Crackheadだよ。Crack  Headじゃないよ。

Crackheadって聞いたことないって?笑える。君の行っていた学校の教科書に絶対出てこない単語だよ。Repeat after me, Crackhead! Crackhead!なんて学校でやってるところ想像したら笑えてきたよ。まさかそんなことはどう間違っても起きないけどね。

Crackheadってのはドラッグ中毒者のことだよ。コカイン中毒。君がこの言葉を大人になるまで知らなかったってことは健全に育ってきたってことの証だよ。誇りをもっていい。僕たちのコミュニティでは「Every family has at least 1 crackhead」って言葉があるくらいCrackheadは身近な存在だったんだ。僕の場合も例に漏れずそう。時に僕の育ったHoodでは日常の一部だったよ。小学1年生くらいの子供が道にいるちょっといっちゃってるやつを見てHe is crackheadってわかるんだから。そういう概念って君が子供のころに育った社会にはなかったんじゃないかな。

僕の場合は血のつながる父親がMr. Crackheadだったんだ。親戚でも友人の家族でもなく血のつながる実の父親。父はとても頭がよくて裕福な家に育ったんだ。祖母はビジネスをしていて大学までずっと私立に行っていた。当時の僕らの人種の中では珍しいほうだったと思う。特に男で裕福な家庭に育ち、大学まで出た人はかなり珍しかった。でも彼は与えられたギフトをうまく扱えるほどの器がなかったんだね。学生の頃からドラッグにはまり僕が物心つくころには完璧な中毒者だった。仕事ももちろん使いものにならないからすぐにやめるかクビになっちゃう。祖母から与えられたお金はすべてドラッグに使ってしまい、僕たちが暮らしていくための生活費までドラッグに使ってしまうから僕たちはものすごく貧しかったんだ。彼にとって僕ら家族の優先順位はドラッグより低かったんだね。言葉では家族が大切だっていうよ。でも行動は全く真逆だった。ドラッグを得るためなら僕の三輪車や妹のバービー人形すら売り払っていたからね。

それでも僕は父のことが大好きだったんだ。子供にとってCrackheadであろうと唯一の父親なんだから当然だろ。僕のおもちゃがなくなってハイになってぶらぶらと毎日なんの生産性もなく生きている人間でも、僕は父と過ごす時間がお気に入りだった。彼はCrackheadだったけど、なぜかいろんなことを知っていた。科学や政治について。スポーツについて。バスケットボールのシュートのうまい打ち方。歴史について。哲学や宗教について。家の修理の仕方。そしてこの世の仕組み。僕はCrackheadだとしても父のことは誇りに思っていたんだ。だっていつも何か学びを与えてくれるからね。新しいことを学ぶことは僕にとって最大の刺激だった。

母が父と離婚したあとも父は時々僕と妹に会いにきてくれていたんだ。僕はその日がいつも待ち遠しくてソファの上から割れた窓ガラス越しに見えるストリートを毎日毎日眺めて、父がいつ来てくれるんだろうってわくわくしながら待っていたんだ。Momに次はいつ来るのと聞いてもわからないわって言うんだけど、僕は毎日、きっと明日は来てくれるって信じて毎晩ベッドに入るんだ。

父が来てくれた日は僕は飛び上がるほど嬉しくて、夜も眠れないくらい楽しかったんだ。一緒に遊んでくれるだけで僕はもう世界は光に包まれているかのような感覚だった。僕は何もいらない。でもなんの前触れもなく現れるのと同じで、父は何の前触れもなく僕の目の前から消え去るんだ。またね、という挨拶もなしに。それは僕にとって喜びが大きかった分、落差が多きすぎて自分の感情をどう扱ってよいのかわからなくなってしまったんだ。天国から地獄の底へ突き落されるような感覚。世界が色彩を帯びていたのに、急にすべての色彩が失われて白と黒の吹けば流れてしまうかのような砂の世界。父が消えてから高ぶった嬉しさが急に喪失感に変わりしばらく何も食べたくないし何も話たくないし何も考えられなくなった。自分の感情が自分の体から抜け出してしまったみたいな感覚になるんだ。文字通り僕は感情のジェットコースターに乗せられていた。

それでもしばらく時間がたつとまた父は来てくれるんじゃないかって待つようになるんだ。あの父と過ごす最高の楽しさと喜びをもう一度味わいたいと願って。もうこんなさみしさや辛さは味わいたくない、と願って。僕はあの喜びの中毒になっていたね。こういうことが小さい頃から続いていたから僕の幼少期は感情の起伏の激しい子供だった。苦しみと喜びが絶えず交互に襲ってきて僕を両極端の気分にさせるんだ。それは普通の日常にもなんだか晴れない悲しい気持ちがあって泣こうとおもっていないのに涙がでてくるような日々だった。

でも今はわかるよ。僕は外的要因によって僕の感情を振り回されることを許していたんだ。父という外的要因によって究極の喜びと究極の喪失感に振り回されていた。いつしか大人になるにつれて僕はこの感情のジェットコースターから自分から降りることにしたんだ。僕の感情は僕が決めなければ僕は自由になれないと。僕はこの苦しみから逃げることはできないのだと。これは父が教えてくれた最大のレッスンだったかもしれないね。世の中の父親みたいなことはしてくれなかった父だけど、幼い僕にそのことを気づかせてくれたことにはとっても感謝してる。






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