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自転しながら公転する(山本文緒)
【一部ネタバレあり】
結末の部分についてのネタバレはありません。
林美沙希さんが読んだから
今年1月の林美沙希さんのSNSの投稿を見て、この本を読むことにした。
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美沙希さんはSNS上で何かを批判するいうことをしない。
テレビ朝日の看板を背負っているのだから当然の心がけなのかもしれないが、彼女の性格によるところも大きいように思える。
一方で、手放しで何かを絶賛するということも多くはない。
これは報道の世界で身についた慎重さなのかもしれないし、いわゆる「ステマ」を疑われることをしないように心がけているということもあるのかもしれない。
この山本文緒さんの小説『自転しながら公転する』についても、美沙希さんはただ「読み終えた」としているだけで、「おもしろかった」とも「つまらなかった」とも書いていない。
とはいえ「ずっと気になっていた本」ではあって、「ようやく読み終えた」650ページもある長編なのだから、私もぜひ読んでみたいと思った。
私はうつ病がひどいときには、本をいっさい読むことができない。
少し元気になってきたときでも、小説はしんどい。
胸をえぐられるような出来事が描かれていると苦しくなってしまうのだ。
特に女性が性暴力に遭うようなシーンには耐えられない。
事前の情報をまったく知らない、これまでに読んだことのない著者の小説を読むというのは、勇気が必要なことだった。
作者の山本文緒さん
読み終えるまでずっと「この著者はきっと若い女性なんだろうな」と思っていた。
「フリルカットソー」とか「マカロンカラー」なんて、今時の作家らしい。
実際にアパレルの店舗で働いた経験がある人なのかもしれない。
なるほど、最近はLINEで連絡を取り合うのシーンなんかもあるんだなあと感心した。
読み終えてから初めて、山本文緒さんが私より3歳年配で、しかも2年前に亡くなられていたことを知った。
一流といわれる作家にはこんな想像力、描写力、取材力があるのだなとあらためて驚嘆した。
一般的な感想
冒頭にベトナムを舞台としたシーンがあり、これが物語の最終部分であることが匂わされている。
だから終始、「冒頭のシーンとどうつながるんだろう」と想像しながら読み進めることになる。
そして、最後に「エピローグ」としてベトナムのシーンにつながったときは、自分がまったく想像していなかった展開に驚いた。
「ああ、よかった」と安堵できる結末でもあった。
単なるハッピーエンドであれば「物語ではハッピーエンドになっても、実際の人生ではその後まったく違うひどい展開になったりもするんだよな」と皮肉っぽく思ってしまうこともあるが、そんなシニカルな私のことも納得させてくれるような、深みのあるエンディングになっている。
冒頭の「プロローグ」と結末の「エピローグ」で挟み込んでいるところが画期的だと思う。
しかし巻末の藤田香織さんの解説には、
先のインスタライブで、本書のプロローグとエピローグには賛否両論あって、ないほうが良かったという声も届いていると文緒さんは笑いながら話していた。
というエピソードが紹介されている。
あれが最大といってもいいほどの魅力なのに、なかったほうがよいという人もいるなんて。
人の意見というのはほんとうにさまざまだ。
ほぼ全編が主人公の都の視点で描かれているが、ときおり都の母親の視点になっているところもおもしろい。
同じ出来事を別の人間がどうとらえているのかが見事に表現されている。
主人公の都(「おみや」というあだ名で呼ばれる)とその彼氏の寛一の名は、本文中でも明確に触れられているように、尾崎紅葉の『金色夜叉』の「お宮と寛一」の暗喩になっている。
現代の「おみや」が結婚相手を選ぶときに相手の経済力とどう向き合うのか思い悩む部分に、自分も考えさせられることが多くあった。
ごく個人的な感想
女性の登場人物がふだん抑え込んでいる感情をぶつけるシーンが痛快だった。
特に好きなのは、1歳年下の幼なじみのそよかが都にビシっと言ってやるところ。
「都さんに限った話じゃないんですけど、お洒落な人って狭量な面があると思います」
「きょ、狭量?」
「寛一さんがどんなネクタイや鞄を買ったって、それを駄目だと指摘するのはどうかと思います。ダサいって思うのはその人の自由ですけど、人の持ち物を、聞かれてもいないのに、そんなふうに指摘するなんてどうかと思う。(後略)」
私の中でそよかは、いわゆる「ゆるふわ女子」のような柔らかなイメージの女性だったので、このシーンでは「いいぞ、そよか! もっと言っちゃえ!」と思いながら、ニヤニヤ笑ってしまった。
都が寛一にローキックを入れた後のシーンも好きだ。
「自分が困るような展開になると、蘊蓄で煙に巻こうとするとこがうざいんだよ!」
片方の肘で体を支え、足を広げて道路に転がっている寛一の前に、都は右足をどんと踏み出した。そして寛一の横に煙草の箱が落ちていることに気が付いて、逆の足でそれを勢いよく踏みつぶす。
やるなあ、都!
私は美沙希さんがこれくらい本音を丸出しにしたところを見てみたい。
「ジジイのくせにアタシのインスタにコメントしやがって、キモいんだよ!」とか。
「美沙希さんがこのシーンを読んだとき何を思っていたのだろう」ということが常に頭にあった。
32歳で独身の都が、子供のいる友人の家庭を訪れたとき。
結婚についての考えを親からただされるとき。
33歳の美沙希さんは何を思ったのだろう。
今まで自分のことしか考えずに生きてきた都が、広島の豪雨災害のボランティアに行くとき。
被災地への取材にも行っている美沙希さんは何を思ったのだろう。
私には何もわからない。
美沙希さんの誕生日や好きなものを知っていても、美沙希さんの心の中のことは何一つ知らないのだ。
なんだか寂しい気持ちになる。
しかしよく考えてみると、それは結局、自分の身近な人についても同じことなのだった。