いきるしかばね
「もう、命を粗末にしちゃいけないないよ」
6月の川の寒さで冷え切った体。河岸の土手で横たわり、大勢のひとに囲まれた夜。意識が朦朧としていてあまり覚えていないけれど、こんなことを言われた気がする。
つい先日。
僕は急に何もかも嫌になって、生きていることが耐えられなくて、自殺を決意した。
結果どうなったかはこの文章を綴っている時点でお察しなのだけど、とにかく人生で初めて本気で死ぬことと向き合った。
そうなってくると、まずはどのように死ぬか決めなくてはならない。僕は以前からうつ病で服薬治療を受けていて、死のうと決意したタイミングがちょうど月に一度の診察の直後、つまり薬が補充される時期だったため、それを利用することにした。
でも、それじゃまだ足りない気がした。ODで自殺をするという事例はよく耳にするし、僕がもらっている向精神薬でも運が良ければ薬だけで死ねるかもしれない。
けれど、それで死にきれなかったら?
無駄に苦しむだけ苦しんで、あとは腸内洗浄を受けるだけで終わってしまったら、折角の(?)覚悟が台無しになってしまう。
僕の住んでいる土地は川に囲まれていて、東西両端に大橋が架かっている。だから、それを利用して川に飛び込むことにした。
問題は東の橋と西の橋、どちらで決行するかだ。
個人的に思い入れがあるのは西の橋(以下A橋)だ。A橋は幼い頃からよく通っており、一時期は通学路にさえなっていた。
僕の住んでいる場所はど田舎であるため、公共交通機関などないに等しい。すると、遠方への移動手段は車が主となるわけだが、少し離れた場所に住んでいた祖母に会うためにはA橋を利用しなければならなかったため、結果、A橋は人生で最も利用した橋かもしれない場所になっていた。
対して東の橋(以下B橋)。こちらにはさして思い入れもなく、通ることも稀だった。
そうなってくると、人というものは美しい思い出を汚すのを嫌うもので、自然とB橋での決行を心に決めていた。
確固たる動機はないけれど、手段も、場所も決まった。あとは実行に移すだけだった。
僕は冷蔵庫の中から適当な酒をひっつかむと、個人的に好きな配信者の配信を見ながら薬を飲んだ。
モニター上では何の悩みもないような屈託のない笑い声が響いていて、それが全てに絶望して自死を図るべく薬を貪る自分と比較するとあまりの落差に何だかおかしくて、僕は狂ったように笑いながら薬を酒で胃に流し込んでいった。
5分ほどして薬を飲み干し、酒も全て胃に収めた。しかし、薬なんて即効性のあるものは少ない。だから僕は推しの配信が終わるころには薬も効いてくるだろうと算段し、その頃に家を出ようと決めて、部屋の片隅からポストイットを引っ張り出してくると暇つぶしか、それとも僅かに芽生えた罪悪感からか、遺書のようなものを認めはじめた。
こんな自分に育ってしまってごめんなさい。
後に色々と禍根を残すだろうけど、僕の私物を売るなりなんなりしてどうにか過ごしてください。せめて、残す家族の行先に幸せがありますように。
確か、こんなことを書いた気がする。薬を全て飲んだことで「もう後間取りはできない」という感覚も生まれ、興奮と恐怖と酔いも相まって何を書いたかよく覚えていない。でも、多分要約するとこんな感じだったと思う。
そうこうするうちに推しの配信も終わり、ついに実行するときがやってきた。これで見納めか、と思っていた愛用のPCには意外なほど何の感情も芽生えず、特に何もすることなくシャットダウンした。
まずは家から出るところからだが、玄関から素直に出ると確実に母に気付かれる。最期は誰にも知られずひっそりと消えたいと思っていた僕は、母に気取られるのを恐れて自室である2階の窓から外に出ることに決めた。
詳しくは省くが、ここで僕の運動不足が露呈して、右腕に擦過傷を、左足に打撲を負った。
が、まあ今更そんなことを気にするフェーズでもないので、無事に家を出られたことで良しとし、B橋へと向かった。
家からB橋までは徒歩で10分弱あり、ちょっと歩く必要がある。窓から降りる段階で降ってきた小雨が本格的な雨へと変わり、羽織っていたナイロン生地のパーカーを濡らすのを感じる。
死ぬにはもってこいの天気だな、なんて思った。
酔いと痛みと薬効でぐちゃぐちゃになった身体をひきずりながら、B橋までやってきた。どこから飛んだら確実に死ねるかな、なんて目星を付けながら、タバコに火をつけた。
自分の中で偉大な背中を見せ続ける、今はもういない父の背中に少しでも近づくために吸いはじめたタバコ。
身を焦がして徐々に短くなっていく様が、自分に重なって見えた。
死ぬなら少しでも高いほうがいいだろうと、橋の中心にまで来た。この一本を吸い切ったら死のうと思い、更に紫煙を濃くした。
燃え尽きるのを待つ間、何を考えていたか定かではない。これでようやくこのウンザリな現実ともおさらばだ、みたいなことばかり考えていた気がする。
そうこうするうちに最後の一本もその命を全うし、僕もそれに準ずるときがやってきた。
意外にも恐怖や興奮はなく、ただただ「ようやくだ」という思いだけがあった。
そうして橋の欄干を乗り越えて、あとはもう迷わず飛び込んだ。
徐々に近づく水面。
飛ぶ直前、「危ない!」という声が聞こえた気がした。
飛び込んでみて一番に思ったのは、(おいおい、意識しっかりしてるじゃねーかよ)というものだった。
想定では、頭から飛び込んで気絶、そのまま溺死という流れだったのだが。
でも、想定と違ったからって死ねないわけではない。そのまま沈めば、いずれ死ねる。
だが、僕は水面から顔を出した。それどころか、土手を目指して泳ぎはじめた。
脳裏によぎってしまったのだ。『こんな終わりでいいのか』という思いが。
だから泳いだ。必死に。
それに、ここまでやっておいて今更、という話なのだが、僕は苦しんで死にたくはなかった。
死ぬなら、一息に。溺れて、徐々に酸素が薄れていく感覚に襲われて、川底の闇に包まれるなんてごめんだった。
幸か不幸か、僕はそれなりに水泳が得意だったため、無事川の中央から土手まで泳ぎ切った。
着衣泳なんてやったことがなかったのに、意外とできるもんだな、なんて能天気な考えが頭をよぎる。
それでも、酔いや薬効でぐちゃぐちゃになった身体では土手から少し上がったところでそれ以上動けなくなった。
数分もするうちに、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。方角的に、確実にこちらへ向かってきている。
僕は口の中だけで、クソ、クソと何度も悪態をついた。
それは死にきれなかった事実に対してかもしれないし、死を目前にして尻尾を巻いて逃げた自分に対してかもしれないし、これから家族にかけるであろう迷惑を考えてのものだったのかもしれない。あるいはそのすべてか。
その数分後、僕は横たえた冷えた身体を、救急隊に発見された。
それからの記憶は判然としない。正直、この辺りから薬がめちゃくちゃに効力を発揮してきたらしく、記憶も身体もボロボロになったことだけが記憶に新しい。
なぜこんな記事を書こうと思ったのか。
それは告解なのかもしれないし、一人の絶望した男が自殺に失敗する悲劇、あるいは喜劇を書きたかったのかもしれない。
多分、僕はもう今後自殺はしようとしないだろう。少なくともつまらない方法では。
それくらい、脳で響いた『こんな終わりでいいのか』は自分にとって効いた。死ぬなら、デカく頭に血の花を咲かせるか、三島由紀夫じゃないが、インパクトに残る自死がいい。
じゃあこれからどう生きるか?
僕はこれから、一度死んだ身として生きてみたいと思う。
実際に一度、天運がなければ死んでいた状況に自ら飛び込んだのだから、あながち間違ってはいないだろう。
別に今までだって生き生きとした人間として生きてきたつもりもないけれど、死んだと自認する人間だからこそできることもあるはずだ。
命を粗末にするつもりはない。ただ、『命は粗末なものである』と認識するだけだ。
僕は墓場から、人生を見ている。
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