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【楽曲語り】Love me for who I am・後編〜Finallyイズムの胎動と、甘い脅迫の響き【まいにちFinally・day25】
こんにちは!灰色です。
本日の「まいふぁい」のお時間でございます。
今回は昨日に引き続き、Finallyの最新曲「Love me for who I am」(以下、「ラブミー」)語り!
後半ではいよいよ、私が発見しつつある「Finallyイズム」と呼ぶべきものの正体に迫っていきます。
「覚悟」を決めたFinallyの挑戦
「ラブミー」の話に行く前に、まずはFinallyのリリース楽曲と活動の変遷について触れさせてください。
とはいえ、その全てを最初から語っていくとあまりにも長くなり、また個人的にもリアルタイムで立ち会えていない立場のため、活動開始からの歴史を追うことはいたしません。その代わりにここでは、一つの大きなターニングポイントに着目しましょう。
それは2022年9月の「WILD BRAVE」(以下、「ワイブレ」)リリースです。
「イナズマロックフェス」への初出場と同時期に披露されたこの楽曲は、鬼滅の刃OP「紅蓮華」の作曲をはじめ、西川貴教他多数の超有名アーティストへの楽曲提供でも知られるミュージシャン、草野華余子女史のフルプロデュースで制作されました。
セルフプロデュースのために作詞のほとんどをメンバーが担ってきたFinallyにとっては、外部提供の楽曲、それもここまでの大物によるプロデュースというのは、大きなスタイルの変化です。この点だけを取っても、「ワイブレ」は大きな転換点でした。
加えてその制作にあたっては、草野女史とメンバーの間で綿密なミーティングが行われました。同女史は、彼女たちがFinallyの活動を最後の挑戦と定めていることなど、グループの精神的な核に至るまでの様々な内容をヒアリングした上で、一つの問いかけを楽曲の中心に据えています。
「覚悟はできたか?」。
これは自分たちが新たなステージへ進む覚悟を問うと同時に、これまで彼女たちを応援してきたファンに対しても、これから先の戦いへ共についてくる覚悟を問うフレーズです。
この先に待つもの。それはいわゆる「地下」の舞台から「地上」へと飛翔していくステップでもあり、そしてその戦いは「ワイブレ」の歌詞を引用すれば「最強最高のエンドロール」を目指す道に他なりません。Finallyは自身の理想とする終わりをあえて堂々と宣言することにより、まさしく不退転の決意をこの曲にこめて歌っているのです。
それ以降、彼女たちの活動は一気にその幅を広げます。アイドル界のみならずロックバンドとの交流も深めていき、12月には仙台にてASH DA HEROと感覚ピエロの対バンイベントにオープニングアクトで出場。その熱量あふれるパフォーマンスにより、両バンドならびにそのファンから実質的に3組目の対バン相手として認められるほどの高い評価を得ました。
またメディア出演も、イナズマロックフェスの縁により主催者の西川貴教から配信番組に招待された他、まさに先週から今週にかけてはラジオ「やべきょうすけのやべー番組」にて、クローズZEROシリーズや「HiGH&LOW THE WORST CROSS」などで知られる俳優・やべきょうすけ氏と共演。他のアイドルには真似のできないルートで、確実にその実力とキャラクターを芸能界にも浸透させていっています。
やべきょうすけ(@YABE4)がお送りしました『#やべきょうすけのやべー番組』
— やべきょうすけのやべ〜番組 (@yabebangumi) February 25, 2023
本日もご聴取ありがとうございました🎧
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来週もFinally(@Finally_Rock)のお2人をゲストにお迎えしての放送です❣️
タイムフリーはこちら⏬https://t.co/3B3A1nQqOY pic.twitter.com/nVlSTgaQJA
特に先述したような邦楽ロック界隈との交流は、3/26の生バンド編成ワンマンライブにて、4つの異なるグループからバンドメンバーを招き共演するという、最高の形でまもなく結実しようとしています。
◤ Finally BAND MEMBER◢
— Finally 03.26 新宿BLAZE ワンマン (@Finally_Rock) March 1, 2023
3/26(sun)at 新宿BLAZE One-Man Live💥
◇Gt.岸明平
(from:Rhythmic Toy World)
◇Gt.タナカヒロキ
(from:LEGO BIG MORL)
◇Dr.八木優樹
(from:KEYTALK)
◇Ba.滝口大樹
(from:感覚ピエロ)
▼ticket販売中▼https://t.co/DcYrkRk5FB#ファイナリー pic.twitter.com/QcEaWZkXcg
4名それぞれについてここで詳しく触れることは字数の関係から割愛しますが、いずれも劣らぬキャリアと実力の持ち主ばかり。ドラムのKEYTALK八木氏にいたっては、まさに昨日3/1に日本武道館で自身二度目のLIVEを成功させた超大物です。
このように、誤解を恐れずに言えば「格上」の面々と初めてのバンド編成ワンマンでチームアップできることこそ、地下アイドルの枠を超えたFinallyの強みであり、本気の覚悟の証。
それは彼女たちの実力と人柄だけでなく、グループとしてのスタイルと精神面までもが力を貸すに値するものだと、プロ中のプロ達にも認められていることを示しています。全員の情報が解禁されたとき、私の脳裏には「本物は本物を知る」という言葉が真っ先に思い浮かびました。
そして楽曲の面でも、「ワイブレ」以降そのバリエーションはさらに多彩になっていきます。5ヶ月連続リリースの第一弾「Rock’n roll Shooter」がその一の矢となったことは前半で述べた通りです。
私たちへ向けて強烈に打ち出された「覚悟はできたか?」という問い。その覚悟とは、加速的に独自色を強めていき、彼女たちの活動ジャンル自体を「アイドル」から「Finally」そのものへと変容させていくチャレンジへ、共に挑む覚悟でもあったのです。
毎月披露される色とりどりの新曲。予想外の方向へと展開するコラボレーション。日ごとに洗練されながらもその温度を上げていくLIVEパフォーマンス。
既にこの半年足らずの間でも、彼女たちは猛スピードで進化を見せてきました。みんな覚悟はできてるんだよね?振り落とされないでね?と言わんばかりに、縦横無尽に飛び回りながら。
そして、そうした挑戦の極地として「ラブミー」はリリースされたのです。
アイドルの文法を完全に無視し、これまでの「Finallyらしさ」からも離れた楽曲。
そんな「ラブミー」は、こうも宣言していました。
「ありのままの私を愛して」。
「これが私なの」。
もう覚悟はできたんでしょう?
誰かが決めたアイドルらしさなんて知らない。
Finallyらしさって他人に思われてるものさえ、関係ない。
これが今の、ありのままのFinally。
さあ、この私を愛してよ。
「ラブミー」で展開される、有無を言わせない「アイ」のエゴイズム。
それはまさしく、型破りで挑発的、そして意欲に満ちたこの曲そのものを表しているのです。
Finallyイズムの胎動
挑戦の末に「Finallyらしさ」からの脱却をも実現した「ラブミー」。
ここまでの記事を書いていて、私はふと一人のアーティストの姿を思い出しました。
THE ORAL CIGALLETES(オーラル)のボーカル・ギター、山中拓也(ヤマタク)です。
昨年、さいたまスーパーアリーナで開催されたLIVE「PARASITE DEJAVU 2022」(「パラデジャ」)。私も現地参戦したのですが、初日のMCで彼はこう語っていました。
「俺は理想の山中拓也、理想のオーラルになるのはやめます。自分のやりたい音楽をずっと発信し続けます。それが誰かの幸せに繋がればいいなと思います。ただ一つだけ、絶対にブレへんのは……俺らがステージに立てるのは、紛れもなくあなたの愛のおかげ。それだけは心に刻んでます。せやから、みんなも自分自身を貫いて。理想の自分、偽りの自分を作ると、生きづらくなるから。みんなが生きやすくなるように、俺自身が突っ切ってやっていきます」
丸ごとの引用で申し訳ありません。少しでもニュアンスを正しく伝えるため、省略を避けております。
こう語ったのちに、彼は「これまでのオーラルに、これまでの山中拓也にさようなら」と言い放ち、背中から炎の海に落ちていくという演出でLIVE本編を締めくくりました。
そして数ヶ月が過ぎ、「パラデジャ」開催以降ではじめての新曲となった「Enchant」がリリースされます。しかしこの作品は、ファンになって日の浅い私にも従来の「オーラルらしさ」とは異なるスタイルの楽曲だと感じさせるものでした。
オーラルについて私は浅い知見しか持っていないため、同曲の考察は避け、あくまで先の第一印象を述べるだけに留めます。
ここで私が着目したのは、既存のイメージであり周囲から期待される「オーラルらしさ」を破壊すること、その一方でコアにある価値観や音楽に対する姿勢の真摯さという軸は決してブレないこと、それら二つの両立です。
Finallyもまた、「ワイブレ」以降でその表現の幅を大きく広げるチャレンジを続け、ついに「Finallyらしさ」からの脱却を果たしつつある一方で、芯にある精神やファンと音楽への熱い想いは全く変わっていません。
そのため私には、Finallyのスタンスとオーラル・ヤマタクからのメッセージが、そして「Enchant」と「ラブミー」の二つの楽曲が、重なって感じられたのです。
このことを踏まえて、話を戻しましょう。
「らしさ」を自ら破壊することさえ厭わず、それによってさらなる進化を遂げようとする、Finallyの挑戦的な姿勢。
それこそが、私の見出した「Finallyイズム」なのです。
「離」の境地へ
「守破離」という言葉があります。
茶道や武道における思想で、元は千利休の「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」という言葉だと言われているそうです。(ごめんなさい、ここWikiりました)
第一段階の「守」は、自らの師から教わった型を忠実に「守る」こと。第二段階の「破」は、他流派の型の教えも取り入れ、自らに合ったより良いものを求めて既存の型を「破る」こと。
そして第三段階の「離」は、師の教えと自らが編み出したものの双方に精通することで、既存の型の存在に囚われることなく、そこから「離れ」て自由になることを意味しています。
これを当てはめるならば、いわゆる王道の「アイドルらしさ」に忠実なスタイルが「守」の段階であり、一方のFinallyはその「アイドルらしさ」を破って独自の道を選んだ「破」の段階にあるグループだったと言えます。そんな「破」のスタイルこそが、これまで私の認識していた「Finallyらしさ」でした。
しかし彼女たちは今、そんな「Finallyらしさ」からも「離れ」ようとしています。
「破」から「離」へ。
「アイドルらしさ」「Finallyらしさ」といった、既存の「らしい/らしくない」に囚われず、意のままに楽曲と活動の幅を広げていく姿こそ、彼女たちが最終段階の「離」へと羽化しつつある証に他なりません。
守破離の「離」に到達したFinallyが持つ、それまで築き上げてきた「らしさ」へこだわることなく、新たな可能性を探究し続けるスピリット。
Finallyイズムの核が、そこにあります。
セルフプロデュースだからこそ成せること
簡単に守破離などと述べましたが、アーティストが「離」の段階に至ることは容易ではありません。
特にアイドルグループにとっては、ほとんどの場合は非現実的だとさえ言えるでしょう。
なぜならば、通常アイドルのカラーやスタンスを決めるのはプロデューサーであり、事務所だからです。
それぞれのグループについて、そのコンセプトが王道系か否か……言い換えれば、アイドルらしい/らしくないという方向性のどちらを取るかを決定することこそ、プロデュースの要です。
一度走り出せば、その方向性は容易に転換できるものではありません。ましてや、そこにメンバーたち自身の価値観・希望が最優先として反映されるということは、控えめに言っても考えにくいでしょう。
しかし、セルフプロデュースグループであるFinallyはそうした制限に囚われることがありません。
自分たちの理想とするアーティスト像を徹底的に追い求め、自分たちの思い描く格好良さを自由に、そして純粋に極めていくことができるのです。
ただし、彼女たちはこのように柔軟な機動力という強みを持っているものの、それはともすればグループが無軌道・無秩序に迷走してしまうというリスクと表裏一体のものでもあります。
では、実際にFinallyは迷走し未来を見失ってしまう恐れがあるのでしょうか?
私は、その問いにもはっきりとNOを返せます。彼女たちならば大丈夫だと、確信しています。
その理由はもちろん、先述した通り。
これまで支えてくれたファン=Fimillyと、何よりも大好きな音楽。その両方に対する真摯な愛情と敬意が、Finallyの折れない背骨だからです。
これまでの全ての活動を通じて彼女たちが見せてくれた、真剣さやひたむきさ。いつも私たちに語りかけてくれる、言葉の一つ一つ。
それを少しでも知っていれば、Finallyが進む道を心から信じること、迷走を心配せずにその挑戦を応援することは、決して難しくありません。
だからもう、私だけでいいでしょう?
Finallyイズムが完全なものとなったとき、彼女たちはあらゆる楽曲を自身の武器へと変え、変幻自在にスタイルを変化させてゆくことになります。
セルフプロデュースでは、まっすぐでヒロイックな等身大のメッセージを伝えていく。
外部アーティストの提供楽曲では、未知の可能性を開拓する。
セルフプロデュースで示すブレない芯と確かな実力が、新たな風を呼び込む。
外部からの異質なテイストを取り込んだことで、既存のスタイルにも深みがもたらされる。
このように両輪が相互にシナジーをもたらすことで、Finallyの進化はさらに促進されます。
そしてその様を見つめる我々もまた、常にワクワクし、驚き、マンネリという文字は無縁のものとなるでしょう。
しかし、Finallyイズムを正しく受け止めてグループの在り方を理解するためには、受け手にも相応の姿勢が求められるかもしれません。
相応の姿勢と言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、少なくとも彼女たちの楽曲に触れるにあたっては、地下/地上、アイドル/アーティスト、ポップ/ロックといった、既存の定義や二項対立から離れる必要があるでしょう。
そのスタンスを取ったとき、あなたの中でFinallyの唯一無二性は完全に確立されます。もはや「カッコいい」「かわいい」「ノリがいい」「エモい」といった凡庸な形容詞だけでは表せない、オリジナルなグループです。
そんな彼女たちと比べてしまえば、程なくして他のアイドルの存在はかすんでしまうかもしれません。
そんなあなたに、Finallyは囁きます。
二人だけでいいでしょう?
私が愛す。
あなたが、覚悟を決めてついてきてくれるなら。
私たちは、どこかの他人が決めた低次元の定義なんて無視して、自由に好きなように「Finally」をやる。
私たちなら、かわいらしい曲も、大人な曲も、カッコいい曲も、変わり種な曲も、なんでも歌って踊ってみせられる。
愛し合う者同士が溶け合うように、どんな音楽だって、Finallyの中でぐるぐる混ざり合っていくの。
だからもう、他の人たちなんていらないよね。
「Love me for who I am」は、Finallyが「らしさ」の枷から「離れ」、その先にある「Finallyイズム」を確立させつつあることを感じさせる楽曲でした。
そして、彼女たちは自信満々にこう語りかけてくるのです。
私だけでいいでしょう?
私を愛せ。
その甘すぎる脅迫からは、もう逃れられません。
またしてもやってしまいました、トータル1万字超え。
とはいえ、これにて「ラブミー」語り前後編はひとまず完結です。
お疲れ様でした。
いえ、やはり「仮」完結と訂正させてください。
なぜなら、私はまだ見ていないからです。
「ラブミー」の真の姿……LIVEパフォーマンスを。
けれど、その機会ももう間もなくやってきます。
明後日3/4から翌3/5にかけての、Finally大阪遠征。
そこでは「ラブミー」の初披露が予告されています。
そして同時に、6人目のメンバー・Aoiも復帰を果たす予定です。
久方ぶりに完全な姿となったFinallyが満を持して初披露する、未曾有の作品。
それを心待ちにしながら、今回の「まいふぁい」を締めくくりたいと思います。
それでは皆様、また次回!!