アメリカの国旗シャツを着てる男が歌ってると思って下さい。

交差点で三回事故ったよ~♪
今すぐコレ交番電話しよう~♪

どうも、杉崎シュンペーターです。

いきなり『走れ正直者』風で始まりましたが、僕はこれまで生きてきて三回ほど交差点で事故を起こしたことがあります。

一度目は小学二年生の時、少年サッカー団で仲良くなった三年生の近所のお兄ちゃんと一緒に下校している時でした。

校門から始まった鬼ごっこは飽きることなく家の近くまで続き、もうそろそろいつもバイバイをする交差点まで近づいていました。どっちが鬼で終わるかで白熱した戦いは濃紺の商用車の乱入で突如終わりを告げました。

ペーター「タッチ!」

りょうちん「タッチ!」

ペーター「タッチ!」

りょうちん「タッチ!」

ほぼ横並びでのタッチの応酬で目まぐるしく変わる鬼、鬼になった僕がりょうちんをタッチすべく手を伸ばす、タッチされまいとりょうちんが車道まで横っ飛び一閃!!

後ろから濃紺の商用車がッッ!!

───後にペーターは語る。

「あれが僕にとって人生で初めての走馬灯でしたね、え?二回目ですか?そりゃもちろん18の時にバイク事故で吹っ飛ばされたときですよ」

僕のタッチを避けたりょうちんが商用車に突っ込まれる、、、押し潰されるランドセル、、、前のめりに倒されるりょうちん、、、足首をタイヤに轢かれるりょうちん、、。

唖然としながらも何故か僕は冷静で頭の中で『あー、だからランドセルって必要なんだなー』とか考えてました。

でもそこから足首を押さえて泣き喚くりょうちんを見て、ハッと我に返りしっかりパニックになりました。

あの時代はまだ携帯電話も普及してなかったですが、近くの工場の職人さんが事故の音に気づいてすぐに救急車を呼んでくれました。

救急車を待っている間に、仕事を終えて帰宅するりょうちんのお母さんが運転する軽自動車が遠くに見えたとき、僕は事故が起きてしまった瞬間よりも『なんでだよぉ!!なんで来るんだよぉぉ!!』と説教確定演出に心から震えました。

よく考えたら家までの帰り道なので通るのは当たり前なのですが、僕は『お願い!気づかずに通り過ぎて!』なんて願ってました。

遠目からも事故が起きてるのは丸分かりで運転席から事故現場を眺めるりょうちんのお母さん、を見つめる僕。

段々と近づいてくる軽自動車、うずくまってるのが自分の息子だと分かり驚愕の表情でブレーキを踏み、慌てて車を止めて駆け寄ってくるりょうちんのお母さん。

ここの辺りの記憶は強烈で鮮明に憶えてます。
忘れられません。早く救急車が2人を連れてってくれれば良いのにと保身しか考えない自分を今はブン殴りたいです。

この後の両親からの説教や、先生からの事情聴取は地獄のようでした。ここらへんは記憶からほぼ消えています。(消してます。)

後日、仲良しの同級生りゅうくんについてきてもらいお見舞いに行きましたが、お見舞い品のパンジーの鉢植えがマナー違反だったことは大人になってから知りました。

結局りょうちんは退院後もリハビリが必要で少年サッカー団を一年近くお休みする事になってしまいましたが、復帰したときに左利きになってたのが漫画の主人公みたいで格好良かったです。

「しゅんぺいのおかげで左利きになれたぜ!」

と決して嫌味ではなく爽やかに言ってのけるりょうちんにシビれてあこがれました。

大人になってから久し振りにコンビニでりょうちんに会いました。そこは偶然にも事故現場の交差点のコンビニでした。(まぁお互い家近いからね)小学生の時は木々が植えられた造園業の土地でしたが、中学生くらいのときに切り拓かれてコンビニになったのです。

久し振りの再会で色々と話してたら、りょうちんが笑いながら

りょうちん「ここって子どもの頃に事故った場所だよね~」

ペーター「だよね、、(気づいてたけど言いだせなかったよ)あの時はホントごめん!」

りょうちん「別に良いよ、今は何ともないんだし気にすんなよ!」

大人になってもあの頃のままの優しさで泣きそうになりましたが、その後りょうちんは

りょうちん「あの時医者に言われたんだけどさ、あと1ミリ傷が深かったら足切断しなきゃダメだったらしいんだ~」

と衝撃の事実を告白して、固まる僕を見てしばらく笑った後に爽やかに去っていきました。

僕はまたシビれてあこがれました。

長くなったのでバイク事故と自動車事故はまたどこかで。

あ、自動車事故は友達の運転する車の後部座席で遭遇したのですが、そう言えばそれも同じ交差点でした。

そこ通るときグってなります。




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