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メルマガの導入文で最後の一行を消した時、メルマガはメディアなんだと気がついた話

昨年より、とあるところでメルマガを担当させていただいています。
メルマガはこれまでも仕事でしたことはあったのですが、いつもテンプレートがあったので、自分で文章を考えるのは初めてのことです。

少し慣れてきて、5、6回目の時、いつも通り導入の文章を書いた後、なんとなく、言いすぎたような気分になりました。

いつもの通り、綺麗にまとめて終わろうとしたのですが、

「ここで私がソツなくまとめたら、話が終わってしまう」

と、なんだか急にゾッとする感覚に襲われたんです。

だって終わってほしくない

その時は伊藤詩織さんのニュースをメルマガのトップで伝えようとしていたので、「#MeToo」に関しての導入文を作っていました。

その時の私はきっと、読んでいる人に「#MeToo」について考えてほしいと思っていたんだと思います。
自分を弱者として認識している私からすれば、明日は我が身です。
そしてそれは私だけではないはずです。
ある日家族が、友人が、会社の同僚が。

なので、遠い世界のニュースではなく、自分の問題として考えてもらうにはどうしたらいいのか
少なくとも、ここでまとめることではないはずだ。

そう思って最後の一行を消しました。

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そしてその瞬間に、メルマガってメディアなのか、と全身で感じ取りました。

体感ってすごいですね!
知識としては持っていたけど、頭で知ってるだけの時は正直「ふーん」って感じなんですよね。
それが体感した途端、身になっている感じ。

で、結局どうしたのかというと、私自身の意見だけを述べて導入を締めました。これが最良とは思えませんでしたが、少なくとも違う意見の人には反応してもらえるんじゃないかと思って書きました。人間、分からないものはスルーですけど、違うものには反応しちゃうはずです。多分。

違う意見の人をわざわざ出してどうするんだ、メルマガが嫌われないか、と心配もしました。ですが綺麗に流れる文章は、そのまま綺麗に脳みそから流れ落ちていきそうで、その方がよっぽどメディアとして役目を果たせないのではという結論に至りました
(ちなみにメルマガは配信前に人の目が入るので、マジで問題ってなる時はちゃんとストップかかります!)

情報を伝えるだけではメディアじゃない?

これは私が体感したぞって思った時にありがちなんですが、そもそものその意味がちゃんと言葉で説明出来ないことがあります。

今回も、自分で気が付いた!と言っておきながら…という感じですが、そもそもメディアってなんなんでしょう。

日本語にすると「媒体」、なにがしかの情報を人に伝える存在、情報と人とを繋いでいるもの。

伝えると繋ぐでは、ちょっと意味合いが変わってきますよね。私は後者の「繋ぐ」が、媒体としての役割かなあという気がしています。

新聞やテレビも伝えることがきっと目的ではなく、伝えたことによって何か変わってほしいとか、考えてほしいとか、気づいてほしいとか、変化を求めているのがメディアじゃないかと思います。伝えても「ふーん」で終わるなら、別に伝えなくても良かったよねってなっちゃいませんか?

という訳で、伝えて「あなたは何を思うのか?」と暗に問いかけることをするメルマガはメディアだと、私は感じたようです。

「承認欲求」が強い文章はムダに情報が120%くらいある

ところで、私は「読んで満足」となることが良い文章だと思っていますが、その満足というのは、決して情報量の多さではないなと感じだしていたところでした。むしろ与えられすぎて溺れてしまうこともあるぞと。

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今思い返すと、それまでの私の文章は「承認欲求」の強い文章だったかもしれません。
とにかくみんなに知ってもらいたい、認められたいという気持ちが強い文章というのは、得てしてTooMuchな情報量になりがちなように思います。

私は『情報が多すぎると一つ一つがぼやけてしまい返って伝わりにくい』という知識は持っていたので意識的に文字量や情報を減らすことはしていましたが、基本的に起点が自分なんです。

私から誰かへ一方通行の発信で、文字量が少なくとも、「情報を受け取れ!」という圧力が強い。圧という情報で120%。純粋に中身が120%という訳でもなく、内容以外の情報で100%超えとか、無益すぎる。

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こういう押し付けがましい時ほど、受け取る相手のことは考えられてないんですよね。受け取ってほしいだけで、そこから先、発展することを考えていない状態。

今回初めて「読んだ相手に考えてもらいたい」と、ようやく相手を起点にするという体験が出来ました。相手を起点にして、逆算して文章を書く。圧力80%で少し足りない感じに書けるようになりたい。

情報を押し付けるのではなく、情報の中に引きずり込めるようになりたい。

情報過多になるほど、お腹いっぱい胸いっぱいで、もうそのことは考えなくなってしまいそうです。なので、メディアとして文章を書く時は、少し足りないぐらいで、もっとこっち側に、情報の中に引きずり込みたいというイメージを持つようになりました。もう少し良い表現はなかったのかとなっておりますが…引きずり込まれてほしいのです。ウェルカム!

今回メディアについて考えさせてくれるきっかけとなったメルマガは、受信者から返信のない、手段としては一方通行のメディアです。私から受信者へ。

だからこそ、押し付けにならないよう、控えめに歩み寄ってはぽっかりと余白を残して行きたいし、読んだ瞬間、もしくはメルマガを閉じた後になんとなく尾を引く余韻のようなものを感じて、余白を埋めてみたくなってもらいたい。

そして最後にちょっと衝撃のようなものを受けながらも「読んで良かった」と思ってもらえたら、最高。それを私が知ることは出来ないんですけどね。

今はまだ80%な文章をかけていないなと思っています。気が付いたものの、どうすれば良いかの技はまだ身についていないし、承認欲求を満たしたい私もまだまだ存在しています。ちょっと時間はかかりそうですが、コツコツ練習し、身に付けたい次第です。

ある日、私の文章であともう一声って感じる時が来たら、その時は最後の一行をあなたで埋めてあげてやってください。私が喜びます。

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