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黒人のパートナーになると

質素倹約が身についている。足るを知り、身の丈にあった生活をする。私にとっては息をするように自然なことであり、努めてそうあろうとするのではない。私の最も心地良い状態を体現している状態を表した言葉が質素倹約なのである。こんな様子をみた友人からは私はかなり貧しいと思われているようである。とくにひと世代上のお姉さまたち、バブルを経験し、そのバブル臭が腋臭の如く染みついた方たちにとっては、大層滑稽なことなようである。身の丈以上のものを得ること、そしてそれを周囲に孔雀の如くきらびやかに、そして艶めかしく狡猾に勿体ぶりながらも披露することこそが高度な文化であると信じて生きてきた彼女達にとっては私の価値観は到底理解できないものであろう。私が貧しいと思われていたのは、私が質素倹約的な生き方をしているからだと思っていた。ところが、そうではないことが最近わかった。私が貧しいと思われていたのは、なんと、私のパートナーが黒人だったからである!

と新しい大発見であるかのように書いてみた。これは日の目を見るより明らかなことである。ユーモアと皮肉を盛り込んだ表現であることは記しておこう。

私は黒人と結婚した。正確にはアフリカンアメリカンと表記すべきだが、便宜上黒人と表記する。黒人のパートナーを持つということは、かなり極端な言い方をすれば、被差別者として扱われることとセットである。私の友人の頭の中に、黒人=貧しいという方程式が成立しており、お酒を飲んだ際に、ある会話の流れで彼女の中にある方程式の解がふと発露された。そこで、あぁこの人は黒人に対する偏見を持っていて、その延長上に私を見ているのだなと気づいたのである。実際にどれだけの資産があるかを説いて彼女の方程式の解を否定しようとするような幼稚な努力は無駄である。

パートナーとの結婚生活の中で、驚くほど頻繁に言葉を失うような質問を受けることがあった。

あなたの夫は銃を持っている?あなたの夫はドラッグをする?あなたの夫はギャンブルをする?あなたの夫は高校を卒業している?あなたの夫は無職の怠け者?あなたの夫はあなたを殴ったりしない?あなたの夫は婚外子がいる?あなたの夫はセックスアディクト?あなたの夫はHipHopを聞いている?あなたの夫はギャングのようなファッションをしている?あなたの夫は頭が良くないでしょう?

正直こんな質問は下賤ではなかろうか。私のパートナーが白人だったらこの様な質問をされただろうか。私は思う。これらの質問は純粋な質問というよりすでに質問者の中で期待する答えがあって発せられる薄汚い好奇心に基づく質問である。それは「そうに決まっている」という前提に基づき、私に質問することで質問者がもつ黒人への偏見に間違いがないという事実確認をする意図があるとすら言ってもよい。黒人本人には聞けないけれど、日本人である私であれば冗談の延長で聞いても許されるという助平な魂胆が透けて見える。

私の思い込みだと思う人もいるかもしれないが、これは当事者でなければその見え透いた魂胆を感じ取ることは難しい。このことを感じるのはロジックや理論では説明できないものである。言語を超えて伝達される可視化しない文脈というものがある。そしてその先には黒人のパートナーとして生きる異人種の人間の苦労話が期待されていることもある。

とはいえ、これらの質問は意図的に私を不快にするために発せられた質問であるとは言い切れない。それはただ、純粋に質問者が浴びてきた情報によって形作られた無意識の疑問が形になった結果であると考えている。浴びてきた情報とは、加工され、どちらかの方向に偏重され、情報の作成者の主観を通して多くの人に伝えられた情報である。昨年アメリカの恥部である根強い人種差別が改めて露呈してもそれでも、それはどこか他人事であり、自分がまさか差別意識を持っているなど疑いもしない、正義と人道援助を掲げる素晴らしい人達がそのようなことを私に問うてくるのである。

幸か不幸か私は子供のころから相手のあけすけな部分に出会うことが多い。気が許せる仲になると、貴族のように美しい衣服に包まれ、都会的な洗練された会話、正義感と使命感に溢れる立派な姿を丸裸にしてその人の本来持つ心の核心に何が隠されているのかを恐れ多くも見せてもらえることがある。先ほど挙げた私が浴びせられた質問は、人が聞きたくても普段社会的に不適切として聞くことのできなかった、黒人に対する好奇心を表すのに十分な質問の例である。そういう心の奥底に眠っているものがふとした瞬間、例えば酩酊しているときなどに浮かびあがってくるのである。

実際に黒人のパートナーとしてこれらの質問をされるとき、いかに質問者の黒人、とりわけ黒人「男性」のイメージが偏っているかを思い知らされる。実際に質問事項にあてはまるような人も存在することは認めるし、数にすれば当てはまらない黒人の数を上回る可能性は高いことは否定しない。最近はメディアで流される黒人像を見直す動きが強く、家庭的で高学歴、社会的ステイタスの高い黒人像も多く見かけることが出てきた。しかし、過去何十年にもわたって丹精込めて丹念に刷り込まれてきた既存の黒人像は昨今の新たな黒人像を凌駕し、人々の意識はそう簡単に新たな黒人像を受け入れるほど柔軟ではない。

メディアがどう黒人像を放映しようと、現実として私のパートナーはこの質問のどれにも当てはまらず、質問されたことにノーと回答すると、明らかに落胆するひとに出会ったことは数えきれない。人々はどうにかこうにか自分の持つ黒人像に当てはまるイメージを私のパートナーにも当てはめようとしてくる。それは彼らのイメージが偏重していることにも起因することはもちろんだが、彼らの根底に流れる「黒人と結婚する女など不幸に違いない」という人の不幸を喜ぶような精神のあり方が露呈した結果ではないだろうかと私は考える。また恐ろしいことだが、黒人は元奴隷なのだから野蛮で粗暴であるはずだ、そして彼らが私たちよりも優れているはずがないという考えを持つ人が白人に限らず私と同じアジア人、同胞である日本人にもいることを私は体験から知っている。あるまじきことであるが、元奴隷どころかいまだに黒人は現在進行形で奴隷だと考える人がいても驚きはしない。ちなみにパートナーは博士卒の高度専門職に従事しているが、それを知るとある人は「黒人の癖に頭がいいのね!」とお褒めくださった。深謝しようではないか。

私がパートナーがこのどの質問に当てはまらず、人間として世界で一番尊敬できる人であることを伝えると、多くの場合、質問者は笑みを浮かべながらも困惑を隠しきれない。口先では「そうよね、幸せでよかったわ」と笑顔を見せているものの、それ以上何を聞けばよいのか困惑している様子が見てとれる。私は口には出さないが、あなたの質問したことにばっちり当てはまる白人や日本人含むアジア人だってどれだけ多いかご存知ですか?と心の中で聞いてみる。そして「あなたのパートナーはどうですか?」と聞いてみる。

あなたの配偶者はあなたを心から愛し尊厳をもって接してくれますか?もしあなたの配偶者が非黒人であなたを家政婦のように扱い、暴力と暴言によってあなたの精神的・身体的自由を抑え込もうとするのであれば、奴隷という概念は人種に当てはまるものではなく、関係性に起因するものではないでしょうか?と心のなかで問うてみる。現代社会においてあなたが黒人でないからといって、あなたは奴隷でないとは限らない。

また驚かされるのが、この質問をするのが非黒人(白人、日本人含むアジア人、ヒスパニック等)だけでなく、黒人からもこのような質問がされるのだ。黒人ですらも自分たちをこの中のどれかに当てはまることを無意識に当然としているのではと思わされずにはいない。

私は黒人のパートナーとして受けた質問によって傷ついていると言おうとしているのではない。無意識かつ、純粋で無遠慮で偏見に満ちた質問であることは事実であるが、重要なのは、このような質問を投げかけるということは自らの無知さ、思慮と想像力の欠如、そして特定の人種に対する偏見を露呈することにつながり、それは人種主義者であるととらえられてもおかしくはないということである。純粋無垢に発しようとしている質問は、自身を無知で偏見に満ちて無教養な人間であると自分から宣言してしまうようなリスクを孕んでいるのである。数として質問しようとしていうことに当てはまる黒人が多いように感じるからといってそれが全ての人に当てはまるとは限らない。

それらの質問は本当にあなたの頭の中から出てきたのか?本当にあなたの頭がひねり出して出てきたのか?全身を使い、「本当」を知る努力をしたか?その努力をしていないのであれば、借りてきた考えを自分のものとして勘違いしてはいないか?
この視点がないと、無意識に、間接的に、人種差別に加担することになる可能性を秘めている。

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