ロジックよりも想像力を
なんで、日本人は英語がしゃべれないのだろう?この素朴な疑問に答えられる人は日本にはあまりいないと思う。ぼくはいつもこの問題が気になってきた。だって、アメリカ人はアメリカで育ったならば、高等な教育を受けようが受けまいが、ペラペラやん。日本人は国民のほとんどが高等な教育を受け、識字率も高く、英文法も英単語もけっこう勉強している。なのに、だ。しゃべれん。ある人によると、日本には英語圏の本がけっこうな数で「日本語訳」して出版されている。ところが東南アジア等の諸国では自国語で翻訳されている本が数少ない。だから英語の本を読みたければ英語で読むしかないのである。結果しゃべれるようになる。日本人は日本語訳で事足りるので英語を覚える必要がない。それは一理あると思う。サービスが充実されすぎているのだ。でも僕はその説でも納得がいかない。それを言い訳にしている気がする。では、僕の説はこうである。
「リズム感やイマジネーションの能力に欠ける」。
である。日本人は日本語の独特のリズムと発声のしかたがあり、それが頭のなかでなにか邪魔をしているように思う。たとえば、ほとんどの日本人は
「Michael Jackson」
↓
「マイケルジャクソン」
と発音するだろう。しかし、ネイティブは、
「Michael Jackson」
↓
「マイコージィャクスゥン」
と発音する。なにか言葉の発音、しゃべり方がしっくりきていないのだ。近い表現でいうと白人やアジア人が黒人のようにダンスが踊れないことに近しい。そう、「リズム感」であり「イマジネーション」の能力なのである。ひょっとするとこれは各人種によるDNAが微妙にちがうからではないだろうか。教育にも問題がありそうだ。もし英語がしゃべれない問題がそれらのような「リズム」や「想像力」にあるとすれば、確かに日本の教育機関に「リズム学科」や「想像力学部」がないのも問題となる。それらは現在テレビや音楽、YOU TUBEやゲームで俗的にのみ我々に発信されているものだ。もしそうだとすると、そういうことを本能的に欲している子供たちは学校の勉強よりもゲームや動画に夢中になるのもあたりまえなのだ。そもそも教育というものは「リズム」や「イマジネーション」を刺激するものである必要があるのではないか。(SF作家のJ.G.バラードも「人を陶酔させるポップ・カルチャーの楽観的な世界は子供たちが探求すべき重要な世界だったのだ」と言っている)
「good sleep」は「良い睡眠」って訳すのではなく、「ぐっすり」って訳すのが「talking」なんだと思う。