歳を取った顔
今年で海外に住むようになって10年だ。まだ10年かという気もするし、もう10年かという気もする。アメリカかぶれした日本人ほどアメリカ人をわかっていない、というのは持論だが、一丁前にアメリカかぶれが板についてきた。アメリカに来た頃は20代半ば、繊細で傷つきやすくこまやかな神経をしていた。それは10年前の写真を見ればその若く未熟な感性は顔つきにでている。最近の写真を見てみると、もちろん加齢に伴いしわもたるみもしみもある。しかし10年前にはなかった貫禄というか、動じない岩のような存在感が醸しだされている。不思議と10年前の若い自分よりも今の写真に写る自分の顔が良いと思うのである。
最初の5年ほどは日本に帰りたくてたまらなかった。なんという人生の間違いを犯したのかという思いがいつもどこかにあった。親元、友達、親戚、見知った旧知の心地よい人間関係の中ですでに構築されたネットワークを活用して生きていけば何も恐れるものも不安になることもなかったのに、恵まれた環境を、安心安全を、すべて置き去ってきてしまった。アメリカにはパートナーしかいない。頼れる人は彼のみである。なんと心もとなかったか。大海原に放りだされたかのような。世界に置き去りにされたような。海外に於いて、私を私として形どってきた肩書や経歴は全く意味はなさない。私などなんの存在価値もないと感じていた。よく、私がアメリカのド田舎で孤独の地獄の中にいたとき、私のことなど知らない人ばかりの中で、私が死んだら誰か思い出してくれるのだろうか、なんて思っていた。生きながらにして死んでいる。肉体は生きているが、私という人格は誰とも関わりあいのない生活の中で死んだも同然であった。その後悔と苦しみは自分の心を蝕むのに十分であった。人を呪い、自分を呪い、神などいるものかと、自分の人生を嫌悪した。
しかしそんな苦しい時を過ごしても、今、自分が立っている場所を見ると、その決断は誰がどう言おうと正解であると断言する。よくスポーツ選手や有名人が言うではないか。小さい頃からスポーツ選手になると知っていた、と。スポーツ選手になりたかったのではなく、なると。こんな一介の会社員である凡人の私でも同じことが言える。小さい頃から海外に行くことを知っていた。海外へ行きたかったのではなく。小さい頃から大好きな地元へとどまろうとしても人生の大きな選択の時、なぜか運命は遠くのほうへ、海外へ、と私を運んでいく。心のどこかでその直感を打ち消そうとも、私は地元にいるのだと自分へ言い聞かせようと、海外へ行く切符が目の前に現れるのだ。不思議なものである。喉から手がでるほど海外に留まりたい人はいくらでもいるし、それを実現させる縁・力・頭脳、すべてが揃った人もいる。それなのになぜかそれが実現しない。一方私には何の縁も力も頭脳もないが、いくら地元に留まろうとしても海外へ行くように運ばれていく。
私の持論だが、行くべき道に進むとき、道は開けている、と思っている。それに逆らおうとするとき、道は茨の道と変わる。私は地元に留まろうとすればするほど苦しい環境に置かれた。しかしアメリカに来るのに何の苦労もなく、すべてが奇跡のように高速で進んでいった。行くべき道だったのだ。
しかし最初に述べたように、最初の5年は後悔の連続であった。日本へ帰ることも何度も考えた。しかしその不安を払拭するように置かれた環境でベストを尽くし続けた。愚痴を言わなかった。不安につぶされそうになりながらも前を向き続けた。その結果得たもの。それは信仰である。これは何にも勝る。どんなものより揺るぎないもの。これさえあれば生きていけると思えるもの。私は生きているのではなく、生かされているのだと思いながら生きることの喜び。家族や友達を越え、人知を超えた存在に守られ導かれながら生きていることを知ること。それを知りながら生きることはなんと力強いことか。人生はその存在によって采配され、その大きな手のひらのなかで私は生きている小さな存在であると気づくこと。こんな弱くなんの秀でたものもなく、神などいるものかとやさぐれ冒涜した自分ですら許され、導かれ、ここにいるのだと気づいたとき、私は神の存在を知ったのである。信仰を得たのである。
今私はすべての面で恵まれている。地元にいた頃には想像もつかなかったほどに。物理的にも精神的にも。なんの縁もなんの力もなんの特技もなく、こんなに恵まれているのは私ががんばったからではない。全て与えられているからである。あの暗闇の中にいた5年間を経たからこそ今あるこの恵まれた環境、そしてそれを手にしている奇跡に思いを馳せるとき、それは私一人の力で成しえたものでは絶対ないと言い切れる。なにか大きな力が力を貸してくれた、導いてくれた、知恵を与えてくれた、チャンスを、人を、強さを、必要な時に必要なだけ必要なものをを与えてくれた、その愛に溢れる深い優しさがあったからこそ今私はここにいて、孤独の中で培った感性によってその大いなる恵みを感じることができるのである。
もし地元にとどまり、親に守られ、すでに出来上がった保護網の中で暮らしていたらきっとその偉大な存在にいつもどこにいても守られ愛されていることに気づかなかっただろう。絶望的な孤独の中にいたからこそ、頼りなくも、確信できない、けれど、確実に存在するその見えない力の輪郭が現れ、そのことに気づく感性を培えたのだと思う。そして海外へ運んで行かれたのはきっとそのことに気づくために私の人生は計画されていたのだろうと思う。信仰を、神の愛を知るために。
姿も形もない。私の信仰するものはほかのひととは違うかもしれない。でも私には私の信仰がある。ゆるぎなく、岩のように固く、動くことのない信仰が私の体を貫いているのである。最近取った写真を見る。それが10年たった今の私の顔に現れているのかもしれない、なんて思う。