見出し画像

掃除道具が多い家

 最近、朝起きてリビングに降りると、床拭き用のモップや窓ふきスプレー、掃除機、さらには玄関用のデッキブラシまで、ありとあらゆる掃除道具が目につくことに、ふと気づいたんだ。35歳のサラリーマンとして、日々仕事に追われ、帰ってくれば娘が遊んで散らかしたおもちゃや、休日に「自分らしい暮らし」を求めて買い足した雑貨たちがいつのまにか増え、その背後に積み上がる「掃除すべき空間」に目をやる余裕は、正直あまりなかった。でも先日、出勤前にバタバタと玄関を出ようとしたとき、ふと棚に置かれた掃除道具たちを見て「うちにはいろんな掃除アイテムがあるなあ」と思ったんだよね。モップ、スポンジ、ハンドワイパー、ぞうきん、窓用スクイージー、スチームクリーナーに自動ロボット掃除機。これらが何気なく一箇所に集まっている風景を、ちょっと面白く感じたんだ。

 実は、海外のとあるミニマリストコミュニティでは、「掃除道具は一本化せよ」という考え方が広がっていたりするんだ。ある英字ニュースサイトで読んだ記事には、「掃除は道具の数でなく、使い方と習慣の質で決まる」なんて言葉もあった。また、AIを活用したスマートホームデバイスの普及が進む国々では、掃除ロボが標準装備のように動き回り、人がほとんど手を動かさずとも一定レベルの清潔さが保てる環境が整いつつあるとか。世界に目を向ければ、掃除ひとつとっても様々なトレンドや手法があるらしい。

 でも、うちではどうだろう。確かに掃除道具は多いし、正直言って、すべてを使いこなしているわけではない。たとえば、年に一度しか使わないようなガラス面専用のヘラや、温泉旅先で「これ便利そう!」と買ったけれど結局ほとんど使っていないクロスなんかもある。余計な道具が増えると、ごちゃつきが増して、本来の目的である「家を清潔に保つ」ことが面倒に感じられたりもする。一方で、その「掃除道具がたくさんある」状態から「こんな視点もあるか」と学べることはないだろうかと、最近考えている。

 僕は旅行が大好きで、各地の温泉に浸かり、ご当地グルメを味わうたび、そこで感じた文化や価値観を自分の暮らしに持ち帰りたいと思っている。例えば、ある地域では昔ながらの伝統掃除道具——竹製のほうきやわらで編んだ玄関マット——を大切にしていて、それらが視覚的にも心地よく、かつ用途に応じた合理性を持っていた。現地の人は道具の機能だけでなく、その道具が紡ぎ出す暮らしのリズムや、家族との対話までも大切にしているように見えた。

 また、経済や国際情勢にアンテナを張っていると、清掃ロボット関連の市場拡大やサブスクリプション型のハウスクリーニングサービスの登場など、テクノロジーと暮らしが交わる最前線も見えてくる。こうした海外の潮流から学べることは、「掃除」そのものが、単なる日常動作ではなく、自分のライフスタイルや価値観を表現する行為になり得るという点だ。道具がたくさんある状況を、「煩雑だな」と嘆くだけでなく、「ここに自分らしさが隠れているかもしれない」と考えてみると、ちょっと気分が変わらないだろうか。

 実際、僕も試しに「掃除道具観察」をしてみた。使っていない道具は手放してみる、あるいはあえて残すなら、その道具が「どういうときに使うか」を明確にイメージする。普段使いのワイパーやモップは分かりやすいけれど、年に一度しか使わない特殊な道具には、その出番をカレンダーに書き込んでみたり、特別な儀式のように楽しんでみたりするのもいいかもしれない。こうすると、「不要なものが多すぎる」というストレスから、「この道具、せっかくだから活かせないかな?」といったクリエイティブな発想が湧いてくる。

 さらに、一歩踏み込んで「掃除道具を通じて英語学習する」なんてアイデアも浮かんだ。海外製の掃除用具やクリーナーの取扱説明書を英語で読んでみるとか、海外のYouTuberが紹介する新鋭ツールのレビュー動画を見て勉強する。そんな小さな工夫が、日々の暮らしに異文化の風を吹き込み、英語脳を鍛えるきっかけにもなるんだ。

 行動プランとしては、例えば「掃除道具棚見直しデー」を月に一度設定してみるのはどうだろう。そこで、道具をじっくり手に取り、使い道を再確認し、不要なら手放す。必要なら、その道具がもっと活きるシーンを想像する。あるいは、お気に入りの道具に名前を付けてみてもいい。ちょっとした遊び心が、退屈な家事を“自分らしい丁寧な暮らし”へと変えてくれるはずだ。

 こうして考えると、家の中に掃除道具がたくさんある状態も悪くない。むしろ、「そこから何を感じるか」で、日常は生き生きと輝きを増す。僕たちは普段、ただ目に入るものを「当たり前」や「煩わしいもの」として片付けてしまいがちだ。でも、少しだけ俯瞰して見てみると、そこには意外な発見や、使いこなすためのヒントが眠っている。

 結論として、掃除道具の数を減らすのも、増やすのも、使いこなすのも自由だ。ただ「なんとなくあるもの」に意識を向け、新たな視点で捉え直してみると、私たちの日常がほんの少し豊かになるのを感じる。特別な場所へ行かなくても、最新の技術を手にしなくても、家にある身近な道具を鏡のようにして、自分らしさや暮らし方を見つめ直すことができるんだ。さあ、今日はあなたの家にある掃除道具を一つ手にとって、そこからどんな発見が得られるか、試してみてはいかがだろう。

いいなと思ったら応援しよう!