食い意地
どうも、杉崎シュンペーターです。
突然ですが僕には欠点がある。
それさえなければ高身長、高収入、高学歴の完璧な人間だったが、どうやら神様は僕を可愛げのある人間にしたかったらしく、唯一の欠点として食べ物に対してとても卑しい人間にしたみたいだ。
とにかく他人が食べてるものが美味しそうに見える、差し入れを頂くと、我先にと貰いに行く。
大人になってからは、なるべくその部分が出ないように気をつけているが、まだまだ隠しきれずにダダ漏れしている。
では一体何故、そんなにも卑しくなってしまったのか。そこはやはり家庭環境が大いに関係しているように思う。
以前にも触れたとおり僕の家は現代社会においてはそれなりの大家族で、食事は必然的に取り合いだった。
家族が多いと母親は1人ずつおかずの皿を用意することはなく、全ての料理が大皿で運ばれてきてテーブルに乗った瞬間から攻防が始まる。
肉野菜炒めなら肉を多めに、唐揚げなら3~4個、トンカツならカツ丼、天ぷらなら天丼と見紛うぐらいお茶碗にキープしつつ食事をしていた。
そしてお菓子やジュースに関してはより一層白熱した攻防が始まる。お菓子を見つけたら例えお腹が空いてなくても食べる。次にお腹が空くまでにそのお菓子がある保証はどこにも無いからだ。
僕の家ではつまみ食いがひとつまみで終わることは決してない。ふたつまみ、さんつまみ以上する。ただしポテチなどのお菓子は全部食べない。姉ちゃんに怒られるからだ。自分もそこそこ満足しつつ、姉ちゃんに怒られないラインを探りながら食べる。
ジュースも同様、見つけ次第飲む。兄弟全員がそんな感じだったので1,5リットルのペットボトルが次の日まで冷蔵庫にあった試しがない。
成長期の食い意地は感覚を研ぎ澄ませる。隠しているお菓子をものの数秒で発見する。戸棚に隠していたケーキをカツオが見つけ出して食べてしまい、最後はサザエさんに怒られる。というエピソードに共感しまくりの中学生だった。
僕はこの食い意地の汚さ卑しさを、いつの日にか全て身体から捨て去り新しい自分になりたいと思ってるのだが、若い頃の神様がピッコロ大魔王を、魔人ブウが純粋悪のブウを生み出してしまったように、純粋食い意地のペーターが生まれてしまうんじゃないかと意味の分からない恐怖を抱いている。