’22,7,18号音粋ヒストリアvol.2-「村井邦彦インタビューEp.4」完

《←Ep.3から続く》
【エピソード4 YMO】
スー:そして、YMO ですね。細野晴臣との出会いで細野さんのプロジェクトにAlfa が乗ったって感じですよね。あそこまでの世界的な大成功するって思ってました?
村:「そうしよう」って二人で決めてやった事だけどね。フフ。
スー:アハッ。それにしても凄いんじゃないかっていう。フフ。
村:う~ん、日本から外国に持って行けるモノって、細野ぐらいしかないな、って思ったんですよ。それで細野と、まずプロデューサーの契約したんだよね。それでイロイロやって一作目ダメで二作目にイエロー・マジック・バンドっていうのを作って、三作目がYMOになったんだよね。でも一貫して二人が考えてたのは「これを全世界で売ってやろう」という確固たる意志を持ってやった仕事ですからね。最初っからそこを狙った訳です。
スー:もしかしたら川添紫郎の「アズマ・カブキ」(※‘50年代半ば川添紫郎がプロデュースした歌舞伎を世界に紹介する海外公演)と、同じような。
村:全く同じですよね。
スー:「モンパルナス1934」の主人公が「アズマ・カブキ」を世界に売り出すという。
村:そうですね。
スー:‘79から’80あたり、凄かったですね。YMO が世界的な盛り上がりが。
BGM♪イエロー・マジック・オーケストラ『ライディーン』
村:凄かったですね。
スー:私も子供の頃フジテレビで「FROM TOKIO TO TOKYO」(※YMO‘80第2回ワールド・ツアー)を見たり、フジフィルムカセットテープCMで見たり、大ブームでしたよね。
村:はい。
スー:YMO の時代って今からどんな風に思い出されます?
村:うーんとね、ともかく日本経済がていうか日本の国力が一回ピークを迎えて、その後ダメになっちゃうんだよね。プラザ合意ってのがあって為替が変わって(※‘85 )金融緩和になってバブルが崩壊して、日本経済が元の木阿弥みたいになっちゃった。’80終り‘90初めから、もう30年ずうーっと低迷をしてる。その低迷前の最後の輝きだよね、YMO の音楽って言うのは。ハハハ。
スー:あーそういう感じするなああ。「パブリック・プレッシャー」(※‘80 YMO初ライブアルバム)を聞いて、ああ、日本人の演奏にイギリス人がアメリカ人が熱狂してる。ああ世界が日本をちゃんと認めてくれてる、っていう誇らしい気持ちがありましたけど、その気持ちはあれから僕、日本の音楽シーンで感じた事ないですからね。最後の輝きかぁ。あー。
村:そうですね。でもまた一度下がったら上がるんでしょう。ハハハッ。
スー:だといいんですけどね。聞きたかったのは、世界に対して圧倒的なああいう感じの第二のYMOみたいなのが、あり得るかどうかっていう。
村:そーですねぇーー。こういうのって、YMO を世界で成功させようっていう意志はハッキリあるけれども、日本を取り巻く環境だとか日本の力だとか、諸々の事が一緒になって起きるんだよね。単にいいバンドだったから売れたとか、そういう問題じゃないんですよね。だから今の日本からYMOと同じような、世界を席巻する音楽なりバンドが生まれるかどうかっていうのは、これは、わかんないね。ただ言えるのは、今言った通りに盛り下がってる最中だからハハハ、そういうYMOみたいなモノが生まれる可能性は低いんじゃないかと思いますねぇ。
スー:細野晴臣のような戦略性を持ったミュージシャンがいないというのもあるかもしれませんけれども、今一時間余お話を伺って、いろいろな本でも読みましたけれど、村井さんって、凄い決断が速いじゃないですか。さっきの「そこで契約しよう!」とかね。
村:うんうんうん。
スー:新しいモノに対して、ニコニコしてこれは成功するって見定めて、スピーディーに契約してビジネス化するっていう、プロデューサーがいないんじゃないかという感じがしますが、その辺りどうですか。
村:うん、その通りです。
スー:僕は村井さんみたいな存在、ビジネスプロデューサーが今、日本の音楽シーンに欠けてるんじゃないかなと思います。
村:ああそうですか。いやもう30年ロスに住んでるから、日本でどういう人がどういう事やってるのかあんまりよく知らないので、なんとも感想は言えないんですけど。
スー:では、私の私見として「今日本には村井邦彦が足りない」って感じがします。
村:そうですか。
スー:(笑)そんなこんなでAlfa で成功を収められ、今に跳ぶんですが。まず今、注力なさってるのは「モンパルナス1934」ですよね。今後はどんな感じの流れになりますか。
村:今ホントにこれの映画化しようと思って、スタッフを集めてる所なんですけれども。小説を完結する事、それに次いで映画を作る事が今の僕の一番やりたい仕事ですね。
スー:コロナ禍がきっかけで小説を書いてみようと思った、とネットで書かれてましたけど、紫郎さんの事を書きたいと思われた気持ちというのはどういう事でしょうか。
村:いや、やっぱり自分の人生を振り返ってね、自分の好きだった人だとか影響を受けた人の事を書いてみたいという思いと、あと時代に興味があるんだ。僕は1945年生まれだけど、川添さんが21歳でヨーロッパに渡った時は1934年ですよね。日本が大変な時代を迎えて。
スー:戦争に向かって行く。
村:戦争に向かって行く時代で、その時代の事をね、正直に書いてある本ってあんまり無いんだよね。
スー:うーん。
村:僕達の親もあんまり戦争の事って、あんまり話したがらなかったからね。それで
何だろう何だろうって自分で考えていて。で、いろいろ本を読んだりリサーチするとさ、面白い人がたくさん出て来るんですよ。川添の親父と仲良かった仲小路(なかしょうじ※仲小路彰:思想家・哲学者・歴史哲学者)さんという学者がいて、年齢的には佐藤栄作(※第61-63代内閣総理大臣)さんと同じで熊本の五高(※旧制第五高等学校)の同級生で、佐藤さんのブレーンみたいな事をやってた人がいた。その人と川添の親父が仲良くて、組んでいろんな事をやってたりするんですけど、そいういうのね、あんまり歴史の教科書に載ってないのね。なぜかって言うと、その仲小路の本をGHQが全部発禁にしちゃったの。
スー:あ、そうなんですか。
村:うん。だから今復刊してますけども、多くの人は知らないんですよ。仲小路さんの事をね。で、彼と川添の親父との付き合いだとか、そういう事をちょっと発掘して、行きたいって事。それからその時代のヨーロッパが素材として凄く面白いんですよね。スペイン市民戦争があった、共産主義とファシズムがぶつかり合った、芸術は‘20年代みたいに華やかではないけれども。例えばね、シンセサイザーの元祖みたいなオンド・マルトノっていう楽器があってね。(※1928年フランス人電気技師マルトノにより発明された)それが1937年パリ万博で、メシアンっていうフランスの作曲家がそれを6台並べて演奏会をずっと万博の時やってる。
スー:YMO の源流。
村:そう、YMO の元祖みたいなやつですね。それから’37パリ万博っていうのはね、スペインの戦争があってドイツがゲルニカを爆撃して、ピカソが「ゲルニカ」っていう有名な絵をスペイン館にかけたのね。戦争から始まった絵画が出て来たとかさ、そいういう文化的な背景も今の本の中に書いて、映画もそういう所をフューチャーして行く事になると思うんですけど。
スー:調べたりするのはかなり大変じゃないですか?
村:そう、それでね、共作者に日経新聞の編集委員の吉田俊宏さんがいて、日経新聞と僕と組んでやってますので、吉田さんは日経の資料をそのまんま使えるんですね。僕一人だと中々資料が集まらないんだけど、相当の資料が集められる。
スー:あーそうですか。それでも大変ですよね。
村:ハハ。
スー:後は、「ALFA MUSIC YouTube Channel」等で、令和の若者がAlfaサウンドをかなりリスペクトしているっていう流れがありますが、どう思われますか。
村:それは嬉しいですよね。はい。
スー:当時の音源を遡って「おしゃれ」「洗練されてる」「日本にこんな音楽があったのか」。それはやはり嬉しいでしょうかね。
村:そうですね。
スー:Alfaサウンド、ありがとうございます。いろいろ聞かせていただきましたが最後になります。これからの音楽シーンについてですが。まあ、日本の事はわかんねえよ、っていう話かもしれませんがハハ。
村:ハハハッ。
スー:今はちょっとお察しの通り、音楽シーンもラジオ業界も、昔と違ってあんまりきらびやかな業界になってないのかもしれません。僕としては日本からもっと、できれば次のYMO が出て欲しいという期待も持ちつつなんです。何か村井さんから、日本の音楽シーン等へメッセージと言いましょうか、お願いします。
村:うーん、いやホントに30年ねえアメリカで暮らしてますからね、日本の事が段々わからなくなって来ているんで。だから何とも言えないんですよ。
スー:(笑)まあ、無理に聞くのも差し障りありますね。特に思う所は。
村:そうだねえ、なんだろうねぇ。日本全体に関して思う事は、日本人は今、本当に経済的な、あるいはいろんな意味でのバイタリティーが無くなってると思うのね。それはね、結構豊かなんですよ。みんな美味しいモノ食べてるしさ、そこそこの暮らしはできてるし。アメリカなんかヒドイよ。お金持ちはめっちゃくちゃお金持ちだけどさ、貧乏な人はもうホントに貧乏、ホームレスはその辺歩いているし。日本はまあまあ全般的に言えば、みんないい暮らししてるから、やってやる!って気になんないんじゃないの。そこそこでいいやって、みんな思ってんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。フフ。
スー:まだちょっと豊かである事が、世界への進出を阻んでるではないかと。
村:そういう気がしますけどね。
スー:血気盛んな若者が世界に羽ばたいて欲しいですよね。
村:そうですね。
スー:ありがとうございました。今日いろいろ聞かせて頂いて、僕的には村井さんの笑顔が印象的でした。「だって、そんなのカッコいいじゃん」「やってやれよ」「ユーミンの声いいよね」という、村井さんのような存在が日本の音楽シーンに必要なんじゃないかと思いました。いろいろ細かい話も聞かせて頂きありがとうございました。
村:どうもどうも、ありがとうございました。
♪イエロー・マジック・オーケストラ『以心電信』

スー)以上、「村井邦彦三昧」でございました。どうですかお客さん!
ミ)日本の音楽史・現代史が学べました。
スー)(‘85辺りから)そこからバブル経済ですし、音楽的にはCDバブルになりますし、だからそれとさっき村井さんが仰った「世界に打って出る」っていう必然性が、日本のマーケットが大きくなるから無くなっちゃうんですよね。
ミ)そうか、そういう事か。
スー)だから「打って出る」っていう最後の‘80年代前半の所までYMO がいたっていう。この話とさっきの、ポップスに対してクラシック・ジャズの素養があるかないかは繋がってると思うんですよ。ポップスとか大衆音楽が大きくなるとそこで積が成立するから、日本のJ-POPが大きいと世界に出なくなるとか、クラシック・ジャズの素養がなくなって来る。繋がってる感じがしましたね。
ミ)まさに‘90年代のJ-POPっていうのはそういう事だった、ような気がします。
スー)月9は邦楽の音楽番組です。僕は「日本の自給率」って思うんですけど、‘80年代後半以降「音楽自給率」が高くなった時代ですね。月9はそういう日本で生まれたポップス、池の中での音楽を愛でる番組じゃないですか。それはいいと思うし、安易に批判はしたくないんです。ただやっぱり、クラシック・ジャズの知識があって世界に打って出る音楽というものが持つ、YMO のパワーはやっぱ、愛しいんですよね。村井邦彦凄いな、と思いますよね。

★音楽と音楽ビジネスの歴史を笑顔で語る村井さん。多岐にわたる音楽力で名曲を軽々と生み出し、今も活躍する才能あふれるミュージシャンを戦略的にプロデュースするビジネス力の凄さ、それがありありと見えた2時間でした。貴重な証言をそのまま伝えてくれる、「音粋ヒストリア」回。そしてこうした歴史絵巻を下敷きに、ニッチな^^;特集たーまを通し、音楽の楽しさを伝えてくれる、月9の素晴らしさに改めて感動します。

☆来週(7/25)《だいたいBPM170の曲特集》YouTubeでBPM170で検索してみて下さい。結構早いです。
☆サイン入りステッカー→なぞかけ大賞:村ちゃんさん ナイスシェア:代表さん

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