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この世界は好都合に未完成、と言ってのけること。そして怪獣の正体。

「この世界は好都合に未完成」。
サカナクションの新曲『怪獣』の一節です。

なんだか面白い言い回しだな、というのが第一印象でした。『チ。』が描く真理を探求する姿勢を言い表しているのかな、というふんわりとした理解。けれど、PVをヘビーローテーションしているうちに、ふと不思議に思いました。世界は未完成なのか?と。どう思おうと地球は太陽の周りをまわっているし、鉛は金にならないし、人は一度死んだら生き返らないし。真理に沿って「完成」しているのでは?

もやもやしながら夜の天神橋のライフで買い物をしているとき、読み違えていたことに気づきました。ここで指されているのは、僕ら人間の目を通して理解される世界のことだ!、と。客観的な世界ではなく、主観的な世界だとも言えるでしょうか。見当違いな理解をされないように、「この」世界と山口さんは書いたのかもしれません。世界ではなく、この世界。

現代の僕たちは古ぼけたフィクションとして天動説を振り返っています。真理を司る神の目線で、天動説を見下ろしています。でも数百年前のヨーロッパに住む人たちの目に映る世界は、太陽が地球の周りをまわる未完成な世界だったのでしょう。未完成でも、それはたしかに世界でした。

こう考えていると、僕たちが暮らす現代へと翻りたくなります。
たくさんの先人たちによって科学的事実が見いだされるたびに、未完成な世界は完全さに近づいていきました。数学も、物理学も、医学も、天文学も。
けれどそれでも、人類の目から見える世界は完成から程遠いはずです。
あらゆる研究の最前線にいる人たちの目には、その未完成さがありありと映っているのでしょう。そして毎朝毎晩、寝食を忘れて自分から見える世界の未完成さと格闘している。

未完成だと感じられるのはすごいことだなと思います。我慢強いというか、実直というか、勇敢というか。
時間と何なのか、宇宙の果てはどうなっているのか、といった大きな問いは誰にも解けていない。僕はその事実を知っていますが、特段意識しません。何も気にせずベッドに寝転がりながら、ダラダラとショート動画を指で上へ上へと滑らせ続けています。怠惰だなあ。

気にしなければ、なにも問題のないつるつるした世界を暮らしていけます。以前プチ流行した『時間は存在しない』を読んだときは、時間がグニャグニャしていることを懇切丁寧に説明されて、なんだか落ち着かない気持ちになりました。でも夕飯を挟んだら気にならなくなりました。気にしなければ、落ち着くのです。

もし自分が信じて疑わないことを根底からひっくり返そうとしてくる人が現れたら、落ち着かなくて目障りだろうなと思います。目障りで不都合な人、ですね。不都合。そうこうしているうちにまた詞に戻ってきました。

この世界は好都合に未完成。この言葉は、真理を探究する人たちの宣言だと思います。世界は完成していると信じている人たち、つまり「この世界が未完成ならば不都合」な人たちに向けた宣言。彼らから投げかけられる嘲りや誹りを跳ねのける宣言です。「未完成なのは不都合だと?臆病者め、僕らにとっちゃ寧ろ好都合だ!」と高らかに叫んでみせる。

ただただ何事もない世界を暮らしていたい人(僕含め)からすれば、彼らはその平穏を脅かす怪獣そのものでしょう。そして特撮映画よろしく、人々は怪獣から世界を守るために徹底的に抗戦する。
でも何十年、何百年も経ってからやっとわかるのです。彼らは怪獣じゃなかった。彼らこそが勇敢なヒーローだった。

それなら、ほんとうの怪獣は……?


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