほちゃん」の呼び方で進めます。愛さんは、ご自分の主演作品でフィナーレが付くのが初めてという事で、満を持しての今作だったと思うけど、出逢うべくしてみほちゃんに巡りあえたのだな、とにかく2人の相乗効果が凄かったな、という印象。ポスター撮影時は「死」と「乳母」だったという2人が、一生忘れたくない光景を見せてくれた。
スカステの番組で「娘役さんと組む時に意識していることは?」と問われた愛さんの「とにかく娘役さんを幸せな気持ちにする、ドキドキさせる」「娘役さんの自然なときめいてる顔を引き出す」という答え。何というか、(すみません、本当にド新参者が抱く勝手な印象ですが)愛さんって良い意味ですごく正直な人、そしてどんな時でも自分がこれまで積み重ねてきたことを誰よりも信用されている強い人だと思っています。力づくでどうにかするのではなく、自分のご経験の積み重ねにより自然に幸せを引き出すこの余裕…こんなに無敵でかっこいい回答ある?と震えました。(Twitterに書いた後、ソースに自信がなくて削除しちゃったけど、確認したらやっぱり今年5月放送のDreamtimeでした。もうこの番組は私にとってバイブル的な位置づけになっています。)
そしてみほちゃん。雪組と星組と、新人公演を含めて何度もヒロインを経験され、轟悠さんをはじめとする錚々たるスターさんの相手役を務めてきた。ロミジュリのソロ「あの子はあなたを愛している」で観客の涙を誘ってきたことが記憶に新しいほど、とにかく「歌」の人という印象が強くて、今回もKAATの3階席まで突き抜けるような美声を届けてくれた。本編の中で、ロドリゴが実家に連れ戻された時に歌われたソロの(曲名が分からなくて…!音源配信を待ってます)、「あなた」の言い方が全て違うのが好きでした。そして、そのご経験の賜物と思うのですが「ヒロイン力(りょく)」が完璧すぎて… 愛さんも仰っていたけれど「お芝居の人」でもあって。というか彼女は何でも出来る。相手役となった男役さんにとっても、万華鏡のようにこんなに色んな表情を見せてくれ、幸せな気持ちを全身で表してくれるみほちゃんが横にいたらすごく気持ちが良いだろうし幸せだろうな、ということにすら思いを馳せてしまいます。幸せのあまり思わず漏れるため息、もうプロでしたね…女の私でもマノンに惚れたし、みほちゃんに夢中になった。相手を自然に幸せにさせる愛さんと、幸せを全身で表現してくれることで相手までをも幸せにするみほちゃん。この2人の多幸感、その最たるものがデュエダンだったな。もちろん、心がぶつかり合う涙のラストシーンも大好きでした。清らかなみほちゃんの涙、涙を拭う愛さんの綺麗な手。
歌詞にも出てきたけれど、この2人は「求め合う」という言葉がすごく似合うというか。ロドリゴがマノンの手を引き寄せる時の力強さと、なかなか手を握りあえないもどかしさ。この緩急にたまらなく燃えたし、「行こうマドリードへ」ってまだ楽しそうに歌ってた頃から物語が進むにつれて、ロドリゴがマノンを抱きしめる力強さが徐々に増すのも良すぎて…!不安な気持ち、愛が募る苦しさ。物理的な力強さが感情に比例しているのだとわかる、まだ未熟で青臭い2人の様子がしんどいほとに伝わってきた。レスコーの手助けのおかげで囚われのマノンを解き放つ時、彼女に駆け寄り勢いよく抱きしめる時なんて、マノンの身体が折れちゃうのでは?と思うほどの強さと勢いで彼女を必死に彼女を抱きしめに行くロドリゴ。それでもみほちゃんの体感の強さと、あんなに可憐なのに綺麗な筋肉を拝ませてもらい、タカラジェンヌって砂糖菓子のような儚い魅力の中では鋼のような身体を持ってるんだなと改めて思わされた。マノンがロドリゴの愛を受けて背中に手を回す時、くい込みそうなくらい力強く縋りついてる様子があまりにも官能的すぎてくらくらしたし、フィエスタのシーンでマノンを奪還したロドリゴが、彼女を抱きしめながらくるっと体勢を変えて客席にお顔を向けてくれるときに、まるでこの情熱を見せつけるかのような顔つきに見えたのがたまらなかったです。2人だけの世界であるけれど、客席を置いてけぼりにしない魅せ方に痺れました。究極のラブストーリーとはいえ、数ある宝塚の名作のように直接的なラブシーンがなかったのが以外だったけれど、2人の手にかかればその有無なんてどうでもよくなるというか、それ以上のものを見てしまったというか。
作品自体については、後述するけれど私は清々しい気持ちで2人の最期を見届けられたので、悔いなく通ったという自負があるけれど、愛さんとみほちゃんのデュエダンをもう劇場では観られないんだ、あの空間を感じることはできないんだ、と思うと一気にロスになる。円盤発売が待ち遠しいです。
マノンの心を手に入れたロドリゴの情熱の勝利
ヘッダーにも設定したけれど、KAATの劇場前のガラス張りのポスターの並びが圧巻で大好きでした。こんなに艶っぽくて、どきどきさせられる綺麗なポスター。この愛さんの目線と合わせると思考回路が停止しちゃうので大変。何度見てもほんっとうにかっこいいな。どんな大人のラブストーリーなんだろうと想像をかき立てられるビジュアルでも、いざ本編が始まると、2人ともまだまだ子供。幼いからこその危うさ、無鉄砲さ、色々なものが痛いくらい伝わってくる。2人とも銃殺されるという残酷な結末を迎えるけれど、決して悲劇とは言い切れず、お互い求めていたものを手に入れられたので、見方を変えれば究極のハッピーエンドではあったかもしれないなと。
作品解説にもあるとおり、みほちゃんが演じるマノンは“自由奔放”“享楽的な生活を求める”などという言葉で表現されているけれど、私はそうも思えなくて、お金や宝石で自分の気を引こうとする相手ではなく、純粋な気持ちで自分を真っ直ぐ愛してくれる存在を求めていた、ただそれだけの事だったと思うんです。そして誰にでも優しくしてしまう“人誑し”でもあり。
(頬が熱いうちにマノンの話を連投します。140字ごとに区切るのは諦めます)タイトルロールであるみほちゃんのマノンは、公演解説にある“情熱的で自由奔放”“享楽的な生活を求める”という一面もあるだろうけど、何の目的もなく自由に誰かと恋しよう誘惑しようとか、そういう“魔性の女”の要素はなくて→
— 灰 (@xxx3220amo) July 25, 2021
ただ誰をも虜にする女性の魅力と持つ天性の人誑しであるが故、数多の男性を手玉に取ってるように見えるだけ。結果的にレスコーに金づるのように扱われたり、ロドリゴを裏切るような真似をするけれど、とにかくお金が必要だから。貴族の男性と関係を持って稼ぐのは、ロドリゴと2人で平穏に暮らすため。
— 灰 (@xxx3220amo) July 25, 2021
お金をくれるから自分を愛してと言い寄る貴族とは違い、ただまっすぐな愛だけをくれるロドリゴに彼女の気持ちも溶けていった。だからこそラストの「幸せだった…」に全てが詰まってて、少女のような無垢な表情こそ彼女の真の姿。マノンは“魔性の女”ではなく、誰かの愛を得たかった、ありのままの女性。
— 灰 (@xxx3220amo) July 25, 2021
本編中に彼女の背景が描かれてなくて、冒頭で修道院に入れられそうになって逃げてるときもお嬢様扱いされてるから、悪い家柄ではないんじゃないかな…でもロドリゴと駆け落ちした後誰も追ってこないのが不思議。色々勝手な解釈だと思うけど、壮大なドラマを見せてくれるみほちゃんへの敬意を表して✍️
— 灰 (@xxx3220amo) July 25, 2021
彼女の前では子供のようになるロドリゴと、彼の腕に抱かれて少女のように無垢な表情で息絶えるマノン。2人の間には、宝石も見返りも存在しなかった。2人で生きていくだけのお金があれば十分。(レスコーとエレーナが自宅にやってくる直前の2人の初々しさが好きでした…いやほんとに、2人が幸せに暮らしている様子って一瞬しか描かれないからね…)
そして愛さんのロドリゴ。Twitterでも面白いくらい散々「働け!」と言われていた通り、お金は欲しいけど男娼は嫌だし、だからって「賭博はどうだ?」って提案するとか正気なの?って突っ込みたくなるけれど、「働く」という概念のない貴族が親元を離れてお金を捻出しながら暮らすなんて、果てしなく無謀なことだったんだなと。
初めは「働け!」というよりも「自業自得だな」と思ってて、苦しくたってしんどくたって、何もかも自分のせいだよ、ってロドリゴを責めたくなる気持ちが強かった。賭博を提案し、マノンの“弟”になりきれなかったが故に後に2人を引き離すきっかけを作り、2回も人の命を奪い、極め付けには彼を思ってくれる大切な友人まで裏切り…そういう彼の勝手な振る舞いが積み重なって運命の歯車が狂っていくわけで… でも、そこまでして、色んな犠牲を払ってでも、彼女を愛し抜きたいんだという真っ直ぐな気持ち、そしてそれを体現される愛さんの説得力に説き伏せられたというか、何度目かの観劇で急に自分の中で大革命が起きて、そこからこの作品に対する見方が180°変わりました。歌劇の座談会の中で中村先生が仰っていた「ロドリゴの情熱の勝利」という言葉がすごくしっくりきた。確かに、自分がマノンと暮らしていた家で他の男が彼女と一夜を共にするなんて、とんでもない屈辱よね。現実的なことを考えて外野から色々言いたくなる2人だけど、そんな細かいことどうでも良いな、だって宝塚なんだから、という思いが公演終盤は強くなってた。彼女の心を手に入れた彼の情熱の勝利でもあり、2人だけの幸せを掴んだ2人の愛の勝利でもある。理性なんか捨てたって構わないと思わされる、ありえないほど直球で、良い意味で“宝塚らしい“ラブストーリーには、どうしてこんなに心惹かれてしまうのかな。
ロドリゴに対して「働け!」とモヤモヤする気持ちが完全になくなってしまった。作品に染まりきった証拠かもしれないけど、宝塚を観てる時に現実的なことなんて考えなくて良いかな、と。それよりも行くところまで行ってほしい。それこそ「マノンを愛し抜け、全身全霊で!」(結局どこまでもロミジュリ)
— 灰 (@xxx3220amo) July 25, 2021
ロドリゴの世界がいつでもマノンを中心に回っていることの自負と、自分からマノンが離れることに対する恐れのようなものが垣間見えるたびに、客席で胸を焦がしてた。彼が泣き叫ぶ最後のセリフが、息絶えたマノンに対する「どこへも行くな」じゃなくて「僕から離れていくな」で、「僕」主体なのが最高だなと思ってた。自分が投獄されても「マノン、必ず助け出す!」だし、マノンがマドリードの監獄に居ると知らされれば「マノンが監獄の暮らしに耐えられるわけない!」。とにかくマノン、僕だけのマノン。若さゆえの一途な気持ちは素敵だけど、恐ろしさすら感じるほどの盲目的な姿。
そして、ナウオンで愛さんが「私達は息絶えるので…」と早々にラストシーンのネタバレをされたので覚悟は出来ていたけれど(笑)、いや…大好きなタカラジェンヌが目の前で何発も撃たれる光景はショックでもあり、でもついにこの限界状態における愛さんの演技を見ることできるのか…とぞくぞくもして(?)、でもそのまま幕が降りるとは思わなくて、え?拍手、今…?って動揺を隠せなかった。「蜂の巣になってもマノンを助ける!」って意気込んでいたロドリゴだけど、結局ベルばらの橋の上のアンドレまでとはいかずとも、容赦なく撃たれるわけ。5発目のとどめを撃たれる前に、絞り出すような、でも甘えたように彼女に呼びかける「マノン…!」という声に、ねぇなんで今この状況でそんな声を出すの…って苦しくなりつつも、最後の最後までマノンを愛し尽くしたんだな、彼の情熱が勝ったんだな、とすごく清々しい気持ちになれた。マノンの前では絶対に降伏しなかった。千秋楽のこのシーンで、息絶える直前の愛さんに更に恋をするという展開。Twitterにも書いたけど、死ぬことなんて恐れない、覚悟を決めた最後のロドリゴの表情の変化が凄まじくて…この世にオペラグラスがあって良かった。おかげで私は、あの張りつめた無音の空間を震わすほどの、大きな愛の結末をこの目で見届けることができました。
マノン絶命後のロドリゴの泣きじゃくるような叫びからの、「銃を捨てろ!」と言われてからの愛さんの表情の変わり様がすごくて、瞳から光が消えた状態で銃を置き、優しくマノンにキスをして、決意を固めて銃を手に立ち上がる姿を観ながら、研15の今だからこそこの役に出会ってくれて良かったなと震えた
— 灰 (@xxx3220amo) July 28, 2021
ティボルトの時もそうだったけど、可愛そうであればあるほど、辛ければ辛いほど燃えるのは何でなんだろうね…両膝ついてうなだれちゃうし、涙声で焦っちゃうし、後半は息を吸う音すら悲鳴に近くて、もう…めちゃくちゃ刺さりました。苦悶の表情すら綺麗なのでもうどうしたら…これは次の項目で散々好きなだけ書きます。
お金がなくたって、ロドリゴもマノンも沢山着替えてくれるので(笑)、2人の衣装コレクションも楽しかったな。プロローグから本編、フィナーレ、そして最後にもう1着…愛さんとみほちゃんだけ真っ白な衣装で出てきてくれるので、まるで昇天時のトートとシシィのような2人の並びが好きでした。
“私の好きな愛さん”を好きなだけ語らせて
今作の愛さんについて好きなだけ書きます。Twitterの延長です。もう何にも遠慮しない、字数を気にしなくて良いなんて最高だ〜!
まずプロローグの登場から最高だったわけで、抜群のスタイルを惜しみなく見せてくれるマタドール風衣装で登場する愛さんは、眩しいほどの主演のオーラを纏ってて。腰の位置が高い、脚が長い、指先も含めてシルエットの時点で完璧、お顔も綺麗…!正直、私の目で受け止められるだけの輝きを超えていて、初日はお姿に焦点を合わせることすら難しいと感じるほど。突撃レポートでこのシーンを「ぞくぞくする」と仰っていた愛さんに、ピンスポが当たり、照明のおかげで1本の道が現れて、思い出すだけでこちらもぞくぞくする幕開きだったなぁ。私は愛さんの目線の使い方が本当に好きで、獲物を捕らえるような目線を客席に放ったり、ちょっと余裕のあるような目配せをしたり、黒目と白目のバランスを駆使されるあのプロの職人芸をこのプロローグで1番堪能させてもらえたと思ってて、全身のスタイルもしっかり目に焼き付けたいし、心まで掴まれて仕方ない目線も追いかけたいし、すっごい贅沢な時間だった。
そして、主演ってこんなに出ずっぱりなの…?ってびっくりするほど。大好きなタカラジェンヌをこんなに長時間拝めるなんて、幸せの極みでした。
今回、愛さんの後半の涙声にものすごく心を持っていかれつつも、伸びやかな歌声が更にパワーアップされて、天井の高いKAATの劇場内を包んでくれた時の鳥肌は忘れられないし、先月号の歌劇の中で「喉が強い」と仰っていたのはこのことか…!とブレない強さに感動したり。
どうしようもないおぼっちゃんなのに、とんでもなくかっこよくて、その最たるものがカジノのシーン。垣間見える“抜け感”がたまらないです。激しい振りと、テーブルに両手をつく瞬間の“ため”。その時に胸元で揺れる十字架のネックれるの罪深さよ…前述したとおり、みほちゃんを引き寄せる時の緩急の付け方もさすがだったけど、ロドリゴの余裕がない時と、遊びがある時との差の付け方に、もう抗えないほど夢中でした。「神様、7を出してくれ。ロドリゴに慈悲を」のセリフに続き、サイコロにふぅっと息を吹きかけるなんて、こんな色っぽくて最高な仕草ある?最高すぎて心臓止まるから…男役ってほんとに罪深い。
そして、なんというのかな、愛さんの伏し目がちな視線、綺麗な顎のライン、そして首すじ!胸鎖乳突筋というやつです!この連続した要素で構成されるビジュアルがすっごいツボです。(ロミジュリの歌唱指導のラストの、目を閉じ胸に手を当てて上を向かれる時のあの構図です…細すぎるけどどうにか伝われ…)フィエスタの終わりで暗転する直前の立ち姿に、1幕ラストの屈辱で苦しそうにうなだれる姿も、2幕のカジノで後ろでに捕らえられてて顎が上がっちゃう姿も。いやもう…どんな瞬間でさえ絵になるってすごいんです。
散々語り尽くしたところで(笑)、ちょっとだけ真面目モードに戻ります。
研15の男役が「足し算」で見せる新しい姿
19歳のロドリゴを演じ切った愛さんの魅力は、なつ副組長がKAAT千秋楽で表してくれた「多彩なタカラジェンヌ」という言葉にも含まれていると思っていて、348歳を演じたこともある愛さんがこれから107歳の役に出逢うことになるとしても(いやほんとに話の内容が異次元すぎるでしょ)、「多彩」というのは個性的で強烈な役を演じた経験だけがいうのではなく、その作品ごとに求められている姿に憑依できることを言うのかな、と思います。まさしく、なつ副組長の「この純粋な青年が…」と仰っていたように、こんなに素直で危うくて、喜怒哀楽の感情のメーターが振り切れちゃってるほどの存在に出会えるなんて。耐える芝居だなんてとんでもない、ナウオンで仰っていたとおり「足し算」ってこういうことなんだなとよく分かった。それでもただのわがままなおぼっちゃんになるのではなく、こんなにも観客の心を動かしてくれたのは、やっぱり愛さんが醸し出されていた“男役の美学”をそこかしこに感じていたからだと思う。
バウ公演の初日が明けて、しばらくしてから掲載されたどこかの記者さんの劇評に、「もっと下級生時代に見たかった」とあったのが気になってて、自分の目で確かめたいなと思って迎えたKAAT初日でした。百聞は一見にしかず、良い意味で印象を覆されました。贔屓目だけど、愛さんに演じられない役はないのでは。もっと若くたっていい。思春期で気持ちが更に不安定な時期の役でさえ、きっとものにしてしまうのだろうな、見たい作品がどんどん湧いてくる。「ファンの方々も見たことのない新しい私」と表現されていたけれど、長くから応援されている皆さんの目にはどう映ったのだろう。
おわりに
『ロミオとジュリエット』で愛さんにすっかり恋焦がれるようになってしまってから、未見だった過去の公演映像の録画を見るたびに、ああもう無理だな、素敵すぎてどうしたら良いかわからん、ってお手上げ状態で毎回思考停止してたし、『エルアルコン』なんて好青年のルミナスがキャプテンレッドになるのを見届けるまでに一時停止しすぎて(?)何日かかったことか… そんな状態でKAAT初日を迎え、勿論初日は(有難いことに前方席だったこともあってもう何が何だかわからない感じではあったけれど)まだ見ぬ姿に心臓が高鳴りすぎてどうかなりそうだったけど、観劇を重ねるたびに、あんなに感情むき出しに舞台上で命を燃やす愛さんに夢中になり、自然と物語の世界へ誘ってもらえていた。あんなに「無理… 好き… 」って狂ってたロミジュリ期間が懐かしくなるほどです(爆)公演が終わる頃は、心してロドリゴの生き様を見届けたいという気持ちが強くなっていたようです。
KAAT公演の千秋楽のご挨拶で愛さんが仰っていた「心と心がぶつかった瞬間に生まれる空気感」を劇場で体感できた喜び。これに尽きます。そして、以前から尊敬して止まない素敵なフォロワーさんからいただいた「愛さんの舞台は“宝塚が大好き”という思いが伝わってくる」という言葉。私の中でお守りのように熱く、眩しく残っています。愛に溢れたこの日々がこれからも続きますように、そして大好きな“愛みほ”の並びをまた観られる日がきますように。このnoteの結びとして、強い願いを込めて。ここまで読んでいただきありがとうございました。
※8月某日追記 この公演についてもう一回更新したい…と前述しましたが、8月3日午後の星組退団者の発表を受けて大きく状況が変わってしまったので、勝手ながら心の中に留めておくことにします。またBlu-rayが発売されたら、『マノン』についてTwitterなどでお話できたら良いなぁ。この熱風の余韻に身を任せて、しばらく浸ることができたなら。そんな公演でした。