切れた尾

トカゲの尾はいつまで痛覚を体に送れるのだろう。

今の私は尾のないトカゲである。

自切したはずの尾が痛む。私は自分の尾をオーストラリアに置いてきた。就職活動にも身は入らなかった。自分の人生を賢ぶって自切したのだ。

切らなければ自分が死ぬと思ったのだ。目先の楽しさに自分の人生を賭けられるほどの自信が私にはなかった。

けれどその切った先から腐って、私を蝕んできている。もしかしたら切られたのは私の方なのかもしれない。みっともなくじたばたして、できるだけ他人の気を引いて、後は動けなくなるのを待つだけなのは私のほうなのかもしれない。

周りの人をよく見ると、周りの人はハナから尾を持っていない。というより切っていることに気づいていないのだろう。

大学4年生というのは、日々緩やかな自切を迫られる。今まで目一杯に伸ばしてきた枝を一本に絞る選択を迫られる。

切らなければ自分が死んでいたから自切したのに、尾のない自分を愛せそうにもない。私はどうするべきだったのだろう。

ないはずの部位が痛むことがあるという。今のこの息苦しさは、自分勝手に自切した尾が、私を恨んで苦しめているからなのかもしれない。はたまた自分が尾の方で、自身を勝手に切った自分を恨んで日々を台無しにするべく生活しているのかもしれない。

今はそうであって欲しいとすら思う。この生活が、どこかの世界線の私が自由に生きるためであってほしい。私が尾として人生を歩むから、違う世界の自分は幸せであって欲しい。

この先を健やかに生きていくためには必要な自切であった。けれど私が尾なのか本体なのかは未だにわからない。


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