椎名林檎『虚言症』まとめ
I Am a Liar
デビュー前の高校生時代に制作された楽曲。この曲の歌詞は、当時ニュースで見た自分と同い年の女の子が線路に寝転んで自殺を図ったという衝撃的な出来事からインスピレーションを受けたものだった。もともとは「私はあなたのためにも歌うことが出来る」と、純粋に相手を激励する意図を込めた曲で、『大丈夫』という相応しいタイトルがつけられていた。しかし、アルバムに収録されるまでの数年間、椎名自身の成長に伴い、自死を選ぶ人に向けて素直に声援を届けるといったメッセージ性に猜疑心を抱き始めたのか、あるいは過去の自分のウブさに対し羞恥の気持ちが芽生えたのか、タイトルは皮肉とも取れる『虚言症』に変更された。また、アルバムの最終楽曲『依存症』とも巧く対がなされるように構成されている。
「虚言症」とは、たとえ悪気がなくても空想の物語を広げて事実とは異なることを言ってしまう症状のことを指す。曲を書いた当初は深く考えずに持っていた本楽曲の目的やオーディエンスも、アルバムがリリースされる頃には全く意味を持たなくなってしまったのだろうか。
しかし何故にこんなにも 眼が乾く気が するのかしらね
黄色の手一杯に 広げられた地図には 何も何も無い
自殺に追い込まれるほど悩める若者に多く共通しているのは、未来への不安だと思う。血眼になっても自分の体をいっぱいいっぱいまで酷使しても、将来を指し示してくれる図が見つからない。
そして何故に雨や人波にも 傷付くのかしらね
魚の目をしている クラスメイトが 敵では 決して決して無い
漠然とした不安感は、気候や周囲の環境でさえ肥大化の要因になりうる。同級生から死んだ魚のような冷たい視線を受けようものなら、それはナイフよりも鋭い武器になりうる。しかし、それは決して敵からの無差別な攻撃ではなく、彼らもまた同じように悩み、ほかの多くの魚たちに吞まれそうになりながらもひっそりと生きているだけなのかも知れない。
線路上に 寝転んでみたりしないで 大丈夫
いま君の為に 歌うことだって出来る
例えば少女があたしを 憎む様なことがあっても
摩れた瞳の行く先を 探り当てる気など 丸で丸で無い
摩(す)れる:世間になじむ。 また、世間でもまれて純粋さを失ったり、悪賢くなったりする。
ここでさびで繰り返された「君」という限定的な代名詞ではなく「少女」という不特定な人物を指す言葉を使用しているのは、曲を書いた当初の椎名にはまだ「ぼやけた対象」しかいなかったからだろう。そんな「少女」から発せられる、無垢さを失った失望の視線を一緒に追う勇気は若干16歳の本人には当然なく、憶測の域を超えることはできなかった。しかし、21歳になりアルバムを制作する頃には、その瞳が向かう先が痛いほど明確に見えるようになってしまい、それは虚構にでもしない限りあまりにも現実的過ぎて、とても恐ろしいものだと気づいたのだ。
髪の毛を誘う風を 何ともすんなりと 受け入れる
眩しい日に 身を委せることこそ 悪いこととは云わない
思春期特有の拗らせや、常に付きまとう憂鬱さを一度で払拭するのはとても難しいことだが、未来への不安に押しつぶされそうな時こそ、今この瞬間に精神を集中させ、成り行きに身を委ねることも重要である。この事実に気づき、それをしっかり提案までしてくれる椎名の大人びた優しさには、思わず心を揺さぶられる。「雨」に「傷付く」のと同様に、「眩しい日」には肯定的な気持ちになれる気がする——そんな自然の表裏一体性と人間の単純さに改めて気づかされる。
曲全体を通してだが、終盤にかけてメッセージの前向きな姿勢が加速しているのが分かる。16歳当時の椎名と同じ境遇にいるような若い聴き手は歌詞をダイレクトに受け取ることができるし、一回り以上年齢が上の聴き手はそのアイロニ―を理解し各々の解釈が可能になる。
おまけ
デモテープ:『大丈夫』
ライブ映像(2015): 「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」収録