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昔からそこにいる「あの人」の圧に窒息しそうだった話
まだ僕が新卒で入ったばかりの頃、とある職場でこんな場面があった。周りはみな優しく、先輩も色々気遣ってくれる。ところが、その「昔からいる人」だけは例外だった。彼は職場の“生き字引”という触れ込みで、入社当時からオフィスの隅で腕組みをしては、何か言いたげな視線を若手に送り続けている。朝の挨拶をしても「おう」で終わり、指導を求めれば「自分で考えろ」、ミスをすれば「だから言っただろ」と鼻で笑う。誰もが遠巻きにし、そして何人もの新人がその度に辞めていった。「この職場、なんでこんなに人が辞めるんだろう?」と悩む頃には、答えは明確になっていた。そう、長年居座っている彼こそが原因だったのだ。
不思議なもので、職場の文化というのは、たった一人の存在が暗い影を落とすだけでガラリと変わってしまう。人は集団の中で安心して働くために、「心理的安全性」を求める。これはハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授が提唱した概念で、チーム内で質問や提案、ミスの指摘などを安心して行える状態を指す。だが、その「昔からいる彼」が無言の圧力で壁を築く限り、その安全な空気は壊されてしまうのだ。
【第1章:『古参社員が職場文化を歪めると、人材流出は止まらない』】
なぜ長く勤める者が問題になる場合があるのか。それは彼らが職場の「慣習」を握り、変化を拒む権威的存在になりがちだからだ。心理学的には、集団の空気を支配する権威者が存在すると、周囲は無意識に「従う」傾向が生まれる(これは「権威への服従」の有名なミルグラム実験に通じる)。新しく入ってきた人が「おかしい」と感じる習慣も、「昔からの人」は当たり前だと思っている。こうして歪んだ風土は再生産され、出入り口は常に開放、つまり辞める人が続出する負のループが回り続ける。
【第2章:『心理的安全性の欠如を映す実体験から学ぶ』】
ある知人は、製造業の小さな工場に勤めていたが、そこでは職人肌の古株社員が幅を利かせていた。彼は「仕事は背中で教えるもの」と豪語し、具体的な指導は一切なし、代わりにミスがあれば「これだから今どきの若者は…」と口癖のように吐く。その結果、若手は質問しづらく、改善提案など夢のまた夢。ほどなくして新入社員は続々と退職し、結局、工場長自らが「なんで定着率が悪い?」と頭を抱えるハメになる。ここで足りなかったのは、安心して失敗を共有できる文化、つまり心理的安全性である。求められるのは、背中ではなく言葉と行動で示す「コミュニケーション」。昔からいるから偉いのではなく、長くいるなら知恵を活かして周りをサポートする、そうした姿勢が必要なのだ。
【第3章:『集団心理が生む「権威主義」との戦い』】
職場で人を辞めさせる力が「古株」にある背景には、集団心理が絡む。心理学では、集団内の力関係が固定されると、新しい意見は受け入れづらくなるとされる。これは一種の「停滞バイアス」。変化が苦手な人々は、歴史が長い存在に正当性を感じ、あえて疑問を挟まない。だが、その結果はどうだろう? 成長や改善が妨げられ、結局は人材流出という痛手を負う。「古参だから正しい」という無意識の前提を捨てなければ、組織は息詰まる箱庭と化してしまう。
【第4章:『職場改革には内部からの牽引と外部の新風が必要』】
ではどうすればいいのか。僕が見聞きした成功例の一つでは、経営陣が腹をくくり「行動指針の再定義」を行った。長くいる社員ほど、明文化されていないルールを振りかざしがちだ。そこで新たに「心理的安全性」に基づく行動規範を設け、全員で共有した。新人にはメンター制度を導入し、質問しやすい先輩を明確に割り当てる。また、外部から新たな人材をヘッドハントし、文化に新しい風を吹き込むことで古参が持つ硬直した価値観を揺さぶった。その結果、徐々に定着率は改善し、気軽に声を掛け合う雰囲気が生まれ始めたという。
【第5章:『一歩踏み出す勇気が職場を変える』】
結局、変化を起こすには勇気が必要だ。古くからいる者が原因なら、彼らに「今の職場文化を見直しませんか?」と声を掛けてみる必要がある。それが難しければ、上層部に改善を提案するか、あるいは転職という選択肢もある。人が大量に辞める職場は、たいてい中に宿る停滞要因がある。心理的安全性、権威への服従、集団心理といった視点から考えれば、原因は目に見えない圧力に他ならない。変革は痛みを伴うが、組織のサイクルを健康に戻すためには不可欠だ。ちょっとした勇気と行動が、次の新人たちの「辞めたい」を「ここで頑張りたい」に変える一歩になるのだ。