【楽曲語り】WILD BRAVE・前編〜誰もが加速の時代を生きている【まいにちFinally・day33】
告知
3/21(火・祝)の21時より、Twitterスペースにて#ドル談 ラジオにゲストで出演いたします!
当日はもちろん、3/26の生バンド編成ワンマンライブに向けて、Finallyの魅力をご紹介させていただきます。
よろしくお願い申し上げます!
こんにちは、灰色です!
まいふぁい更新でございます。またしても日にちが空いてしまい、大変申し訳ございません。記事数はなんとか帳尻を合わせますので、何卒ご容赦くださいませ……
さて、今回は久しぶりの楽曲語り。語るのはFinallyの代表曲の一つ、WILD BRAVEです。
まいにちFinallyの連載開始前からずっと、いつかはこの名曲と真っ向勝負してみたいと思っていたのですが、その絶対的な質量からどうしても腰が引けてしまっておりました。
しかしそんなこんなしているうちに、0326バンドワンマンまで残すところわずか9日!もう腹をくくってぶつかってみるしかありません。
というわけで、やっていきます灰色vsWILD BRAVE!
Finallyが2022年9月のイナズマロックフェスで初披露したロックナンバー、WILD BRAVE(以下「ワイブレ」)。
それまでメンバー自ら作詞を行うことがほとんどだったFinallyにとっては、初めての外部アーティストプロデュースによる楽曲でもあります。
作曲・作詞を担当したのは草野華余子女史。説明不要の国民的ヒット作「鬼滅の刃」の1期OP「紅蓮華」の作曲に加え、西川貴教やFANTASTICS from EXILE TRIBEなどの大物アーティストへも多数楽曲を提供している方です。
彼女は楽曲制作にあたり、時間をかけてメンバーたちに綿密なヒアリングを実施。Finallyというグループ名に込めた想い、信念、各メンバーのこれまでの活動、そして彼女たちの目標に至るまでを受け止めた上で、それを楽曲に落とし込んでいきました。
そこから導き出されたキーワードは、「覚悟」そして「エンドロール」。
Finallyは「ワイブレ」について、「自分たちと聴き手の双方に『覚悟』を問う」曲だと語っています。
ではその「覚悟」とは、そしてFinallyにとっての「エンドロール」とは、果たして何を意味するのでしょうか。それを考えることは、すなわちFinallyというグループの在り方について考えることでもあります。
また、「ワイブレ」の歌詞は前述のヒアリングによって「Finallyらしさ」をありったけ盛り込まれていますが、同時に別の受け取り方もできる構造になっています。
そこにあるのは、私たちが現代に生きることそのもの、今このときの私たち自身の在り方についての、真摯なメッセージです。
Finallyと、私たち。
私が初めて「ワイブレ」を聴いてから丁度半年ほどになる今こそ、この楽曲が二者の在り方をどのように歌っているのかについて、改めて正面から掘り下げていきたいと思います。
もちろん、その方法は一つだけ。いつもの通り、歌詞全編と真っ向から組み合っていくのみです。
それでは。
『覚悟はできたか?』
冒頭の歌詞を、まずはFinallyサイドから見てみましょう。
私が「加速する時代」という言葉を改めて見つめたときに頭に浮かんだのは、アイドルの世界(業界)そのものでした。
「息を吸って吐いてすら間に合わない」ほど、目まぐるしく次々とプレイヤーが入れ替わっていく世界。そこでは歌い手と聴き手の双方が一時の感情とエネルギーを消費し、立ち去っていきます。
そして、たとえ感傷に浸ることがあったとしても、それさえもすぐに他人によって代替されてしまいます。
あえて言葉を選ばなければ、誰かがいなくなった悲しみさえも、程なくして他の誰かで代わりに埋め合わせられてしまう……そういったドライさをも想像させます。
同様に、「一歩先の未来」への不安とは、手探りで活動を続けていくことへの不安だと考えられます。それは、特にFinallyにとってはひときわ大きいものです。彼女たちは事務所から独立したセルフプロデュースグループであり、誰かの後ろ盾に庇護されてはいません。あらゆる活動が暗中模索で、どれだけ先へ進んでも、すぐ先の足元さえも不確かです。およそ常人には計り知れない不安とプレッシャーが常に付きまとっていることは、想像に難くありません。
しかし、Finallyがそれに押し潰されることはありません。決して消えない激情。どんな逆風でも夢を叶えると決めたときから、このチャンスに全てを賭けようと立ち上がったときから、ずっと変わらず燃え続けている志。それこそが、暗闇を照らす"希望"だからです。
一方、私たち自身の目線でこのパートを見たときに浮かび上がってくるものは何か。
それは「今このときを生きること」に他なりません。
実は、私は「加速する時代」という言葉を以前にも目にしたことがありました。
「遅刻してくれて、ありがとう」。Finallyが活動を始めるよりもずっと前に、アメリカで書かれた名著です。
私たちは今、何もかもが「加速する」時代を生きている。科学技術、環境、あらゆるものの変化の速度が、個人および人類全体の適応の速度を置き去りにしていく、それが現代だ。だからこそ、あえて今一度立ち止まって、私たちを取りまくものとその未来について考えてみよう……というのが、同書の趣旨です。
もちろん、「加速する時代」というワードチョイス自体は、偶然の一致以上のものではないでしょう。しかし、我々が今生きているこのときを「加速する時代」と定義づけることについては、一理あるとご納得いただけるのではないでしょうか。一呼吸の間に全てが指数関数的に変化していく時代に、私たちは立っているのです。
では、そんな現代に生きる我々にとっての「消費する憂鬱」「代わりの利く感傷」とは何でしょうか。月並みではありますが、ここではSNS普及時代のコミュニケーションについて考えるのが最も自然だと考えます。
Twitterで日々流れてくる、不毛な言葉の殴り合い。容易に扇動・増幅される怒りや悲しみ。しかもそれらの多くは、当事者以外にとっては一時的に注意を引く話題に過ぎず、ひととき盛り上がった後はあっという間に忘れられていきます。そして、また人々は代わりになる誰かの感傷を見つけ出し、煽り、燃やし、忘れていきます。
感情の消費と代替。それが日常化していることすら、私たちは忘れかけています。
そんな残酷さを孕んだ「加速する時代」を生きるとき、これまでの方法論は陳腐化し、全く通用しません。誰もが道標のない暗闇を進むことを余儀なくされます。
そのとき、果たして私たちは"希望"を、「激情」を持てるのでしょうか。持てるとしたら、それはどのようなものなのでしょうか。
Finallyを暗闇の先へと駆り立てる激情。その源泉は「とびきりの快感、瞬間、それだけ」だと歌っています。このフレーズからは、やはり彼女たちにとっての戦場であるLIVEでのパフォーマンスを連想します。
全存在を懸けてステージに立ち、フロアを熱くする一瞬の快感。それ以外の理由なんて、何もいらない。
そう力強く言い切り、楽曲はサビヘと展開していきます。
私たちが暗闇の中を進むときも、きっと同じです。誰かが考えた解答や周りに合わせたやり方が全くあてにならない時代。代わりに必要なのは、自分がどう感じ、どう動くか。己だけのとびっきりの快感を信じて、その瞬間を求めて、突き進む。それしかないし、それだけでいいのです。
「魂が叫ぶ方」とは、先程述べたような「激情」が導く方向であり、"希望"が照らす道の先に他なりません。
では、「無数の分岐点」とは何を指すのでしょうか。
Finallyは、アイドル一年生のグループではありません。むしろ、アイドルとしてはベテランの域に入るほどのキャリアを持っているメンバーもいます。
そんな彼女たちが、これまで通ってきたたくさんの分岐点。それはたとえば、エールを贈るたくさんのファンや、同じように日々戦っているアイドルたちとの出会いかもしれません。
また、紆余曲折を経てこの6人が固い絆で結ばれ、Finallyを結成したこともそうでしょう。
その活動の中で「ワイブレ」が生まれたことも同様です。
そして、私たちがFinallyと出会えたことも、「分岐点」の結果です。
星の数ほどある選択肢の中から、私たちはFinallyの存在を知ることができました。そのこと自体がすでに、天文学的な確率の末に辿り着いた奇跡なのですから。
それぞれに異なるレイヤーの「加速する時代」を生き、「激情」のままに暗闇を駆け抜けてきたFinallyと私たちの「今日」が、ここで交わりました。
そして、「食いしばって」「願うだけじゃ足りない」というほどに強く想うもの、それは「最高のエンドロール」です。
加えて、サビの最後ではついに「ワイブレ」を代表するフレーズ「覚悟はできたか?」も出てきました。
「エンドロール」「覚悟」。この二つのワードについては、次回以降の記事で楽曲全体を俯瞰しながら向き合っていきたいと思います。
えー、ようやく一番が終わりました。いつもの曲語りと同様、あまりにも長くなったため、今回の記事はこちらでいったん終了いたします。
必ず完結させますので、どうか引き続きお付き合いください!
それでは、また次回!
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マリーゴールド by Rinka(複数)
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