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Vol.01 好きだったけど、下手でした。|三河谷 弥生さん
7月某日、Gravisへ初取材となったこの日の朝、鶴川のスタジオに向かう電車の中で、こんなメッセージをもらった。
おはようございます!本日よろしくお願いいたします☺︎
ぜひヨガやりましょう♪(笑)
この日は朝から、鶴川のスタジオで大人向けのヨガとストレッチのレッスンがあったのだ。
この日の午前中、これらのレッスンを担当し、このメッセージをくれたのは、インストラクターの三河谷 弥生(みかわたに やよい)さん。
Gravis内では“やよさん”と呼ばれている。
やよさんは兵庫県明石市出身のひとりっ子。
地元では、演劇やタップダンス、ジャズダンスを学び、チアダンスと出会ったのは、玉川大学在籍時のこと。
ダンス漬けの青春時代を送ってきたやよさんが、ダンスに関してはこう話していた。
もともとダンスは苦手。好きだったけど、下手でした。
そんな彼女が本格的にダンスを始めたのは、あるオーディションがきっかけだった。
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劇団に入り演劇を学んでいたというやよさんは、小学1年生の頃からどうしても出たかった舞台があった。
『アニー』だ。
オーディションやお稽古のドキュメンタリーを見たのがきっかけで、舞台を観に行きました。舞台上の出演者に憧れて、「私もやりたい!」と思い、オーディションを受けたのだと記憶しています。
憧れの舞台に立つために、東京でのオーディションを受けるもダンス審査で不合格に。
そしてこのオーディション後、明石に戻ったやよさんはタップダンスを習い始めた。
なぜダンスの中でもタップダンスだったのか。
その理由を問うと、「『アニー』の演技の中のタップダンスシーンを観て『これはやったことない!出来たらかっこいい!』と思ったからだと思います」と、当時の記憶を手繰り寄せながら答えてくれた。
でも、一番の根っこにあったのは“悔しい”という思いだったのだろう。
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というのも、オーディション時にダンスが全然でなかったことから、明石へ帰る電車の中では悔しくてずっと泣いていたという。
更にその悔しさを増幅させたのは、帰りの電車で同じオーディションを受け、合格した子の話を聞いてしまったこともあったのかもしれない。
やよさんのお母さまの話だと、帰りの電車でその子の話を聞いて「私も(タップダンスを)習う!」と言ったやよさんのために、明石から通うことができ、子どもでも受け入れてもらえる教室がないか、片っ端から電話されたそうだ。
このお母さまの話を聞いたやよさんは、「親の心子知らずですね。記憶にあるようでないですが…。この悔しさをそのままにしたくなくて意地で受けていたのでしょう、きっと(笑)。」と、話した。
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それからは演劇に、ダンスに、ひたすら打ち込む日々を送った。
と思いきや、タップダンスも含め、劇団内のダンスのレッスンもそこまで真面目に取り組んでいなかったそう。
家ではあまりダンスの練習しなかったし、努力していなかったと思います。でも、辞めなかったのは、やっぱりダンスが好きだったから。中学生・高校生の頃は、テスト勉強でレッスンを休むことはあっても、熱が出ても休むことはなかったですね。
負けず嫌いなのかそうではないのか、真面目なのかそうではないのか、このちょっと掴み所のない自身の性格を、本人は“真面目なのに面倒くさがり”と称していた。
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それでも途中で辞めることなくダンスを続けてきた結果、ラストチャンスだと思い、中学3年生で受けた『アニー』のオーディションに晴れて合格。
やよさんは、ダンスは「好きだったけど、下手でした」と話していたが、憧れだった舞台への出演を果たした当時の彼女は、“好きこそ物の上手なれ”と“継続は力なり”の両方を、身をもって実証したと言えるだろう。
そして、本人曰く“真面目なのに面倒くさがり”という一面があるらしいが、実際は“真面目で◯◯”なやよさん別の一面を、この後に続く彼女のエピソードから垣間見ることができた。
(Vol.02へつづきます)