昭和生まれが懐かしいと思う画像をランダムに貼る(2)
昭和40年生まれの私が「懐かしい」と思う画像をランダムに貼っていくだけの記事(その2)。
牛乳を混ぜて凍らせるデザート『シャービック』は我が家の定番だった。
こういう金属製の製氷皿で作っていた。
『シャービック』が現在でも売られていることを、今知った。
夏になったら作ってみたいと思う。
私の住む街にも赤いジャケットを着たヨーヨーチャンピオンがやってきたような、不確かな記憶。
スーパーヨーヨーよりもむしろ従来のアルミ製のヨーヨーのほうに感情移入してしまう。
一夜にして人気を奪われ、見向きもされなくなってしまうなんて悲しすぎる。
アメリカンクラッカーは遠心力を使って2つの球をカチカチとぶつけ合って遊ぶもの。
「玉が割れて大ケガをした子供がいる」という噂が子供たちを怖がらせた。
『ノースキャロライナ』というヌガーキャンディー(ソフトキャンディー)。
名前を聞くと反射的に、これを食べて銀歯が取れたことを思い出す。
キャロライン洋子さんのことも思い出す。
現在は『西洋菓子舗 不二家』限定で復刻商品を販売中。
『はたらくおじさん』は小学2年生向けの社会科番組。
授業中にテレビを見られるのがうれしかった。
「はたらくおじさん、はたらくおじさん、こーんにちはー♫」という歌は今でも覚えている。
『バラエティ』は高校時代に愛読していた雑誌。
薬師丸ひろ子さん、原田知世さん、渡辺典子さんのいわゆる「角川三人娘」のファンは絶対に買っていた。
私は渡辺典子さん派で、映画の舞台挨拶のときに1メートルくらいの至近距離で彼女を見たことがあるのが自慢。
正式名称は「特殊簡易公衆電話」というが、俗に「ピンク電話」という、ちょっとエッチなことを想像してしまうような名前で呼ばれていた。
学生時代、私はアパートの自室に電話がなかった時期があり、そのときは共有スペースにあったピンク電話が外部との唯一の連絡手段だった。
ピンク電話には電話番号が割り当てられており、外部からの電話を受けることもできた。
アパートの住人の誰にかかってきた電話なのかはわからないので、「たぶんオレ宛てだな!」という気がしたら自分で電話を取りに部屋から出た。
違う住人宛ての電話だったらただ面倒なだけなので、一か八かの賭けであった。
観光地に行くと必ず売られていた『ペナント』。
これを集めている子供は部屋の壁や天井に貼りまくり、その数を自慢していた。
ホワイトチョコレートを下地として、表面にチョコレートで絵がプリントしてあった。
50年前の日本の技術力の高さに感心する。
ペロペロと舐めて懸命に絵を消すのだが、いざ絵が消えてしまうととたんに寂しくなってしまう。
『ボンナイフ』と当たり前のように呼んでいたが、「ボン」とはいったいなんなのだろう。
今調べてみたところ、東京都墨田区の『ボン安全剃刀製作所本舗』の商標だとわかった。
しかしその社名の「ボン」の由来は書かれておらず、モヤモヤしてしまう。
フランス語の「bon(良い、良質の)」だろうか?
我々の世代では、『肥後守(ひごのかみ)』よりも『ボンナイフ』のほうがメジャーだった。
『ようかいけむり』。
二つ折りのカードの内側に塗布されている粘着性の物質を親指と人差し指でつまみ取り、くっつけた2本の指を離すと、煙が立ち上っているように見える。ただそれだけ。
ネットで調べると『おばけカードけむり』という商品もヒットするが、自分が使っていたのがどちらの名前だったのかは思い出せない。
『おばけカードけむり』の当時の現物は、現在Amazonでプレミアムが付いている。
雪印のアイスクリーム『宝石箱』。
アイスクリームの中に色付きの氷の粒が入っている。
ネーミングやパッケージデザインも斬新で、子供にとって憧れのアイスだった。
テレビCMにはピンク・レディーが出演していた。
腕時計のベルトに巻き付ける小さなカレンダー(ウォッチバンドカレンダー)。
アルミのような柔らかい金属製で、両端を折り曲げることによって腕時計のベルトに固定する。
生命保険会社が配布していたような気もするが、よく覚えていない。
どこからともなく毎月我が家に届いて、父がいつもこれを腕時計に巻いていた。
私も初めて腕時計を買ってもらったときにこれを巻き、ちょっと大人になったような気分になった。
関連記事:昭和生まれが懐かしいと思う画像をランダムに貼る(1)
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