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Can't Breathe-それは僕であり、僕らなんだ

僕は熱烈野球少年だった。所属する野球チームの練習が終わって、くたくたになった帰り路。13歳くらいのことだったと思う。いつもの帰り道とは別のバスに乗って野球の道具や練習着の入った大きなカバンとバットを持って僕は家に帰る途中だった。僕の家は貧しかったから、練習道具をなんとかMomと教会の寄付でどうにか買ってもらった。僕にとってはそれは宝物だったんだ。僕は練習道具はいつもピカピカに磨き上げてカバンに大切にしまっていた。

あまりにお腹が空いていたので僕はバスを降りて近くにあったコンビニエンスストアに立ち寄ったんだ。ブロンドの女性がジョギングしていたり、毛並みの美しいゴールデンレトリバーを連れたブロンドの男性がコーヒーを買っていた。僕の育った街とは違う雰囲気。

Snickersとポテトチップスのどちらにするかを迷った後、結局僕は少ないお小遣いでSnickersを買った。アジア系の店主が無愛想にレシートを手渡す。お店を出ると3台の車がコンビニエンスストアの前に停車した。警察のパトカーだ。この近辺で何かあったらしい。僕にとってはそんなことは日常茶飯事だ。とにかく僕はお腹が空いている。今買ったばかりのSnickersを取り出そうとポケットに手を入れると、「Freeze! (動くな!)」と警察が叫ぶ。僕は後ろを振り返った。僕が今出てきたこのお店で何か犯罪が起きたのだ。僕は早くその場を離れようと階段をジャンプして降りた。警察は「I told you FREEZE!」と言う。僕は振り返る。僕以外に誰もいない。僕は理解した。警察は僕に言っているのだ。13歳の僕は怖くなってきょろきょろとあたりを見回した。すると大きな体の警察官が僕に飛び掛かってきたんだ。一人じゃない。4人か5人だ。全て大人の男性だ。アメフト選手のような体をしている。僕はコンクリートの道になぎ倒され、押さえつけられ、両腕が折れてバラバラになってしまうってくらい捻られ、後ろ手にされた。背中に膝が押し付けられ、息ができない。I can't breathe.

パニックになって叫んだ。抵抗した。何をするんだ!僕が何をしたって言うんだ!抵抗も空しく13歳のやせっぽっちの僕はもちろん動けなくなった。僕の捻り上げられた腕を背中で押さえつけたまま、警察は言った。お前に窃盗の容疑がある、と。僕は何を叫んだか覚えていない。でも僕は何も盗んでいないと言ったと思う。盗んでいないのだから。僕はゲットーキッズだったけれど、物を盗んだことなど一度もない。警察は僕のポケットに手を突っ込んでまさぐる。僕の同意もなしに僕の体中を触る。気持ち悪い。涙がぽろぽろと流れてくる。僕の体が赤の他人に、同意もなく触られる不快感。蹂躙される屈辱を僕は13歳で初めて知った。僕の肌が白かったら知ることのなかった屈辱。別の警察官は僕の大切な野球道具の入ったバッグを乱暴に開け、中に入っていたグローブ、タオル、グローブを磨くワックス、水筒、そのほか僕のお気に入りのキーホルダーを次々に薄汚れた道端に出していく。

警察官は僕のポケットから今買ったばかりのSnickersを握りしめながら「これはお前が買ったのか?」と聞く。僕はそうだという。警察官は0.99セントのSnickersのレシートを見つめる。そんなに長く見なくても、レシートにはSnicekrs 一本分$0.99としか載っていないのに。「You may go. (行っていい)」と彼は言う。僕が大きなカバンとバットを持ってコンビニエンスストアに入ってきたため、この店のアジア系店主が僕が窃盗していると通報したらしい。僕が警察官にとってガラクタ同然のもの、僕が大切にしていたグローブやユニフォームしか持っていないと確認すると警察は去って行った。僕自身もその警察官にとってはガラクタ同然だったのかもしれないね。ちなみに僕が買ったSnickersは警官に押さえつけられたり警官が握り絞めたりしたのでふにゃふにゃのボロボロになってしまった。Damn it.

僕は押さえつけられ、パニックになっている間にも二人の警官が僕に銃を向けているのを見たんだ。13歳のやせっぽっちのアフリカンアメリカンの少年にだよ。

アフリカンアメリカンの男であるというのはこういうことなんだ。アフリカンアメリカンの少年であるということはこういうことなんだ。George Floydの事件は僕に起きても、僕のいとこに起きても、近所に住むJeremiahに起きてもおかしくないことなんだ。彼は僕等なんだ。生きているだけで犯罪を疑われ、屈辱的に身体を貶められることが許され、そうすることに良心の呵責が働かない対象。僕らの肌がその色をしているだけで、犯罪をきっと侵すだろうという無意識の前提を多くの人が持っている対象。

君と同じ肌の色をした人たちやブロンドの髪をした人たちは、僕らの住む街には怖くて近づきたくないと言う。優越感を持って。あんなところには住めないわと。僕だってブロンドの女性がジョギングしていたり、毛並みの美しいゴールデンレトリバーを連れたブロンドの男性がコーヒーを買っていたりするような街には住みたくない。僕に起きたようなことがいつまた起きるかわかったものじゃないからね。そういった場所で僕は僕の肌の色をした人たちの権利、そして命は守られないこと、僕らの大切な権利や命は彼らにとってガラクタ同然に扱われるということを13歳の時にしっかり学習した。

George Floyd事件によってアフリカンアメリカンが権利を主張するのを見て、いつまでも被害者意識でいるって言う人がいる。そんなに怒って何がしたいの?って一向に理解しない人がいる。それは僕等が子供の頃から繰り返し体験してきた僕におきたような体験を知らないから言えることなんだ。今生きるアフリカンアメリカンの少年が体験することを知らないから言えることなんだ。未来に生まれてくるアフリカンアメリカンの子供が体験することを知らないから言えることなんだ。

でも僕はそういった人たちに怒りや不満は持っていないよ。全く。でも僕は輪廻転生を信じている。いつかアフリカンアメリカンとして生まれ変わって、コンクリートに押さえつけられ。体中を他人に触られ、存在自体を犯罪のように扱われ、銃を向けられて、初めてその感覚を知るってこともあるんじゃないかなって思う。僕が裁かなくたって、大きな仕組みはしっかりと働いているんだから僕は僕を大切にするだけでいいんだ。

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