えらい人の幻聴との闘いについて
ごきげんよう。お久しぶりです。
とても勉強になるnote記事を読みました。
住宅営業マン、13棟目は正義とは何かで悩む。|みの
https://note.com/tenjijyou/n/nced916db496b
住宅営業をされている みのさんの体験談ですが、さんざん話して合意した話をすっかり翻して「契約?そんなのは聞いていないし、約束もしていないよ?」と言い出してしまうお年寄りに、「言った」「言わない」ではなく上司の方が寄り添って話を聞くことで契約してもらったという話でした。
みのさんは住宅という何千万円という意思決定を検討する過程で人は感情に支配されて行くといった気づきを記されており、実に現場感のある話だなと思いました。
この「大きな意思決定の中で人は感情に支配される」と、それを立場による普遍的な現象として「寄り添って」「状況を動かす」というこの上司のA店長の動きは本当に学びがありますね。
では、何千万円の意思決定を日に何件もすることになる責任ある立場の人、例えば社長さんなどはなぜ感情に支配されず意思決定できるのでしょうか?
・・・・そんなわけあるかーい!w ということですね。当然ながらこの記事に出てくるお年寄りのような状態になることもしばしばです(笑)
これが大きな組織になると、ことは大ごとですね。
今日はそんな話を思い出したので書いてみようと思います。
コロナ渦になる前の話ですが、親友の日本有数の巨大医療法人理事のぼやきを聞いていました。
親友は疲れ切った顔で少し前の苦労話をしてくれした。
彼はある週末に60代の理事長にゴルフに誘われいつもように行ったそうです。
で、いつもの通りゴルフは終わったらしいのですが、翌日、職場に行ったところ、秘書が青い顔をして「理事長がお呼びです」と言って来ました。
なんだろうと思い、理事長室に入ったところ。
友人理事「昨日はお疲れ様でした。如何しました?」
理事長 「おまえ。昨日のゴルフの時にワシの足が短いと言ったの、あれ、どういう意味だ?」
友人 (ファ?何を言ってるんだ???そんなこと言うわけないだろ。)
理事長 「どういう意味だ?」
友人 「え、、、、あの、、、理事長、申し訳ありませんが、仰ってることの意味がちょっと理解できません。」
理事長 「もういい。おまえは勉強が足りないようだ。(介護)施設の方で勉強してくるように(怒)。下がっていいぞ」
(無言でクリーニング済みの袋に入った友人の名前入りの介護士制服を厳かに彼に渡す理事長秘書)
友人 「・・・・・・・・・・・・(ファァァァァァア????)」
暫く友人は、その日から理事長の勅命により、職場を理事室から介護施設の現場へと移し、おじいちゃんおばあちゃんの下の世話やら風船バレーに勤しんでいたそうです。
数週間ほどで「なぜあいつは最近顔を見せないのだ(怒)」と怒り出した理事長の命を受けた秘書が施設に彼を呼びに来て、また何事もなかったように理事室に戻ったそうですが。
この話を聞いて普通はこう思うでしょう。
「ボケてんじゃね?」
でも、友人とその件の議論をしていたのですが、ここまで極端な例は珍しいとはいえ、似たような風景はオーナー社長や絶大な権力を持つ組織の長などに仕える人達の間では本当にあるあるなのです。
ちなみのその親友はめちゃくちゃに仕事が出来て頭がキレるやり手です。
彼が冤罪通り越して意味の分からない指令に従って大人しく風船バレーしてたのもまた、そういう局面の対処としてはベストだと考えたからでしょう。また、そういう凄まじい機転が利くからこそ彼は数千人というスタッフをまとめる地位でしっかりと職責を果たしているわけです。
で、彼との議論の中で話に出たのが、「あるレベル以上のポジションに君臨して責任を背負い続けると言うのはもはや幻聴との闘いではないか?」という考え方です。
「トップは孤独である」というのは普遍の事実です。
トップは常に様々な意思決定をして一言一句に対して全ての責任を負うことになります。
そしてトップには誰一人として本当に思ってることは言ってはくれません。
常に自分に入ってくる情報は自分をコントロールする為にバイアスがかけられた情報であると、会議の席からベッドの中まで常に思わないといけないのがトップというものです。
ですから、そんなポジションを長く続けていると、次第に人と幾ら対話しているように見えても実際に対話しているのは自分の中の内なる声になってくるわけです。
思慮深い人でないと生き残れないのが権力闘争の世界ですし、そこで勝ち残った人達ほどそうなるわけです。
「社長!たまにはこちらにもいらしてください!現場の者も喜びますので!(にっこり)」と言われて、内なる声で(そんなわけなかろう。この事業所には何かあるぞ。)とか聞こえてくるのが権力を持つということなのでしょう。
これが、いきすぎるともう座って目を閉じていても脳内でずっとぐるぐると声が聞こえる状態になると。
で、なんかの拍子にうっかり実際に聞いた声と、内なる声の区別がつかなくなることも出てくるわけです。
「やっぱボケてるじゃないか」
と思う人もあるかもしれませんが、一つ言えるのは結局のところ立場がそうさせているわけであり、誰しもが同じ立場であればそうなる可能性はあるわけです。
それだけの重圧と孤独があるということであり、いちいち周りに居る人間が「事実関係」を正したところで良くて冷や飯を食うだけ、悪くすれば即刻処刑です。
であれば、トップまでいかずともそれなりの責任を組織内で負っている皆さんも不幸ですし、なによりあなたが処刑されてしまうと困るのは現場や部下や後輩の人達ということになるわけです。
まぁメカニズムを理解したからと言ってやっぱり理不尽だと言えばそこまでではありますが、少なくとも「なぜそんな突拍子もないことを言うのか?」と悩むことは無くなりますし、上位者が言い出す「突拍子もないこと」の後ろにある彼が対話している幻聴の内容を推察して対処をしなければすれ違いを繰り返すだけです。
「空気を読む」と言ったことに関しては各種の研究があるようですが、権力を手中にしている者が常に戦っている「幻聴」が如何なるものなのか?は本人から語られることはほとんどないのでこれまでは対処も難しかったことでしょう。
しかし、私もこの歳になり多くの番頭さんやナンバー2との対話をする中で優れたナンバー2や番頭さんは常にトップの声ではなく、トップが従い、トップが影響され、トップを支配し、トップを苦しめているトップの頭の中の幻聴と対話することでトップを支え組織を正しい方向に導いてきているように思います。
皆さんはおかしなことを言う上司、上席、トップ、権力者に振り回されてうんざりしていませんか?
もしくは、内なる幻聴にあなた自身が支配されておかしなことを思わず口走っていませんか?
幻聴自体はおそらく無くすことは難しいでしょうから、せめて哀しい行き違いで組織の皆が不幸になる事態は避けるように、時にやり過ごし、時に先回りする。それが真の意味で1を聞いて10を知るということのようにも思います。
今日はいいことを聞いたと思ったあなた。この話は身近な人間に言ってはいけません。
私はこの話をあなたが孤独なトップのことを理解し、雨の日も風の日も支え、組織のパフォーマンスを最大化する為に使ってくれると信じていますが、こういう動きの出来る人のことを「君側の奸」と呼ぶ人もまた多いですからね。
では、本日はここまで。
今日も持ち場でがんばりましょう。