友人への手紙
2020・9・7
「去る者は追わず」という言葉があるが、あれは嘘だな。
「亡妻や 後追いしたき 雲の峰」(ジュン) 実はそんな心境なのだよ。
キリスト教では、死後30日に当たる日、教会で礼拝し、霊魂を慰めます。
時の流れは速く、もうその日も過ぎてしまった。
昨夜、台風10号を安芸グランドホテルでやり過ごそうと宿泊し、独り、嵐の前の静かさを満喫した。半面、殺到した亡き妻への礼賛の声や、涙の洪水を思い出し、脳裏は騒がしかったがね。
亡くなって、4日目に火葬斎場、6日目に大教会の地階・小部屋で、家族だけの葬礼を行った。
列席を遠慮した金原夫婦が、教会近くの戸外で、シャボン玉を吹き上げ、
空に消えていくのを見ながら「淳与さん、ありがとう、さようなら」と手を振った。やがて、肩を落としたジュンさんらの後ろ姿も、丘の上から見た、という。
そんな情景をまぶたの裏に描いたら、心底、泣けた。涙で枕を濡らす、と言う
俗なセリフは、生きた言葉なのだ、と思い知らされた。
火葬斎場に出掛ける直前、突如、両足首が萎えた。妻女が使用した車いすに
乗せられた無様な姿。ジュンの意気地なし、と妻女が笑ったような気がした。
若い頃は、気の強さが天下一品だったのに、もういけませぬ86歳。
「私は喜んで歳をとりたい」(イエルク・ツインク著)を読み、心に沁みた。
衰えゆく肉体と精神を、あるがままに受け止め、やがて訪れる死を平然と受け入れる。とは言え、そのことの難しさ。やはり「思索の積み重ね」が肝要なのだ。
「80代の今が最高」という本を、主婦の友社が出してくれた才女(妻女の誤植)は、記事の中で表現こそ異なるが、「心の襞(ひだ)を重ねる」ことだと喝破した。愚かな夫は、うなだれるほかありません。
足と心のひょろつきはまだ改善されていませんが、心地よい秋風が気分をほぐしてくれる頃に、美酒を味わいましょうよ。それまでに、笑える話のネタをたっぷり仕込んどいてね。 お達者で!
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