ドールは、いいぞ!
みなさん、こんにちは。
今回はわたしの人形への関わり方、向き合い方や個人的な考えについて綴ります。
人形所有者(ドールオーナー)の間では、人形への関わり方はドライ/ウェットという言葉で表現されることがあります。
ドライは「人形はあくまでも人形で、インテリアや愛玩物」として関わること、対してウェットは「人形には人格があり、人間と同じように尊重する」ように関わること……とわたしは認識しています。
そもそも愛の形なんて人それぞれなんだから、2種類に分ける方が間違ってるんじゃないかとは思います。それでもこの表現があるのは、やっぱり自分のスタンスを主張しやすいし、同じ人形好きの間で齟齬が生まれないようにする為なんだろうな〜。
どちらが正しいとか優れている、という物ではなく、あくまでも個々のスタンスで、人形への愛情に差はない。みんな自分の人形を好きな時に好きなように、愛でています。
そして、ここからはあくまでもわたしの話。
わたし自身はどちらかというと、ドライ寄りなドールオーナーです。
人形は人形だし、玩具だし、わたしに語りかけてくることもなく、動きもしない。コレクション性とクオリティが高く、加えてカスタム性がある愛玩物たち。
人形に自己を投影するわけでもなく、キャラクター性を付与するわけでもなく……前回の記事の最後に「わたしに何も言わずに無条件に微笑んでくれる存在」という表現をしましたが、わたしと人形の距離感はこれが最も近いです。
遊びたい時に遊んで、着替えさせたり髪の毛を撫でたり、写真を撮ったり……そういう気分ではない時はインテリア。
人形はわたしに対して文句を言いません。このお洋服やだな、とか、最近放置しすぎじゃない?構ってよ、だとか……気楽な物です。
だけど大切にしていないというわけではなく、それぞれに愛着を持っている。うちのこかわいい、なんて思うこともある。だって実際かわいいからね!
人形に触れているとわたしは「わたしのためのわたしだけの可愛いお姫様が欲しかったんだな」と常々感じます。
「それって言い換えれば、物言わぬ都合良く可愛がれる存在が欲しいだけなのでは…」と気付いて、そのグロテスクさに驚いたけど…
わたしが人形好きな理由は、可愛くて素敵でコレクション性があるなど……色々あるにはあるけど、最たる理由は自由度が高いところです。
人形はどんな風に可愛がっても良い。
家族として、パートナーとして、対話相手として、自己を投影する者として、芸術品として、コレクションとして、被写体として、ハンドメイドのモデルとして、わたしのように玩具として、も。
全ては自由。前述したわたしのグロテスクな部分ですらも楽しみ方の間違いではないと思うと、心地よささえ感じてきますね。
なんて懐の深い趣味でしょう!(少し敷居は高いかも…)
同じ顔の人形でも着てる物ひとつでかなり違う人形になる。ウィッグもアイも変えれば、商品としては同じでも、この世に2つとして同じ人形はないと言い切れるくらい。
それに、形も様々。人の形と書いて人形とは言うけど、動物の形をしている物や単眼のヘッドや性別がないボディだってある。肌の色も真っ白な物から真っ黒な物、現実には存在しないような色まで多種多様。
それに、猟奇的でホラー表現が強い物もあります。ジャンルの幅が広い。
それぞれが自分の好きなお気に入りの人形を選び、好きなように可愛がってる。
わたしは着せ替え大好きですが、着せ替えせずに来た時の姿のまま可愛がる方もいらっしゃいますし、1体だけをずっと愛でる方もいれば、たくさん集める方もいます。
この趣味、自由度が高くて、そして正解がないんです。
十人十色!多様性という言葉が適切かはわからないけど、お人形は老若男女、人種も問わず、どんな人でも受け入れてくれる優しい存在だとわたしは思っています。
可愛がられているお人形は、どの子も特別で、尊くて、可愛くて、素敵なんです。
だからこそドールオーナーは口を揃えて「ドールは、いいぞ」と言うのでしょうね。わたしも言います。
ドールは、いいぞ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんとお人形さんの日々が素敵な物でありますように!