選ぶということ
考えれば考えるほど、物事はうまくいかない。
綿密な計画も将来もなにも。
大学に入って、そのことを痛感した。
特に自分以外の他者がからむものが、本当に難しい。
自分だけが関係しているもの、趣味とか向上させたいものとか。
自分だけなら自分の意志だけでどうにかできてしまう。
だけれど、自分以外の他者がからむものはそうはいかない。
一時期はやったアドラー心理学では
「すべての悩みは対人関係の悩みである」
という。
綿密に計画すればするほど、なにも決まってこないのだ。
何気にしっかり恋愛について書いたことないなーなんて思ったから。書き始めた。終わりはうん、まぁそれっぽくする。
<目次>
恋は2つ
恋⇒結婚ってしんどくね?
恋は2つ
恋は2つある。
心の恋:話してて心地いいなーとか一緒にいて楽しいなとかそういうもの。関係性とかは抜きにしてね。
身体の恋:体の関係が相性いいなーとかそういう即物的なもの。
「身体の関係から本命に昇格したい」なんて相談を受けるけど、正直に言えば、体の関係は1番になることはないよ。
1番目は、心の恋と身体の恋、両方を向けられる人。
2番目は、心の恋を向けられる人。(もしかしたら身体の恋も…)
3番目は、身体の恋を向けられる人。
って基本的になってるから。
まぁ、それはそうだよね。
長く付き合おうと思ったら、即物的なものより、抽象的だけど、心地いいとかそういう状態になる人(心の恋を向けられる人)の方がいいよね笑
乗り越えるには心の恋を向けてもらうしかないと思う。
(身体の関係なんてきれいな表現して、きれい売りすんなって感じだなぁ)
恋⇒結婚ってしんどくね?
ほめられたことではないかもしれないが、僕は恋愛相談を受けることが多い(気がする)
そのたびに感じていることをなのだが、「恋の先に結婚がある!」って考えている人が多いこと多いこと。
こんな若輩者が言うのもおかしいけれど、恋と結婚って完全に違うものだ。
恋はぬるま湯で夢見心地している。
相手に完璧を求め、自分をよく見せることに重きをおき、不安を募らせ、合わないと思えば結構簡単に関係を終わらせられる。
快楽で身体を満たし、”好き”という感覚だけで一緒にいられる。
一方、結婚は強固な契約で運命共同体となる。
相手の欠点が目に入るようになり、自分を受け入れてもらい、相手を受け入れることに重きを置き、不満を募らせ、合わないと思っても簡単に関係を終わらせられない。
”好き”という感覚だけで一緒にいるわけではなく、二人で同じ方向を向き、一緒に進んでいくのだ。
古典の世界でもそうじゃないか。
大抵、恋はかなわない。折り合いをつけて離れるか、貫いてともども死ぬか、片方が生き残り苦しむか。
例を挙げると、江戸時代、「恋の手本」とされたものに近松門左衛門の「曽根崎心中」が一番いいんじゃないだろうか。
実話を元にした町人と遊女の恋物語。恋を夢、結婚を現実とするなら、二人は夢を貫き、現実と折り合いをつけず、浮世の気持ちに殉じたから心中した。
二人が現実を生きるなら決して結ばれることはない。だって、現実には「金」や「別の人との結婚」が絡むから。
いつか覚める夢だから浮気(浮ついた気持ち)なんですよ。浮ついた状態に身をゆだねていたからこそ、基本的に日本人は恋愛に対して受け身なんだと思う。
浮ついた気持ちをずっと結婚という現実に当てはめると、お互いずっと恋の状態に入りそうじゃないですか?
恋愛したいという感情を否定する気もないけれども、その先に結婚が存在するとは到底思えないんですよね。
恋愛ドラマとか恋愛映画とか疑似的に浮ついた気持ち、まぁ、浮気をしてるんだと思うんですよね。
現実をみれば、そんなこと起こるわけないけど、浮世の気持ちに酔いしれているわけだから。
恋は幻想でしかないということを忘れてはいけない。
恋の先に結婚があるんじゃなく、相手のすべてを受け入れる覚悟を持つことで結婚できるのだ。彼女からもうアプローチされて結婚したとかそういうのあるけど、それは結婚し経済・運命共同体として現実に生きる決意を持っただけだから。
結婚に恋を持ってきたら、相手のすべてなんて受け入れられない。だって、相手に完璧を求めるから。
本当の意味で恋じゃなく恋愛するんなら、お互いが妥協しあうしかない。
まぁ、何を言いたいかというと、もし、恋したいなら能動的になるしかない。恋愛をして結婚したいなら、お互いが妥協しあう覚悟を持て。ってこと。
そして、結婚するもしないも自由だし、恋愛するしないも自由である。
対象が何であれ、それは変わらない。