『オッペンハイマー』
オッペンハイマー内容
原爆の父と言われたロバート・オッペンハイマーの半生を描いた作品。彼がチームを率いて原爆の開発を成功に導いていくサクセス物語と、その後水爆開発に反対したことで公職追放されることになる聴聞会のやり取りを交互に描いていく。
(追記:細かく言うと、時間軸は2軸ではなく3軸であるらしい^^;)
※以降ネタバレ箇所※
オッペンハイマー自身、原爆開発を成功させたことは意義のあることだったと確信しつつも、多くの人の命を奪ったことにより拭い去れない自責の念に悩まされ続けていた。その彼の波乱万丈な人生を丁寧に描いた作品。
オッペンハイマー感想
開発シーンは物語的に起承転結があり派手な演出も挟まれるため、ある程度気を抜いていても見られるが、聴聞会シーンは淡々と尋問(?)のやり取りが続くため、背景や人物関係を知っていないと流れを理解するのになかなか骨が折れる。
歴史的経緯や登場人物の関係性を予習してから観るほうがストレスはなさそう。
この映画を見ていて、初めての感覚を覚えたので記録しておく。
開発シーンが展開していく過程でも「漠然とした不安感」のようなしこりが自分の中でずっとあり、何となくのめり込めなかったのだが、開発が成功したシーンでその理由が判った。
実験が成功し、原爆開発の成果が明白になった瞬間の登場人物たちが歓喜し合っているシーンを見ている際、自分の中では登場人物たちに共感し手放しで高揚できないような、登場人物たちに対して敵意を感じるような気持ちになっていた。
原爆投下は歴史上の中で、何十年も前に自分の生まれ育った国が受けたというだけのもので、血縁者が何らかの被害を受けているわけでもない立場だが、みていて何となく「オモシロクナイ」気持ちになったのだった。
自分自身、国際問題に鈍感な方で、歴史的な対立にはほとんど関心がないタイプだと自負していたのだが、日本という国で生まれ育ったことで無意識的に「日本国に対する所属意識」が刷り込まれていることを明確に感じた瞬間だった。単なる作品の中のであるとしても、これから自国が引き受ける被害を思うとフラットな気持ちでは見られない、という思いがけない体験をした。
映画の中では、その高揚感の一方で、オッペンハイマーは罪悪感に追われ続けたということが描かれており、もちろん日本人に不快な思いをさせることを意図して創られたわけではない。描かれているテーマとしてはその逆側で、それを強調するために殊更大げさに成功を祝福するシーンを盛り込んでいるのだが。
問題意識のなかった自分でも何となく心に引っかかるものを得るということは、それだけ歴史的にも国際的にも重要なできごとを取り扱っているのだということを肌身を持って実感したシーンだった。