タイムフリーが終わる前に♪9の音粋(#キュウオン)「佐野元春のいない佐野元春特集」2023,2,13つまみ聞き
’80代楽曲とラジオを経て今も佐野元春からメッセージを受け取るモノマネ音楽評論家DJと、佐野元春と言えばとんねるずの生でダラダラいかせて‼のDJ2人の音楽トーク番組bayfm9の音粋(#キュウオン)月曜日。2023,213 「佐野元春のいない佐野元春特集」タイムフリーが終わる前に是非お聞き下さい!ここではちょっとつまみ聞き。DJはスージー鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)
スー)2月13日でございます。今晩は音楽評論家のスージー鈴木です。ミ)今晩はジェネリックジェネシスのミラッキ大村です。
スー)フフフフッ。何でしたっけ?ジェネジェネでしったけ?イベントどうでした?
ミ)大盛況でした。9の音粋のリスナーの皆さんも来て頂いてありがとうございました。
スー)ヒャダインさんと。私は明後日タブレット純さんとイベント。フフ幅広いなぁ。段々この番組を中心に様々な人脈が拡がって行きます。前回(2/6)は「きゅんメロ」で盛り上がりましたが(☆本note筆者「つまみ聞き」参照)、今週は佐野元春のいない佐野元春特集。ラジオ業界はスペシャルウィークで浮足立って、普通はゲスト呼んだりします。こっちは逆です。佐野元春が「いない」っていうね。曲すらかけない佐野元春特集。ハハッ。何回かやってます。「沢田研二のいない…」「吉田拓郎のいない」「大瀧詠一のいない」等やってるんですけど定番コーナーですね。
ミ)そうですね。
【21:00前半 佐野元春音楽の出会いからソングライターデビュー】
スー)どこのラジオ局でもやらない企画だと思うんですけど、ま、佐野さんですから間口は広いですよね。という訳で佐野さんの曲はかけずに、佐野さんの作った曲とか佐野元春さんに影響を受けた曲、もしくは与えた曲を聞きながら、佐野元春さんの大きな功績を測定して行きたいと思っている企画でございます。よろしくお願いします。まずは30分私から佐野元春さんのデビュー前、佐野さんがどんな感じの音楽を摂取していたのか。
ミ)あー興味深い。
スー)まず一番始め、佐野さんの音楽の出会いから紐解いて行きます。私もたまに書いているRe:minderという音楽サイトがありまして、そこのインタビューでロックンロールとの出会いについて、こう発言してらっしゃいます「テレビで見た弘田三枝子かな。すごくパンチのあるシンガーで僕の周りにいないタイプの女の子だった。歌は上手いし、両親が聞いていたロネッツの『Be My Baby』をカバーしていた。」『SOMEDAY』が大瀧詠一さんの影響を受けてナイアガラサウンドというかスペクターサウンド。私もインタビューしましたけれど(☆’21発行集英社新書・スージー鈴木著「EPICソニーとその時代」にインタビュー全編が収められている)、かなり幼少期からスペクターサウンドが好きだったと仰っていましたね。そのきっかけはもしかしたら「両親の聞いていたロネッツ『Be My Baby』」をカバーしていた弘田三枝子かもしれません。「これだ!と思った。聞いてビビッと来た。居ても立っても居られない感じ。(※急に佐野元春降臨?^^;元春口調になる)ロックンロールのマジックだと思う、今でも信じてるよ。弘田三枝子『私のベイビー』」
♪弘田三枝子『私のベイビー』
スー)えー間違ってる方がいたら申し訳ないので確認しますけど、これ、Adoじゃないですからね。Ado『新時代』じゃないですからね。
ミ)ハッハッハッハッ。
スー)『私のベイビー』弘田三枝子。1963年ですからフフッ60年前、このボーカル!ハッハッハッ。
ミ)いやああ。
スー)さっき佐野元春さんのインタビューを引用しましたけれど、ご自身のラジオでもたまに弘田三枝子かけてるんです。やっぱり影響は大きかったみたいですねぇ。
ミ)そうなんだー。
スー)60年前にこれ見たら、ロックンロールというものを肌で感じるんじゃないですかね。1963年ていうのは、紅白が(☆スージーさんは無類の紅白好き)史上最高視聴率を取った年で映像が残ってるんですが、確か冒頭じゃないかな、弘田三枝子がもうスッゴイボーカル!
もう声量も凄くて歌怪獣というような。まずは佐野さんはこれでロックンロールを知ったという感じだと思います。続いて50年前の音源に行きます。「路上のイノセンス」という古い本(※‘86発行JICC出版局・下村誠著ドキュメント佐野元春1971-83)を紐解いたんですけれど、ボブ・ディランに強く影響を受けた佐野さんなんです。日本のボブ・ディランとたまに言われる岡林信康とか友部正人を少年時代に聞いていたようですね。友部正人の名盤「にんじん」っていうアルバムが50年前に出てるんですけれど、そこに入ってる『トーキング自動車レースブルース』っていう変わった曲があるんです。トーキングブルースっていう、アコースティックギター1本で語ってガナってる感じなんですけれど。聞きようによっては、後の『Heart Beat』とか『Rock & Roll Night』等の佐野元春さん流のトーキングブルース的な曲調に感じる事も出来ます。これは富山県高岡で暴走族を見る、っていう歌なんですけれど、聞きようによっては佐野さん的かもしれません。もしくは真島昌利さんにも影響与えてるんで、佐野さんとマーシーの間に友部正人を置くとしっくり来るって感じなんです。
ミ)へえー。
スー)続いて、がらっと変わって45年前の曲。『ムキムキマンのエンゼル体操』かたせ梨乃&カツヤクキン。「出没‼おもしろMAP」というTV番組(※テレビ朝日’77-79)があって、企画で出て来たムキムキマンのCMソングです。作詞影山民夫・作編曲小坂忠・ボーカルはかたせ梨乃にMC清水国明と奥さんの清水クーコ、ムキムキマン衣装デザインは小森和子という訳のわからない人選の中で、佐野元春さんがピアノ弾いてるらしいんですよ。
ミ)えぇー。
スー)本を読んでこんな事知らなかったなあーと思ったら、恐るべきmoonyさん。佐野さんがピアノ弾いてるとムキムキマンリクエスト来てますよ。大学生の佐野さんがピアノ弾いてます。恐らく中央に定位してるラジオ体操みたいなピアノだと思います。という訳で訳のわからない繋ぎでございますが、50年前’73友部正人から45年前‘78エンゼル体操。
♪友部正人『トーキング自動車レースブルース』♪かたせ梨乃&カツヤクキン『ムキムキマンのエンゼル体操』
スー)フフッ久々に聞きました『ムキムキマンのエンゼル体操』、多分中盤部の(※キーボードを弾いて)♪~という感じの所を大学時代の佐野元春さんが弾いてるんじゃないですかね。
ミ)なんの経緯で弾くんですかね。
スー)小坂忠さんの近くで割と一緒に活動してて、これ小坂忠さんの作曲なんでね。しっかし清水国明、滑舌悪いですね。
ミ)ハハッ。
スー)私も滑舌はアレなんですけど、清水国明には勝てると思いましたね。ハハ。恐るべきはですね、moonyさんが次の曲も当ててるんですよね。moonyさんから2通来てるんですけど《佐野元春から曲作りを学んだ》佐藤奈々子『サブタレニアン二人ぼっち』という曲がありまして、これにメールを貰ってます。ありがとうございます。佐藤奈々子さんは後にSPYというユニットで知られる事になる女性歌手なんですけれど、佐野さんと公私共にパートナーという事で、今の「ムキムキマン」の1年前’77「Funny Walkin’」という名盤と語られているアルバムがありまして、その作曲には佐野元春の名前が明記されています。いわゆるソングライターとしてのデビューだと思うんですよね。名盤でシティポップの響きなんですけれど、佐野元春さんの手癖と言いましょうか、ソングライターとしての実力がこっから始まったという感じですね。作詞佐藤奈々子作曲佐野元春&佐藤奈々子編曲大野雄二です、聞いてみましょう。
♪佐藤奈々子『サブタレニアン二人ぼっち』
スー)最初の30分訳のわからない番組になってますけど。
ミ)フッフッフッフッ。
スー)これは私が倒錯した選曲をしてるのではなく、佐野元春さんの音楽性が幅広い、という事ですね。この『サブタレニアン二人ぼっち』はえみコペンさんからもリクエスト予想貰ってまして、moonyさんも両方とも静岡県!静岡恐るべし。
ミ)ハハハッ。
スー)ハハッ。10時台1曲目クイズのヒント行きますね。この前正解が多かったのでちょっとマニアックな感じにしたいと思います。‘80代ですよ。「ローリングストーンズの『アンダーマイサム』ではありません石野真子の『日曜日はストレンジャー』ではありません」。
ミ)正解者から1名に月9特製サイン入りステッカーお送りします。また今週はbayfmスペシャルウィーク、番組にメールで何かしら感想等を送って頂いた方の中から毎日抽選で5名様にタワーレコード¥3000分のギフトカードプレゼントです。
【ミラッキ・ゾーン ポエトリーリーディング】
スー)このゾーンは、佐野元春と言えばアンディーズの『FREEDAM』という、ガラスのジェネリック、フフッミラッキ大村さんの選曲です。
(※ANDY’S:日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて‼」で結成された3人組[石橋貴明・定岡正二・デビット伊東]バンド。メンバーの熱烈なラブコールで佐野元春が音楽プロデューサーで参加し完成した楽曲が’97『FREEDAM』。月曜9の音粋では’20《ヤンキーロック特集》で佐野元春自身の『FREEDAM』をオンエアした)
☆佐野元春は早い段階からラップ・ポエトリーリーディングを取り入れた。ポップソングで伝えきれず取りこぼす事をポエトリーリーディングで掬い上げる。その精神を持っているミュージシャン。アジカン後藤正文「ラップの雄弁さ」。’2019,5。
♪ASIAN KUNG-FU GENERATIN『解放区』
☆佐野元春の影響を受けたであろう人達(ちょうど10歳下くらい)3曲続けて。
♪THE BOOM『手紙』♪TOKYO No1 SOUL SET『ロマンティック伝説』♪FATMAN BROTHERAS『ウ.ス.イ.ハ.イ.イ.ロ.ノ.ヘ.イ.ノ.ム.コ.ウ.カ.ラ.ミ.ズ.ノ.オ.ト』
☆つべこべ言わず聞きたい曲。
♪不可思議/wonderboy『pellicule』
ミ)この後の10時台1曲目クイズ、スージーさん正解者いました?
スー)少なかった~。でもいました。ハッハッハッ。
【22:00台前半 ‘80代「ALL TOGETHER NOW」】
スー)メール市川市ずうとるびから始まるさん《佐野さんの代わりにスージーさんの歯切れのいい「I wanna be with you tonight!」が聞きたいです》歯切れが良ければねええ。
ミ)ハッハッハッ。
スー)ラジオネームちょっとだけ年と誰もが言うさん《佐野元春と言えば毛量の多さですね。初めて見た時ライオン丸だと思いました》
ミ)フフ確かに。
スー)確か、NIAGARA TRIANGLE VOL2には「Moto”lion”Sano」って書いてあるんじゃないかな。
ミ)はあー。
スー)山下達郎がクマで佐野元春がライオンという表記もありました。さて、さっきの滑舌が悪い+モノマネでよくわかんなかったヒントですが、「ローリングストーンズの『アンダーマイサム』ではないですよと、石野真子の『日曜日はストレンジャー』でもないですよ、ベイビー」と言いました。ローリングストーンズ『アンダーマイサム』のイントロは♪ラドミラララ、ソシレソソソ、ファラドファファっていうイントロなんですよ。『日曜日はストレンジャー』は♪ドレミララソラ、ドレミララソラ、ちょっと似てるんですよ。
ミ)似てますね。
スー)そういう感じのイントロの曲だという事なんですけれども、正解者5人いました。5人なんで全員読みますね。Blueさんえみコペンさん鶴見の海坊主さんやひこ・かくださんばらーどキリンさん、ありがとうございます。割と早めに頂きましたBlueさんを当選にしましょう。《22時台1曲目はズバリ!》えー、昭和は「ズバリ!」大好きですよ。《ジュリーの『VANITY FACTORY』でしょう》と。《『アンダーマイサム』でわかりました。よろしくお願いします》おめでとうございます!素敵なステッカーをお送りします。
さてさて、‘80代に入りいよいよ『アンジェリーナ』でデビューしますが、世間に大きく知られるきっかけは大沢誉志幸同様、沢田研二のプロジェクトでした。私自身も’80代はYMOとかそんな感じだったので、佐野元春っていう名前はしばらく知らなかった。
ミ)はい。
スー)でも沢田研二が’80,12「G.S. I LOVE YOU」というアルバムを出したのは知ってたので、それ経由で間接的に(佐野元春を)聞いていたのかもしれませんね。後に佐野元春自身でセルフカバーする『VANITY FACTORY』。沢田研二版は『THE VANITY FACTORY』とTHEが入りますね。この曲が佐野元春を世に出したと言っても過言ではないと思いますね。佐野さん本人にはインタビューの時、否定されたんですけど、一番初めにガイドボーカル的に(佐野元春が)デモテープのように沢田研二の前で歌ったんですって。このジュリーのボーカル、佐野元春っぽい歌い方になってんじゃないかなと。
ミ)影響を受けて。
スー)そうそう。と、僕は思うんですけど、佐野さん自身は否定してましたけどね。スタジオの向こう側に何故か内田裕也がいた、っていうこぼれ話も聞くんですけど、ハハハッ。
それともう1曲、今日1番多くリクエスト来た曲です。佐野元春さんが’82「SOMEDAY」で大ブレイクします。続く曲は佐野元春じゃなくって、ホーランドローズ名義、佐野元春のペンネームですが、で作りました編曲大村雅朗による、松田聖子『ハートのイアリング』。大村雅朗が遊んでてアレンジが『SOMEDAY』なんですよ。
ミ)なるほど。
スー)♪タンタンタン、ドーン、タカタカタカ。フフッ。だから沢田研二’80『THE VANITY FACTORY』のセルフカバーをアルバム「SOMEDAY」でやって、その中のタイトルチューン『SOMEDAY』のアレンジを引用して、佐野元春の曲松田聖子『ハートのイアリング』があるっていうね。劇的SOMEDAY的ビフォーアフターになってますね。両曲当てた方いますよ。村ちゃんさんよっしい兄さんやひこ・かくださん。
♪沢田研二『THE VANITY FACTORY』♪松田聖子『ハートのイアリング』
スー)『ハートのイアリング』は山ほど(リクエスト)貰いました。あみーごゼーットさんは《『SOMEDAY』的なアプローチをしてますね》と。えみコペンさんが面白くて《『ハートのイアリング』聖子ちゃんはキーがFで、それをCにして脱力気味で歌うと佐野元春『SOMEDAY』になる》と。(※ギターを弾いて)♪Stay With Me雨が雪に~佐野元春です。
ミ)ハッハッ。
スー)ハハッちょっと違うか。ハハハハッ。さて’85まで行きます。同じくEPICソニーデビュー直後のバブルガム・ブラザーズに曲を提供しております。
ミ)へえーー。
スー)タイトルは『SOUL SPIRIT PartⅡ』’85こんな曲、皆さん知ってるんですね。moonyさん、2通来てます、コードネームはファルコンさん、村ちゃんさんからも来ております。佐野元春とブラザー・コーンは中野区の公立中学校の同級生なんですよ。
ミ)はあー。
スー)ちょっとネット記事なんで確証はアレなんですけれど、中野区立第四中学の同級生らしいんですよ。大槻ケンジもソコらしいんです。だから中野区中学ロック界のPL学園。(☆野球好きスージーさんは才能が集まっている現象を「PL学園」と例えがち^^;)
ミ)ハハッ。
スー)ハッハッハッ。中学の同級生が提供し合ったらどんな曲になるかと。♪バブルガム・ブラザーズ『SOUL SPIRIT PartⅡ』
スー)今Tweetでおととい来ましたさん《ブラザー・コーンはグループ「あ」というあのねのねの弟子っこですから》清水国明と繋がった。ハッハッハッ。さて’85と言いますと「国際青年年記念ALL TOGETHER NOW」(※大規模ジョイントコンサート。ロック・フェスの草分けと言われる。亀渕昭信プロデュース)’85,6,15、旧国立競技場ですね。吉田拓郎に始りトリを務めたのが佐野元春でした。そこに飛び入りしたのがサザンオールスターズ。桑田佳祐1956年2,26、佐野元春3,13生まれ。何と2週間しか違わない。紅白で共演した(※’22紅白『時代遅れのRock’n Roll Band』)このロックの二人が本当に近い所で生まれた。で、吉田拓郎に始まって佐野元春に終わる、この並びはどうなんだというのを、そのプロデューサーだった亀渕昭信さん本人に聞いたんですよ。「あれ逆ちゃいますか?」そうしたら「むしろあれが大事だったんだ」「日本音楽界の未来を託す為、若い二組をトリにした」と断言して。今から考えたら、この「ALL TOGETHER NOW」は佐野元春とサザンオールスターズの共演という事で割と語られるんですよね。「あの時の」って。亀渕昭信の意思っていうのは、本当~に正しかった。拓郎に始まり佐野元春に終わり、それを見て細野晴臣が「ニューミュージックのお葬式」と言ったんですよね。そしてそっから何十年経って、紅白で佐野元春と桑田佳祐が共演するという。という訳で、そん時に国立競技場で二人が歌った曲でございます。その前年7月に発売されましたアルバム「人気者で行こう」から。
♪サザンオールスターズ『夕方Hold On Me』
スー)1985年6月、浪人時代だったんだなあ、東京遠かったなあ。FMラジオで、どっちやったかなあ、FM大阪が「ALL TOGETHER NOW」やってNHKでQueenやって、Queen聞いちゃったんですよね。ハッハッハッ。
ミ)当時の鈴木青年は。
スー)そうそう、Queenだなと思ったんです。でも、後々再放送や音源で(「ALL TOGETHER NOW」を聞く事になる)ね。まぁ佐野元春も凄いんですけど、こん時の桑田佳祐が凄いんですよ。ハッハッハッ。
ミ)それだけ当時邦楽も洋楽も面白い時代だったんだな、とスージーさんのその選択でよく伝わって来ます。
スー)おー!Queenと「ALL TOGETHER NOW」かー!どっちかなと思ったのをよく覚えています。
ミ)スージーさんはこれだけ桑田オジサン佐野オジサンビートルズオジサン、じゃないですか。ハハッで、Queen特集やりましょうと言っても「うーん」って言って中々やってくれなかったし。
スー)ハハハッ、真剣に考えすぎて。
ミ)ハハハッそうそう。
スー)今回も佐野元春というと、一瞬ひるむんですけれどね。(☆音楽評論家の前に佐野元春ファン^^;)何年前だ?’85、38年前かぁ。ピシッ!と言いたいですよ。あの頃の自分に。
ミ)うん。
スー)Queenか「ALL TOGETHER NOW」かじゃなくて、勉強だよ!
ミ)アハハハハ。
スー)アハハハハッ。伝説の音源とかありますんで、是非聞いてみて下さい。本当に亀渕昭信の意思を継いで、「ニューミュージックのお葬式」という揶揄もありましたけれども、29歳の佐野元春、桑田佳祐の二人が国立競技場という舞台で吠えまくってやるんですね。フフフッ。
ミ)はい、さてこの後どうなるんでしょう。後ろからご本人登場あるんでしょうか。
スー)(※ほとんど吐息で)フフフ。
【ラスト・ゾーン ‘80代後半音楽シーンの真ん中へ、そして】
スー)’80代後半になると「ALL TOGETHER NOW」の余勢も駆って、本当に佐野元春が音楽シーンのど真ん中へ。サザンオールスターズは1回活動休止するんですが、桑田佳祐・佐野元春が、もう新参者でなくって新しいロックの様々なイディオムを作る側に回るという事です。私が思う1番大きな佐野元春の功績は、日本語の歌い方だと思いますね。あの言葉を詰める歌い方っていうのが、日本ロック界を制覇して行く。渡辺美里♪確かめたい、君に会いたい~暗闇の中~(※My Revolution)。作ったのは小室哲哉ですが、大江千里とかEPICソニーの小坂洋二プロデューサーに私インタビューしましたが(※’21,10発行スージー鈴木著「EPICソニーとその時代」集英社新書)、そのチームからこの歌い方が拡がっていく。僕思ったのが、「加トちゃんケンちゃん」見てて’87に酒井法子が『夢冒険』って歌出すんですよ。♪心~に冒険を~夢を「抱きしめたくて」。早っ!ハハハッあれでね、EPICソニーと思ってたけど、酒井法子まで行ったと。「加トちゃんケンちゃん」見て、佐野元春ここまで来たかと思ったんですけれど。
ミ)ハハハッ「加トちゃんケンちゃん」じゃなくてもいいんだけどハハッ。スー)ハハッ。そんな中、1番”佐野元春feel”があったのがTM NETWORKの宇都宮隆かなと思いますね。小室哲哉って人は佐野元春を本当に研究しただろうし、さっきの小坂洋二プロデューサーチームですから関係も近かったはずです。この曲何回かかけてると思うんですけど、今からかけるのはライブ盤の『Self Control』なんです。聞いたらホントに佐野元春「HERTLAND」(‘91)の中に入っていてもおかしくないんじゃないかなという。テクノデジタル系で、ライブなんでホントにロック感があって、本当に佐野元春の歌い方が日本に財産になったなという感じがする音源です。流山のクマクマクマさんからもリクエスト貰ってます。ライブ盤’87ですが発売されたのは’92「TMN COLOSSEUMⅠ」から。
♪TM NETWORK『Self Control(方舟に曳かれて)』
スー)メール来てますハートブレイクジュリアさん《ブルーベルズ(※佐野元春自身の偽名ユニット)というバンドご存知無い方も多いかもしれませんが、ブルーベルズ『自由の岸辺』もしくは『サンデーアフタヌーン』がかかったら嬉しいな》と。《当時子供だった私はラジオからこの曲が流れたのを聞いた事がないからです》と。このブルーベルズは佐野元春のラジオ番組由来のユニットでして。ちょっと佐野元春のラジオ番組の話をしたいんです。佐野元春の功績の1つに若いロックバンドを紹介して行った事があると思います。ラジオ番組’87に始まったFM東京「AJI!FMスーパーミクスチャー!」とかそういう番組を、私も熱心に聞いていたんです。そん中にオリジナルレーベルのAJIレーベルっていうのがあってですね、いろんな音楽家を知ったんです。ちょっと今日の中では知名度が低くて恐縮なんですけど、一応当時の佐野元春のラジオを聞いていた方に特化しちゃいますが、2つのバンドをかけたいと思います。1つはTHE SHAKESというバンドでこの『ROCK TRAIN』という曲を佐野元春のラジオで知りました。このバンドは佐野元春のマンスリーライブのオープニングアクトとかやってらっしゃったようです。『ROCK TRAIN』という曲でございまして、《ROCK TRAINに乗るまでは マジで死んでる男だった 欲しいものは何かもわからず言いたい事も言えなかった そんな俺の耳元に飛び込んで来たロックンロール そいつは俺にこう言った 次はお前 お前がやるんだ》っていう歌詞にね、当時感化されました。びっくりしましたね。
ミ)佐野元春イズムが詰まってますね。
スー)ですですです。”佐野元春feel”がありますね。もう1曲、佐野元春の「警告どおり計画どおり」ってバンドがありまして原発問題を歌った曲なんですけれど、そこに参加してたのがHEARTLANDじゃなくってthe REDSっていうバンドですね。the REDSっていうバンドといまみちともたかさん(※BARBEE BOYSギタリスト)が加わってます。あ、いまみちともたかさんの新刊で私対談してますので是非買って下さい。(※’23,1発行いまみちともたか著「ブリキのギターに愛を込めて」リットーミュージック) the REDSといまみちともたかさんイマサさんが『警告どおり計画どおり』という曲を演奏しています。the REDS『ジュリエット・ゲーム』は1回かけたんですけど、彼らがMARQUEE MOONと名前を変えてセルフカバーしたバージョンで聞きたいと思います。《街には冷たい冬が来て 誰もが暖かい場所を探し出す ガラスのような瞳は今でも何かを探して立ってる》正直大ブレイクはしなかったんですけれど、バンドブームとは違う佐野元春イズムを継いだ若いバンドが’80代にいた事を是非記録する為にもTHE SHAKESとMARQUEE MOON。♪THE SHAKES『R.O.C.K TRAIN』♪MARQUEE MOON『Juliet Game』
スー)こういういいバンドがいた事を皆さん、是非覚えてあげて下さい。という訳で楽しくやって参りました「’80代の佐野元春のいない佐野元春特集」でございましたけれども。あ、いないのは’80代の佐野元春なんだ。2020年代の佐野元春はいていいんですね。
ミ)えーっ⁈
スー)という訳で、最後はご本人登場と行きましょうか。
ミ)そんなルール?そんなルールだったの?
スー)今回いなかったのは’80代の佐野元春でございますね。全くかけておりません。セーフ!今も現役バリバリの佐野元春はここにいらっしゃいます!フフフ。
ミ)いらっしゃいますけれども。
スー)昨年末の音粋紅白に勝ったらかけようとした曲なんですよ(☆’22,12,19音粋紅白DJ2人が選曲、リスナー投票で勝った方がラスト曲をかけられるルール。ミラッキさん勝利の為スージーさんはかけられなかった^^;本note筆者の当該回参照)。
ミ)ハハッそうだ!あった!
スー)恨み晴らさでおくものか。
ミ)アハハハハハッ!
スー)2022年に出した「今、何処(Where Are You Now)」っていうアルバムがスッ!ばらしかったんですよ!現代性がありまして、その中で1番かけたかった曲が『大人のくせに』って曲なんです。歌詞が《怪しげな偽名を使ったプロパガンダ》とか《皮肉や風刺に戸惑う事はないよただ心無い世界を笑い飛ばしたいだけだ》とかっていう、今の空気って言うモノを現在66歳の佐野元春がつかみ取ってですね。
ミ)凄いなあ、SNSとかね。
スー)そうですそうです。今の佐野元春が今の大人に向けて、タイトルが『大人のくせに』ですからね。もっと言えば私に向けて歌っているのかなぁという事で、2022年の最後に聞きたかったんですけど、ちょっと票数が足りなかったので(※音粋紅白のリスナー投票数^^;)、今ここで世に問いたい。’80代に凄いイイバンドがいた、そして“ニューミュージックのお葬式”を越えて今、2023年の佐野元春がイイというのを世に問いたいと思います。
ミ)うーん。
スー)若いリスナーもいらっしゃると思いますけれど、大人の方々にこのメッセージを捧げます、この歌詞の一番最後ですね。《素朴に行く道、一人だってずっと歩いて行けるぜ そうさ英雄もファシストもいらない いらない》そうなんです我々大人には、英雄もファシストも、もういらないんじゃないかと。じゃあ意見が出るでしょうね、佐野元春はスージー鈴木にとって英雄じゃないのか。いえいえ私にとって佐野元春は「いつだって味方さ」。♪佐野元春&THE COYOTE BAND『大人のくせに』
スー)あ、言い間違えました。佐野元春じゃないですよぉ~。佐野元春&THE COYOTE BANDの『大人のくせに』です。
ミ)なるほど。ハッハッハッ。
スー)ハアー。ハッハッハッハッ。すいません、またやっちゃいました。ごめんちゃい。来週は《日本テレビ特集》でございます。それって日テレ。日本テレビ関係の曲をかけたいと思います。
ミ)今日はradikoが途切れやすいというつぶやきもありましたが(☆radikoスマホアプリが1/30全面リニューアル。途切れる、使いにくい等がネットを賑わせている)、タイムフリーで改めてゆっくりと楽しんでいただきたいと思います。スー)(☆佐野元春口調が抜けず)困りますね。トゥイッタ―も下さい。
ミ)ハハッ。
===終了===
★みにょん:子ども時代に聞きロックンロールの血肉となった弘田三枝子、少年時代友部正人。’80代ソングライターで実力を発揮し’80代後半には音楽シーン真ん中へ。佐野元春1番の功績は日本語を詰める歌い方。そして自身のラジオ番組で若いロックバンドを紹介した。最後は「行ってみようか」’23に世に問う、老若男女へメッセージを歌う!実は佐野元春三昧回だった。
☆次週(2/20)《日テレ特集》日本テレビ番組関係の曲特集。
☆サイン入り番組特製ステッカー:シェア大賞・双子ザウルスさん:なぞかけ大賞・ビーマウスさん