逃げるは恥だが厄に立つ〜社長にまつわるエトセトラ
同志Aからのお題:社長
♪社長の娘を ドライブにさそった
ウキウキでハンドルを握る高度経済成長期のサラリーマン。ハナ肇とクレージーキャッツの「こりゃシャクだった」の1番だ。晴天の快走に、ご令嬢はすっかりご機嫌の様子。出世の糸口ができたと期待してたら「お抱え運転手に されちゃった」とオチが付く。
私の場合は…
「うちの社長の娘と会ってみないか」
30代後半のころ、取引先の部長から、お見合いのような話を打診されたことがある。社長とは直接面識はなかったが、会長(社長の父)は、ある分野の顔役。縁談がまとまれば、私も“ファミリー”の一員になるのか…。娘婿には次期社長の座が回ってくるとか?
妄想を抑えつつ、会長・社長と親戚関係にある社員に「実は部長からこういう話があって」と相談すると、腹を抱えるばかり。結局、娘さんの詳細を知ることもないまま、この話はフェードアウトした。同社は会長没後、祖業をやめて大幅に規模を縮小し、社名も業種も変わった。
それから数年後。声をかけられて移った先で、孫会社の代表取締役社長になるという予想外の展開が待っていた。
ホールディングス社長の肝いりプロジェクトの運営事務局としてつくられたものの、実際は登記簿だけに存在するような会社だ。事務所を構えているわけではない。そこに平社員の私が入社数カ月後、社内事情&思惑から社長に据えられることになったというわけ。しかし、他の取締役はHDや事業子会社の強面役員や有力メンバーたち。何たるパラドックス。社長なのに、彼らに指示や命令を出せる立場にない。権限も無ェ、手当も無ェ、取締役以外の社員は誰もい無ェ。雑事もすべて社長がこなす。あるのは肩書きだけ!
そもそも平社員が社長ってなんなのさ。常に眉間に海溝のような深いしわを刻んでいる某取締役からは、早々に「お前、勘違いするなよ。ただの事務局だからな」と釘を刺された。冷え冷えと萎縮する。
この人事で社長から取締役になった前任者からは、意地悪なのかか嫉妬なのか、引き継ぎはほとんどなし。その上、プロジェクトに絡むのは社内外とも超強烈な面々ばかりで、新参者はそして途方に暮れる。あれやこれやの兼務も重なり、次第に身も心も痩せ細った。残業が過労死ラインの2倍を超え、体重10キロ以上減で着るものがダブダブ&ユルユルになったころ、プロジェクトの“人柱”としての役割は果たしたと思い、暇をもらった。
畑違いの業界で猛者たちと伍するには、チカラもメンタルも足りなかった。ただ、法務部が作った架空の株主総会議事録や、グループの財務状況が厳しいから全関連会社の社長は連帯保証人になれというお達しなどに印鑑を求められ、ドン引きしたのも事実。気づいてなかろうが、シヤチハタ印がささやかな抵抗だった。
本厄で大厄だったころの話。
「こりゃシャクだった」ならぬ「こりゃヤクだった」か。