スペイン留学_ VIAJE:セゴビア
¡Hola!
マドリード旅でセゴビアまで足を延ばしていってみました!
noteに書くためにオーディオガイドを借りてガチで取材してきました。
実は、国際コースの遠足で来月またセゴビアに行くんですよね。
セゴビアってどこ?
マドリードから北西へ95km、標高1002mの高地に位置する城塞都市です。15世紀にはカスティージャ王国の中心地として、歴史の中で重要な役割を果たしました。セゴビアにはディズニー映画「白雪姫」のモデルになったといわれるアルカサルがあります。また、ローマ人が築いた巨大な水道橋も見ることができます。
マドリードから行くなら、バスがおすすめです。
ローマ水道橋 Acueducto Romano
水道橋を正面にして、左側に観光案内所があります。こちらでは、日本語の地図が手に入るので
¿hay un mapa japonés ? (アイ ウン マパ ハポネス?)
とぜひ声をかけてみてください。
観光案内所のすぐそばに階段があります。上ると高いところから水道橋を見ることができますよ。
石だけでつくられたこのアーチには感動します。
ローマ水道橋は、15km以上離れたアセベダ川の水を町まで引くために、紀元前1世紀前後に建造されました。全長728mで、最も高いところは、こちらの広場(アソゲホ広場)付近の28mです。アーチの数は計166個。1884年まで水は上部を通ってセゴビアの町に供給されていました。1928年からは同じところに水道管が設置され、今もその役目を果たしていると言えるでしょう。
カテドラル Catedral
こちらのカテドラルは、スペイン最後のゴシック建築です。その優雅な姿から「カテドラルの貴婦人」と呼ばれています。
1525年に建築が始まり、1768年に完成しました。
高さは88m、内部は奥行き105m、幅50m。
無原罪の御宿りの礼拝堂
聖母マリアをモチーフとした彫刻、絵画があります。
全面絵画で埋め尽くされていて感激しました。
このような天井はリブ・ヴォールト様式といいます。
横たわるキリストの礼拝堂
上の絵がキリスト磔刑、下の絵がキリスト降下
セゴビアのカテドラルには、付属の美術館とタペストリーの部屋があります。美術館には「幼児の墓」があり、乳母の手からすべり落ちて死んだエンリケ2世の子、ペドロのものだそうです。
タペストリーが飾ってある部屋も圧巻です。
アルカサル Alcázar
ローマ時代の要塞があった場所に13世紀初めに城が築かれ、以降数世紀にわたり歴代の王たちによって増改築されました。1474年、エンリケ4世(イサベルの兄)の訃報を聞いたイサベルはこの城でカスティージャ王国の女王として即位することを宣言しました。
冒頭にも記載しましたが、「白雪姫」のモデルになったお城です。
中世には宮殿として、以降は牢獄や城砦、王立砲兵学校、軍事資料館、博物館と時代によってさまざまな目的で使用されてきました。1764年にカスティージャ王カルロス3世によってこのセゴビア城に創設された王立砲兵学校は、1862年3月6日に火災が発生し、貴重な文化財を含め、城は大きく損傷してしまいます。
1882年から1896年にかけて修復工事が行われました。
オーディオガイドは日本語あります。真剣にアルカサルを回ってきたので説明します。
武器の広場
フェリペ2世がエルエスコリアル風にと頼んでつくられました。花こう岩でできています。2階に軍事文書があります。
旧王宮の間
拡張によって今の形になりました。13世紀は、手前の窓のある壁が宮殿の外壁で、谷を見下ろすことができました。
甲冑は15世紀のものです。
白地に赤の模様は、イスラム様式の特徴です。
暖炉の間
この部屋は、1862年の火事で大部分が燃えてしまいました。
調度品は16世紀のものです。暖炉の上のタペストリーは聖母マリアの結婚をテーマにした、18世紀のフランドル製です。
王座の間
15世紀にエンリケ4世が増築を命じた部屋です。天蓋付きの玉座がありますが、これは比較的新しく、アルフォンソ12世がアルカサルに贈ったものです。カトリック両王の紋章はワシがモチーフです。「TANTO MONTA (両王が相等しい権限を持つことの意)」の銘が刺繍されています。王座の間に椅子が2つあるのは、カトリック両王が同格なことを表しています。
隣のガレー船の間に続く扉の両側には、カトリック両王の肖像画が飾ってあります。
こちらは、イサベルの異母兄エンリケ4世のステンドグラス(ムニョス・デ・パブロス作)です。紋章にザクロが描かれています。スペインでは、ザクロのモチーフをよく見かけますが、国を統治することは苦くて甘い→ザクロという意味が込められているのです。
ガレー船の間
ムデハル様式の天井が、逆さまにした船体ににていることから、そう呼ばれています。
ガレー船の間の奥にある絵画は、イサベル1世の戴冠式の様子を描いています。こちらもムニョス・デ・パブロスの作品です。
松の実の間
天井の装飾が松の実に似ていることから名づけられました。
15世紀の椅子が展示されています。
王の寝室
壁にはたくさんのサルガスが飾られています。タペストリーは模様を記事に織り込みますが、サルガスは無地の布に模様を描きます。
王の広間
ここには、レコンキスタの開始者であるアストゥリアス王国のペラーヨから、イサベル1世の娘「狂女王」フアナまでのスペイン歴代王の彫像が並びます。
文字が小さいですが、王の説明も書かれています。
帯の広間
壁の模様が、広間の名前の由来です。
王妃の化粧部屋
非常に小さな部屋です。この部屋のストーブが火事の原因だったと言われています。
部屋にはこのステンドグラスがあります。ムニョス・デ・パブロスの作品で、アルカサルにおける彼の最後の作品です。左がアルフォンソ6世、右が司教のペドロ・デ・アヘンです。
中央にはセゴビアの紋章が見え、その上には頭が描かれています。これはセゴビアはエストレマドゥーラ県の頭であるということを意味しており、ソリア、セゴビア、アビラなどカスティーリャに属した都市のアル・アンドレス地方に対する優越感を表わしています。
礼拝堂
礼拝堂では、フェリペ2世と最後の妃アナ王妃の婚姻が執り行われました。
主祭壇の15枚の絵は、キリストの人生を描いています。
どちらの作品も火災の被害を逃れた貴重なものです。
時計の広場
黒い小石のようなものが点在しているこのデザインは、「ズグラッフィート」と呼ばれ、セゴビアのものはムデハル様式を起源とするセゴビア風スタイルで、レコンキスタ以降の都市建築において盛んに採用されました。
ブルボン朝スペイン王、フェルナンド6世の胸像です。彼は王立砲兵学校の設立したカルロス3世の異母兄にあたります。
上にはハプスブルク朝スペイン王、カルロス1世の紋章が掲げられています。
武器の間
ロデーラとよばれる丸い盾や、射石砲 とよばれる大砲(火薬と石を込めて点火し、その爆風で石を飛ばしていました。)などが展示されています。武器の格納場として使われていた部屋です。
王立砲兵学校博物館
王立砲兵学校は、カルロス3世が王太子時代の1764年に創設されました。1893年には軍事資料館と主に博物館が設立されました。
1808年5月2日の英雄、砲兵隊長ルイス・ダオイスとペドロ・ベラルデです。
ゴヤの有名な作品、『マドリード1808年5月3日』とも関係がありますね。
1808年5月2日、ナポレオン支配下のスペイン・マドリードで暴動が起こります。フランス軍は、翌3日にかけて1500人の市民を射殺する事態にいたり、やがて、スペイン独立戦争へと発展することとなります。
お昼ごはん
地球の歩き方に載っていたお店で食事をします。
セゴビアは、生後間もない子豚のオーブン焼き(cochinilloコチニージョ)が名物です。皮はパリッと、肉はとても柔らかくておいしいです。
1人前にしてはとても多いです。スペイン人はゆっくり楽しく話をしながら食事を楽しみます。おひとり様はすこし寂しくなります。
コチニージョ、想像の倍の値段でした。
これは、ポンチェというセゴビアの名物スイーツです。シロップを含ませたスポンジとカスタードクリームです。甘くておいしいのですが、半分くらいからしんどくなってきました。スポンジの上に超甘いお砂糖の層がありますが、甘すぎてはぎとりました。
さいごに
セゴビアは他にもたくさんの観光スポットがあります。小さな町なので、歩いて回ることができます。ぜひ行ってみてください!
¡Hasta luego!