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私の漢詩紀行とシルクロード 2 成都
2-1.三星堆博物館
時代はずっと下って,2019年4月には成都を訪れた。一般には長安がシルクロードの起点だとされるが,一方で四川省成都は南路の起点ともいわれる。成都はいわばチベット高原の東端にあり,亜熱帯モンスーン気候の地で曇天の日が多く「蜀犬日に吠ゆ」といわれるように,たまに太陽が照ると犬がそれに向って吠えるとの伝説もある。成都市の西方はチベット高原が広く分布し,その東端部で2008年5月12日に「四川大地震」が「竜門山断層」を中心として起こり大きな被害が出た。
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成都では三星堆遺跡の文化に触れた。遺物を集めた三星堆博物館には,およそ5000年前から3000年前頃に栄えた古蜀文化青銅器や玉でつくられたさまざまな遺物が陳列されて何時までも見飽きない。
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1986年に発見された高さ3.64mの青銅製神樹は3段構造で、それぞれの段から3つの枝が生えており、27個の蕾と9羽の鳥が付いている。幹には頭を下に向けた龍が絡み付いている。前脚は神樹の土台の上にあり、後足は人間の手のようであり、体からは羽根状のものがぶら下がっている。中国神話には神樹に関する多くの伝説があるが、代表的なものに『山海経』に見られる東の地にある扶桑、中央の建木、西の若木がある。 三星堆の神樹は、これらの3つの神木の要素を持つものと見られており、古代の人々の太陽崇拝の産物であるだけでなく、古代の人々の心の中の「天国への梯子」でもあり、宇宙の概念を表す宇宙の木でもあると考えられている 。
さらに青銅製縦目人面像などたくさんの遺物がある。興味を持ったのはいわゆる玉と称されるものが多い。中国で玉といわれるのはほぼ新彊ウィグル自治区ホータン産の軟玉(ネフライト)のようなので,硬玉(ジェード)ではないと思われる。この時代には硬玉はミャンマーから持ち込まれた可能性はほぼないだろうと想像されるのだが。徐朝龍によれば三星堆で用いられている軟玉は川西平原の北西にひろがる岷山山脈で採れたものと推定される。
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2-2.杜甫草堂
科挙の試験に落ち,せっかく得た官職を辞したりした後,漂泊の末に48歳で成都にたどり着いた杜甫は,成都の町はずれ浣花渓に家を構えた。ほんの数時間だったが,杜甫のリラックスした成都での様子が想像できた。
成都の生活を詠った江村という詩がある。「清江一曲抱村流 長夏江村事事幽 自去自來梁上燕 相親相近水中鴎 老妻畫紙為棋局 稚子敲針作釣鉤 多病所須惟藥物 微躯此外更何求」というのだが――長閑な村の様子から一転,老妻が紙に碁盤を書き,子供は釣り針を作り,自分は病気がちで薬に頼る身,こんな身はほかに求めることがあろうか――というような意味。今の我が身の様な感じだ。
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堂成という新しい家を建てた時の詩がスケッチとともにあった。 背郭堂成蔭白茅 綠江路熟俯青郊 榿林礙日吟風葉 籠竹和煙滴露梢 暫止飛烏將數子 頻來語燕定新巣 旁人錯比揚雄宅 懶惰無心作解嘲 おおまかな意味は「城郭を背にして白い茅に覆われた堂が完成した。いつも歩いている川沿いの道は青い野原を見下ろせる。ハンノキは日を覆い葉は風に鳴り,……」である。
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一方で,杜甫は兵役に駆り立てられる庶民の哀しみを詠った「兵車行」という社会詩がある。これは今の世界であちこちに起こっている兵役を強いられる人たちを代弁しているようにも思われるのだ。
ところで,杜甫は牛肉を食べ過ぎて死んだという話が,川面に映った月を求めて水死したという李白とともに伝わっているが本当だろうか。