共感的に聞くには「演じるつもり」で聞くこと
先日、ある知人から「共感的に話を聞くために何をしているのか?」と尋ねられました。 改めて考えてみると共感的に聞くとは、相手が「私の話を本当に理解してくれている」と感じられるような対話であると考えています。
私が描く図では、話す人が自分の思いを自分の言葉で表現できるように心掛けていますが、 その基本には「私自身がまず共感する」というステップが欠かせません。
私なりの共感的に聞くコツをお伝えすると「その人になりきってみる」というステップが近いです。 その人が述べたエピソードを、まるで自分の経験のように捉え、心の中で再現することで、その人の体験を理解しようとします。例えば、「道端で転んでしまって痛かった」と述べられたとき、その人の視点になり、「どの程度痛かったのか」「何をしていて転んだのか」「その道は歩きづらかったのか」など、細部にわたり想像し、理解しようとします。
理解するために質問を重ねた結果、「学校に遅れてしまうと焦っていて、靴紐も結ばずに走っていたら自分の靴紐に引っかかって転んだ。しかも膝を石に打ってしまって痛かった」と聞いたとき、ただ「道端で転んだ」という事実以上の背後にある状況が見えてきますよね。
加えて、さらに深く理解するためには、その人と同じ感情を自分でも感じる必要があります。そのためにも、自分の過去の経験と重ね合わせて、その感情を再現します。 例えば、子供の頃に転んで膝を擦ったときの痛み、学生時代の遅刻しそうだったときの焦りなどを思い出してみます。
こうした「演じるつもりで聞く」態度があると、相手の行動背景や信念を理解でき、より深く相手を理解しようという態度につながります。そして、得た情報をもとに感情や場面を心の中で再現することで、より共感しやすくなると考えています。
この「演じるつもりで聞く」態度を持つと、私という自我を一時的に忘れる必要が出てきます。「私ならこうする」「私の経験と比べてみる」といった思考が出てきたら、それはもはや相手の話を受け入れていません。
再現した感情や場面がズレている可能性もあるので、「私もこう感じましたが、合っていますか?」というフィードバックも重要だと考えています。 ヒリヒリとした痛みかもしれない、あるいはちくちくとした痛みかもしれません。 完璧に共感するのではなく、一緒に感情を共有するために話し合う姿勢が大切だと考えています。
私が描く図は、共感から生まれるストーリーを大切にしています。これからも、より良いストーリーや描きたくなるようなイラストを作るために、多くの人の話を聞き続けていきたいと思います。